ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

金沢城 (日本100名城) 2019.6.11

2019-06-29 10:49:48 | Weblog

( 写真は、金沢城の五十間長屋)

 

もともと、ここ金沢の地には、加賀の「一向一揆」の拠点だった「御山御坊」(おやま ごぼう)という浄土真宗の寺院がありました。

1580年、この「御山御坊」は、「織田信長」によって攻め落とされ、信長から加賀一国を拝領した「佐久間盛政」によって築城されたのが「金沢城」のはじまりです。

その後、佐久間盛政は、「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で「豊臣秀吉」に破れ、金沢城は「前田利家」の所領となりました。

「前田利家」は、キリシタン大名として有名な「高山右近」に金沢城の縄張りをさせて、金沢城を大改築しています。

金沢城には天守閣が設けられていましたが、1602年、落雷によって焼失し、その後再建されることはありませんでした。

天守閣に代わって三階櫓が建てられました。

 

我々の「バスで行く・奥の細道」ツアーは、初日、金沢駅からバスで先ず「兼六園」へ向かい、園内の茶屋で昼食、その後は、兼六園内の1時間の自由散策時間になりました。

私は、一昨年に見学した兼六園の散策はパスして、兼六園の前にある金沢城を、集合時刻に間に合う様に、駆け足で散策して来ました。

(一昨年の「兼六園散策」については、左をクリックしてね。)

 

 

「石川門」

上の写真の様に、石川門の表門の部材に張った筋鉄が見所です。

石川門の石垣は、下の写真の様に、様式の異なる石垣が特徴です。

写真の左側が、表面を叩いて軽く整えて隙間に小石を詰めた「打込み接ぎ」で、右側が、積む前にキチンと整形してびっちりと積み上げた隙間の無い「切込み接ぎ」です。

石垣の上は、上の写真の白壁と「鉛の瓦」です。

「鉛の瓦」は、戦時には鉄砲の弾になるそうです。

石川郡の方向を向いていたので石川門という名称になったそうです。

 

上の写真は、右から「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」です。

 

「菱櫓」(ひしやぐら)

2001年に木造で復元された「菱櫓」は、高さ11.7メートルの石垣の上に、3重3階の櫓が建っています。

床の一部がガラス張りになっており、建物内部の隠れた部分の構造が分かる様に工夫されています。

上の写真は、「石落とし」で、石垣を登ってくる敵を迎撃する為の設備です。

これを外側から見ると、下の写真の様に、「菱櫓」の銅板張の「唐破風出窓」になっています。

 

「三の丸広場」

上の写真の「三の丸広場」の奥に「五十間長屋」が見えます。

 

「五十間長屋」(ごじっけんながや)

五十間長屋は、右側の「菱櫓」と左側の「橋爪門続櫓」(はしづめもん つづき やぐら)を結んでいます。

2001年に木造で復元された建物で、武器などを保管する倉庫として使われていました。

中に入って見学することができます。

これだけたくさんの木で作られているのに、釘やボルトは1本も使われていないそうです!

 

「橋爪門続櫓」(はしづめもん つづき やぐら)

二の丸の正門である「橋爪門」と、その橋爪門を見下ろす位置にあるのが写真の「橋詰門続櫓」です。

橋詰門続櫓は、菱櫓と同様に、3重3階の構造です。

菱櫓、五十間長屋と同様、2001年に木造で復元されました。

橋爪門続櫓も中の見学が出来ます。

 

「三十間長屋」

極楽橋を渡って、三十間長屋へ向かいます。

三十間長屋は、幅3間、長さ26.5間の2階建ての櫓(やぐら)です。

石川門と同様に、海鼠壁(なまこかべ)です。

当時のまま現存する遺構は、石川門とこの三十間長屋です。

 

 

上の地図の様に、兼六園の前が金沢城の石川門です。

 

上の写真の赤丸印は、右から「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」、その手前の広場が「三の丸跡」です。

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4 コメント

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石川門 (hide-san)
2019-06-29 16:33:38
兼六園から石川門へ通じる橋まで来たら、
その奥は金沢大学ですと言われて引き返した記憶です。

ガイドさんが知らなかったのですね。

楽しく拝見しました。
ありがとうございました。
兼六園の前の石川門 (ウォーク更家)
2019-06-29 18:09:00
我々のツアーのガイドさんの説明では、金沢城の復元作業は比較的新しく、そのために、最近、金沢大学が別の場所に引っ越したと言っていました。

hide-sanのガイドさんのガイドさん説明は、ひょっとしたら、金沢大学の引っ越し前だったのかも知れませんね。
加賀百万石  (もののはじめのiina)
2019-07-01 09:10:17
兼六園には何度か見物してますが、金沢城には寄ってないです。

前田利家は、外様大名ですから加賀百万石を維持するため、天守閣を再建せずに無防備を装ったのでしょうね。
たしか、城の瓦に鉛を使用していて、いざ戦というときは鉄砲弾にする腹だったと聞きました。


誰もいないように見える県立相模原公園は、平日ですから子供連れはふれあい動物園の方に多かったです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/2786a91f49ea6c4e7e72b03621340f84



加賀百万石の金沢城 (ウォーク更家)
2019-07-01 10:19:23
そうなんですよね、金沢の観光コースには必ず兼六園が入っていますが、金沢城は何故か入っていないケースが多いんですよね。

そうですね、外様大名なので、幕府に遠慮して、天守閣を再建しなかったのかも知れませんね。

ええ、金沢城の戦闘についての最大の特徴は「鉛の瓦」で、戦いになると、溶かして鉄砲弾にするためだったそうです。

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