ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

鞠智城(続日本100名城)(熊本県菊池市)  2019.10.31

2019-12-16 11:13:44 | Weblog

 

 

(写真は、鞠智城の鼓楼)

所用で実家の熊本に帰省した際に、近年、城跡が発掘・整備されたという「鞠智城」(きくちじょう)へ行ってみました。

 

663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで、「大和朝廷」は、唐と朝鮮の新羅の連合軍に大敗しました。

大和朝廷は、唐と新羅の連合軍による日本への侵攻を恐れ、「大宰府」を守るために福岡県に「大野城」を、その後方支援基地として熊本県に「鞠智城」(きくちじょう)を築きました。

 

熊本市の中心街の上の写真の桜町バスセンターから、産交バスで1時間の菊池プラザで下車します。

上の写真の菊池プラザバス停からタクシーで5分(1,220円)の「鞠智城跡」に着きました。

「鞠智城跡」は、台地状の丘陵に築かれた「古代山城」で、国の史跡に指定されています。

昭和42年からの発掘調査により、八角形の建物跡をはじめ、72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、当時の姿を物語る遺構が相次いで発見されました。

これらの発掘調査に基づき、平成6年から、4棟の復元建物(八角形の鼓楼、米倉、兵舎・板倉)をはじめ、城の土塁などの整備を進めています。

入口近くには上の写真の「温故創生館」があり、館内には、下の写真の様な鞠智城のジオラマがあり、鞠智城の構造などのビデオも放映していました。

温故創生館の前には、写真の「温故創生之碑」が建っています。

 碑の人物像は、防人(さきもり)とその妻子などです。

鞠智城の防人は、軍務に従事しつつ、空き地を開墾して食料を自給していたそうです。

防人は、一般的には、3年交代でしたが、年限を過ぎても帰郷出来ない者もいたみたいです。

因みに、故郷への帰りの旅費は、自腹だったそうです。

「鞠智城跡」の敷地内を、矢印の道順に従って歩いて行きます。

写真の建物は、見張りのための「鼓楼」で、三層目に置かれた太鼓で合図したり、時を知らせたりしていました。

古代山城で八角形をしているのは、ここ鞠智城だけだそうです。

上の写真は、校倉(あぜくら)造りの高床式の「米蔵」で、米などの穀物を保管していました。

写真は、「兵舎」で、鞠智城の守りについた防人たちが暮らすための建物です。

上の写真は、「板蔵」で、武器や武具の武器庫です。

上の写真は、城内の建物の礎石です。

矢印に従って、城跡の中でも、もっとも高い展望台へ向かいます。

上の写真の「灰塚」展望台からは、見事なパノラマが広がります。

 上の写真の様に、遠くには、長崎県の雲仙岳まで望めます。

展望台から、いったん、八角形の鼓楼へ戻り、次に、城域の南側を歩いて行くと、写真の「堀切門跡」がありました。

上の写真は、城の南側の防衛ラインである「南側土塁線」です。

その先にも、矢印が続いていますが、この先は、かなりの高低差もありそうで、パンフレットの地図を見ながら、城跡を一周するコースは諦めました。

 

鞠智城跡の入口にある温故創生館からタクシーを呼び、そこから5分の菊池市の中心部にある「菊地神社」へ向かいます。

「菊池市」は、菊池一族の発祥の地であり、戦国時代には、肥後国(熊本県)の中心地でした。

尚、南北朝時代に活躍した「菊池一族」の「菊池城」は、同じ菊池市の「隈府(わいふ)」にあり、上記の「鞠智城」とは関係ありません。

上の写真は、南北朝時代に南朝側で戦った菊池氏3代を祀る「菊地神社」で、その横に下の写真の「菊地市民広場」があります。

写真は、菊地市民広場の「菊池武光公・騎馬像」です。

「菊池一族」は、平安時代から室町時代の後半までの約450年、九州で活躍した一大豪族でした。

その「菊池一族」の中で、「菊池武光」は、南北朝時代の15代当主でした。

足利尊氏の北朝が有利な情勢の中、武光は、南朝の後醍醐天皇の皇子の「懐良(かねなが)親王」を盛り立てて、北朝からは百戦錬磨の勇将として恐れられました。

武光は、向かうところ敵なし、百戦百勝、遂には、太宰府を占拠して九州を統一します。

しかし、その後の南朝に不利な状況の中で、南朝の雄として最後まで戦い抜き、そのひたむきな姿勢は後世まで語り継がれました。

菊地市民広場の脇の写真の「菊地温泉」の日帰り温泉でひと風呂浴びます。

温泉を出て、メインストリートを、菊池プラザまで歩き、そこからバスで、熊本市の中心街の桜町バスセンターへ戻りました。

以下は、菊地のメインストリート沿いの建物です。

メインストリート沿いの写真の椋(むく)の木は、前述の「懐良親王」のお手植えとされる「将軍木」です。

 

(鞠智城跡の全体図)

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5 コメント

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八角形のお城 (hide-san)
2019-11-29 17:38:14
八角形のお城で思い出したのが信長の安土城、
本能寺で信長が亡くなった後、
お城は原因不明の失火で焼失したようですが、
それを再現したお城の天守が四角形で、
その下が八角形であったことが解っているようです。

現在の安土町にある信長の館に再現されています。

https://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/459c96c0591584af90f69f68aca5c8f6暗唱してください)
↑矢印 (hide-san)
2019-11-29 17:40:24
信長の館のURLを「暗唱してください」は
「参照してください」の間違いです。
八角形の安土城 (ウォーク更家)
2019-11-29 19:29:31
そうでしたか、知りませんでした。
信長の安土城の天守閣は、最上部の6階が正方形、5階が正八角形でしたか。
日本では、特異で珍しい形状ですよね。

因みに、鞠智城の建物が八角形なのは、当時、百済の亡命者が、朝鮮式山城を念頭において建築指導したためらしいです。
菊池温泉の鞠智城  (もののはじめのiina)
2019-12-01 08:37:18
「鞠智城(きくちじょう)」が八角形とは、白村江(はくすきのえ)の戦いの後に建てられた古城ですから、
信長の安土城の天守閣に似た斬新な建物でした。^^

菊池温泉を尋ねた時に知っていたら、必ず寄りましたのに・・・("^ω^)
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0b65538b9d60295d7a02442493f4fb29

阿波踊りは、ことしで第43回を迎えるお祭に成長しています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1eaabe6118584068ca83c657e6882dfa



菊池温泉と鞠智城 (ウォーク更家)
2019-12-02 16:37:13
そうでしたか、iinaさんのブログを見ると、菊池温泉以外に菊池渓谷も訪れたんですね。
菊池渓谷は夏には最高の場所ですよね。

鞠智城は、何故か、地元でも余り宣伝していないので、立ち寄りを思いつかないかも知れません。

そうなんですよね、私は、鞠智城の八角形は日本で唯一と思い込んでいたので、信長の安土城の天守閣の八角形との類似性には気付きませんでした。

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