ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

大垣城(岐阜県)(続日本100名城)  2019.10.10

2020-03-12 09:21:24 | Weblog

(写真は、大垣城の天守)

「奥の細道」のゴールの大垣を見学した我々のバス旅行は、

最後に、大垣城に立ち寄ります。


1600年の関ケ原の戦いでは、ここ大垣城は、西軍の石田三成

の本拠地となりました。

三成の本隊が、関ケ原に移動した後も、ここ大垣城では、

壮絶な攻防戦が繰り広げられました。

(関ケ原の戦いについては、「中山道を歩く・「関ケ原の戦い

   と「関ケ原の宿場町」を見てね。)  

かつての大垣城は、水堀を幾重にもめぐらせた堅城で、当時、

敷地は現在の3倍以上もあり、10もの櫓がある大規模な要塞

でした。

江戸時代に入ると、戸田家が大垣藩の藩主となり、以降、

戸田家は11代にわたって、大垣藩十万石の城主を続け

ました。

大垣城は、珍しい4層の天守を持っており、戦前には国宝に

指定されていました。

しかし、戦災で焼失、昭和34年に天守のみ再建されました。

現在、大垣公園となっている城址には、上の写真の様に、

大垣藩の初代藩主 ・戸田氏鉄の像が、城を背景に建って

います。

西軍に属していた大垣城は、関ケ原の戦いの際には、東軍に

よる猛攻を受けました。

上の写真の「おあむ」という名の女性は、落城寸前の大垣城

から脱出し、この戦いの様子を後の世に語り継ぎました。

「おあむ」は、城から脱出する際に、天守の脇の松に飛び移り、

そこから堀へ下りて、堀にあった「たらい」に乗り移って

逃げたそうです。

この「おあむ」が見た大垣城の籠城戦の様子は、「おあむ

物語」として後世に伝えられました。

 (おあむの松)

上の写真は「大垣城東門」で、下の写真の大垣城東門の右の

櫓は、戦前は国宝だった「艮隅櫓(うしとら すみやぐら)」

です。

この東門は、昭和34年に天守が再建された際に、大垣市内に

残っていた「柳口門」を移築したそうです。

上の写真は、昭和20年の米軍爆撃で焼失する前の、国宝

だったときの大垣城の天守です。

我々、バスツアーは、再建された天守への石段の坂を上って

行きます。

(入城料100円)

天守の中は、鉄筋コンクリート造りで、甲冑や古文書など、

大垣城にまつわる品々が展示されています。

また、当時の大垣城下の様子などをジオラマで見ることも

できます。

(大垣城下)

(大垣城設計図)

(大垣城)

(天守からの眺め)

 

以下の写真は、天守内部に展示されている、関ヶ原合戦の

前日に大垣城を舞台に起きた「杭瀬川(くいせがわ)の戦い」

の配置図とジオラマです。

関ケ原の戦いにおいて、西軍・石田三成が本拠地を置いた

この大垣城から、東軍が陣をおいた岡山(現在のお勝山)

までは約5キロです。

家康は大垣の北東の赤坂岡山に着陣しました。

そこで、石田側の島左近は、杭瀬川(くいせがわ)越しに

東軍をおびき出し、徳川軍を壊滅させました。

余り知られていませんが、関ケ原の戦いの前哨戦にあたる

この戦いでは、上記の様に西軍が大勝したのです!

