ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

丸岡城(福井県) 2019.6.13

 ( 丸岡城の天守)

我々の「奥の細道」バス旅行は、宿泊地の山中

温泉を出発して、丸岡城へ向かいました。

次頁の写真の「日本一短い手紙の館」の駐車場

でバスを下りて、駐車場の斜め前の「丸岡城」

へ向かいます。

「日本一短い手紙の館」は、信長と家康の連合軍が

武田を破った長篠の戦いの陣中から、家康の家臣

の本多重次が妻にあてた手紙を題材に建てられた

観光施設です。

”一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”

(日本一短い手紙)   

武士らしく余計な事には触れず、留守中には火事

に気を付け、 「お仙」(仙千代という彼の子供)

の面倒をよくみて、馬などの貴重品を大切にしろ、

という意味です。

簡潔明瞭に用件を伝える短い文ですが、その中

にも、家族を気遣う優しさが伺えます。 

ちなみに、「お仙」(仙千代)は、のちの丸岡藩

・初代藩主の本多成重の幼名です。

「丸岡城」は、戦国時代の1576年、一向一揆への

備えとして、織田信長の命により、柴田勝家が

甥の柴田勝豊に築かせ、城下町を整備させました。

柴田勝豊の後、城主は、安井氏、青山氏を経て、

1613年に本多成重(お仙)に代わりました。

しかし、4代目の本多重益は、酒に溺れ無能

だったうえに、家臣団内部の内紛まで発生した

ため、幕命により領地没収(改易処分)となり

ました。

1695年、本多氏に代わり有馬氏が、越後の糸魚川

から5万石で入城し、その後、幕末まで8代続き

ました。

丸岡城の天守は、姫路城や松本城などと共に

「現存12の天守」のうちの一つですが、この

現存天守の中では最古だそうです。(国重文)

丸岡城の「天守閣」の外観は二層、内部は三層の

「望楼型天守」です。(450円)

 

天守へと上る中の階段は、階段というよりも

”縄梯子”と言った感じのほぼ垂直の階段で、

必死で補助のロープを掴みながら、ようやく

3階の天守まで上りました・・・

 

天守からは、丸岡の町が一望できます。

上の写真の赤丸印の小学校のグランドの辺りが

「二の丸御殿」跡です。

天守の屋根は珍しい「石瓦」で葺かれており、

石の瓦の天守は全国でここだけだそうです。

これは、北陸は雪が多くて寒いため、普通の土の

瓦では割れてしまうからだそうです。

天守の石垣は、上の写真の様に、”野づら積み”

という古い方式で、隙間が多く、粗雑な印象

ながら、排水がよく大雨に崩れる心配がない

といわれています。

丸岡城の周辺は、築城400年を記念して造られた

公園で、園内の下の写真の「歴史民俗資料館」

には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。

 

丸岡城を出てから、名古屋駅から新幹線で東京へ

帰りました。

名古屋(17:39) → のぞみ 

→ (19:20)東京


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コメント一覧

ウォーク更家
丸岡城の天守
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、奥様とご一緒に、あの縄梯子の様な階段を上がって天守に登られたのでしたか。

そう、天守も非常に狭く、確かに、隠居所のような小さな城ではありました。

織田信長の時代は、越前一帯は柴田勝家の領土だったので、勝家は甥の勝豊に丸岡城を築城させたらしいですが、「歴史民俗資料館」にも、丸岡城が勝家が左遷された城だった、という説明はありませんでした。
hide-san
丸岡城
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
柴田勝家が左遷されたお城だったような記憶がありますが、
違いましたか?

カミさんと一緒に登って、隠居所のような小さな城だなあ、と話した記憶です。
ウォーク更家
お仙は丸岡城の初代藩主
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、小学生の教科書でしたか。

そうなんですよね、ほとんどの人が、お仙は娘の名前だと思っていますよね。

そうですか、仕事で丸岡はいつも通過でしたか。

そう、丸岡城の売りは、現存最古の天守らしいです。
もののはじめのiina
丸岡城 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d43504983ec6ba85432d23af0dfbf552
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の日本一短い手紙は、小学生で習った気がします。
お仙を娘さんと思ってましたが、丸岡藩・初代藩主の本多成重の幼名(仙千代)でしたか。 φ(..)メモメモ

丸岡は、いつも通過するばかりでしたが、お城が現存天守の中では最古だったとは("^ω^)・・・
垂直の階段を縄梯子で登ったのは、お疲れさまでした。


> 藤山直美は、顔も雰囲気も、ホントに父の寛美によく似ています。
遠目からでもよく似ていました。



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