(杭瀬川については、「中山道を歩く・赤坂」を見てね。)  

関ヶ原合戦後の大垣城の戦いでは、1週間の籠城戦を経て本丸

のみとなったところで、降伏・開城しました。

(大垣城に籠る西軍と、杭瀬川(くいせがわ)に出撃し東軍を

蹴散らす島左近、そして赤坂・岡山に陣取る家康率いる東軍)

(呂久の渡しの戦い:呂久の渡しについては、「中山道を歩く・

美江寺」を見てね。)  

 

 

 

ps. ご参考までに、これまでにご紹介した城を下記に書き出してみましたので、城に興味のある方はクリックしてみてださい。 なお下記の城名で、(100)とある城は「日本100名城」で、(200)とある城は「続日本100名城」です。

名護屋城(佐賀県)鞠智城(200)(熊本県)鹿児島城(鶴丸城)丸岡城(福井県)金沢城(100) 高岡城(100)(富山県)春日山城(100)(新潟県)川越城(100)(埼玉県)

小峰城(白河城)(100)(福島県)吉野ケ里(100)(佐賀県)韮山城(静岡県)

熊本城(100)(西南戦争)佐賀城(100)八代城(200)(熊本県)新発田城(新潟県)船岡城(宮城県)白石城(100)(宮城県)二本松城(100)(福島県)松代城(100)(長野県)上田城(100)(長野県)仙台城多賀城(100)(宮城県)

佐敷城(熊本県)一夜城(小田原市)小田原城小田原城・北条五代祭り大田原城(栃木県)箕輪城(群馬県)喜連川城(栃木県)勝山城 (栃木県)忍城(200)(埼玉県)沼田城(200)(群馬県)名胡桃城(200)(群馬県)

小机城(200)(横浜市)熊本城(100)(被災後)館山城(千葉県)宇都宮城徳次郎城(栃木県)金山城(100)(群馬県)小山城(栃木県)古河城(茨城県)今治城(100)(愛媛県)彦根城(100)福江城(200)熊本城(100)(被災前)

岐阜城(100)犬山城(100)(岐阜県)小倉城(200)福岡城(100)苗木城(200)(岐阜県)島原城(100)水口城(滋賀県)亀山城桑名城吉田城(200)(愛知県)浜松城(200)掛川城(100)

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4 コメント

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川を下る (hide-san)
2020-03-16 11:47:50
芭蕉は大垣を最後に水門川を下って、揖斐川に出て、
二見ヶ浦がある伊勢に向かったとありますが、

この杭瀬川を渡ったのでしょうか?
いずれにせよ一番外側のお堀を下ったのでしょうね。

それにしても十重二十重にお堀があるのに驚きです。
水門川を下る芭蕉 (ウォーク更家)
2020-03-16 13:30:48
お城が、川の流れの十重二十重の堀に囲まれている事から分かる様に、この辺りの川の流れは非常に複雑です。

従って私もよく分からないのですが、水門川はこの先で、どうやら、杭瀬川、揖斐川に合流しているらしいです。

ですから、芭蕉も、水門川、杭瀬川、揖斐川と進んだのかも知れません。
交通の要  (もののはじめのiina)
2020-03-20 09:12:29
かなり詳しくされた「大垣城」でした。
                    更家さんには、思い入れのあるお城なのですね。
その昔の深夜に、東海道線下りの各駅停車が「大垣」行だけが1本が走ってましたが、いまは、寝台車さえなくなりました。

若いころに福井迄日帰り出張した際に「大垣」駅で北陸線に乗り換えました。関ヶ原の地は交通の要所だったのが今に伝わります。

「おあむ物語」は、ドラマ化したら面白そうです。


神奈川座間の宗仲寺本堂天井の龍は、寺に説明がありましたが、WEBにヒットしないため著名ないわれはなさそうです。



交通の要の大垣 (ウォーク更家)
2020-03-20 11:28:11
そうそう、昔ありましたね、「大垣行」き。

私も若くて金がないころ、深夜の東海道線・各駅停車「大垣」行で、関西に出かけていました。

そう、今はどこへ行くにも新幹線なので、寝台車さえなくなりましたね。

そうでしたか、福井出張は「大垣」で北陸線に乗り換えでしたか。

確かに、そいう意味でも、関ヶ原は交通の要所だったんですね。

それにしても、昔の福井迄日帰り出張とは、厳しいですね。

なるほど、ドラマ「おあむ物語」、面白そうです。

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