ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その26)  ( 「念珠ケ関」: 山形県)     2018.7.12


(写真は、念珠ケ関の関所跡)  

我々の「奥の細道」バス旅行は、山形県の酒田市を出た後、
バスで40分で、同じ県内の鶴岡市に着きました。


車窓から前頁の写真の鶴ヶ岡城跡を見物したあと、鶴岡の
市街地を少しだけ散策します。

「藤沢周平」が愛した故郷の「鶴岡」の風景は、しばしば

小説の舞台の「海坂藩」として登場します。

鶴岡の街は、写真の様に、少し寂れていますが、でも

レトロな感じで雰囲気があります。

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上の写真は、荒れ果てていますが、鶴岡城下の庄内藩士

「長山重行宅」跡で、芭蕉はここで3日間を過ごし

ました。
次頁の写真は、「内川乗船地」跡です。
鶴岡城下の長山重行宅を出た芭蕉は、近くの内川の船着場
から、船で酒田に向かいました。



 ”あつみ山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み”
 (折からの暑さに縁のある名の「あつみ山」が彼方に見え、
暑気を吹き払うという名の「吹浦」も見渡され、この眺望
を見渡しながらの夕涼みは気持ちのよいことよ。)

 (塩俵岩)
我々のバス旅行は、鶴岡市の郊外の温海(あつみ)町で、

上の写真の塩俵岩(しおたわらいわ)の「芭蕉句碑」を

見るために下車しました。



次に、我々のバス旅行は、同じ温海町の鼠ヶ関(ねずがせき)
で下車して、上の写真の「念珠ヶ関(ねずがせき)」跡を
見学します。

実は、ここ鶴岡市の温海(あつみ)町の鼠ヶ関には、関所跡

が二ヶ所あります。

古代の関所址である「古代・鼠ヶ関(ねずがせき)」と、

江戸時代に設置されていた上の写真の「近世・念珠ヶ関

(ねずがせき)」です。

同じ「ねずがせき」と読みますが、古代と近世で字が異なり、
また場所も少し離れていて違う場所です。

「古代・鼠ヶ関」は、平安時代には、白河関、勿来関
(なこそのせき)と共に「奥羽三大関所」と呼ばれました。

もともとは、蝦夷(えみし)の侵入を防ぐための関でしたが、
出羽国(山形県)と越後国(新潟県)との国境に位置して

いたので、東北地方への玄関口となりました。

1186年、兄の源頼朝に追われた源義経の一行は、奥州・

平泉を目指して、京から琵琶湖を渡り、越前、越後と

日本海を北上、ここ念珠ヶ関に着きました。

歌舞伎の名場面「勧進帳」の舞台となったのは、一般には、
現在の石川県の安宅関(あたかのせき)とされています。

しかし、石川県の海岸線に安宅という地名はあるものの、
平安~鎌倉期に、この安宅関が実際に在ったかどうかは

疑わしいとされています。

逆に、ここ鼠ヶ関には、義経から伝えられた矢立て、扇、
般若心経が残っているらしいです。

更に、ここには、関守の富樫左衛門と同じ富樫姓が多いこと
などから、「勧進帳」の関所は、実はここ「念珠関」だと、
地元の温海(あつみ)観光協会は主張しています。

次頁の写真は、ここ「念珠ケ関」跡が、「勧進帳」の「本家」
だと主張する看板です・・・ 



「勧進帳」とは、寺院建立の資金集めの趣意を記した巻物で、
山伏などが、民衆から寄付を集めるときに読み聞かせます。

義経の一行が、山伏姿で「安宅の関」にさしかかり、関を
越えようとしたその時に、関守の富樫に見とめがられ、

詮議が始まります。

弁慶は、白紙の巻き物を広げ、あたかも勧進帳であるかの
ように朗々と読み上げます。

しかし、顔が義経に似ていると食い下がる関守の富樫の前で、
弁慶は、「義経に似ているお前が憎い!」と、主である義経

を打ちすえます。

その弁慶の忠義の心に感じた富樫は、その嘘を見破りながら
も、義経一行を通してやります。

現在の「念珠ヶ関番所跡」は、弁慶の勧進帳の時代のもの

ではなく、江戸時代のもので、「近世・念珠ヶ関」と

呼ばれ、明治5年に廃止されました。

そして、大正13年に、内務省が「史蹟・念珠関址」として
指定史蹟に認定しました。

上の写真は、その内務省が認定した際の石碑で、正面には
「史蹟念珠関址」、右側面には「内務省」、左側面には
「昭和二年三月建設」と刻まれています。




我々は、次に、念珠ヶ関の近くの温海町の弁天島へ向かい
ます。


源義経は、舟で念珠ヶ関に着き、海に突き出したこの弁天島

に上陸しました。






上の写真は、「源義経碑」(源義経の上陸記念碑)で、
昭和41年のNHK大河「源義経」放映の際に、「源義経」の
作者で直木賞作家の「村上元三」の揮毫により建てられた
ものです。

我々のバス旅行は、念珠ケ関跡・弁天島を出た後、日本海の
海岸沿いに南下します。

やがて、山形県から、新潟県の村上市に入り、村上市の
笹川集落の「笹川流れ」の絶景の海岸線に沿って進みます。



見事な景観を誇る延長11キロメートルの「笹川流れ」は、
海水が日本屈指の透明度を誇る国の名勝天然記念物です。


海水浴、釣り、キャンプ、遊歩道散策はもちろん、遊覧船
から、海岸にそびえ立つ雄大な造形美の岩を眺めることも
出来ます。


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コメント一覧

ウォーク更家
芭蕉の生地には2説あり
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
歴史で証拠がない場合は、そう、「少しでも早く言って、マスコミに取り上げられたもん勝ち」ですよね。

えぇ~!?、芭蕉の生地は、三重県の伊賀上野で確定だと思っていたのですが、2説あって違うんですか~?!
ショック!
我々の奥の細道のバス旅行は、最終ゴールが伊賀上野なんですが・・・
こもよみこもち
おはようございます。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
義経の時代に遡ると、証拠もないので「行ったもん勝ち」になるのもしかたがないのかな。
こういう類いのはなしは全国にありますね。
近世でも芭蕉の生地に関しても2説あって、
市町村間の争いになっているようです。
ウォーク更家
勧進帳の肝心な見せ場
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、弁慶が、主君を富樫の前で打ちすえる、という場面がツボで、巧みに大衆の心をとらえ、良く出来ていますよね。

江戸時代に、この場面を見ていた人たちは、例え粗筋を知っていても、涙したのでしょうね。
hide-san
勧進帳
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
>関守の富樫の前で、弁慶は、「義経に似ているお前が憎い!」と、主である義経を打ちすえます。

ここが肝心ですね!(笑)
勧進帳の見せ場です。
ウォーク更家
富山にも安宅の関が「あったかぁ~」 
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
えぇ~?、安宅の関は、富山県にもあるんですか~!

こうなってくると、”言ったもん勝ち”ですね。

「本家」に「元祖」に、次は何でしょう・・・

まあ、歌舞伎の舞台ですから、敢えて、多少曖昧な設定にしているのかもしれませんね。

そう、このバス旅行では、芭蕉が、日本の奥の奥の細い道を歩いて行ったのを実感しています。
もののはじめのiina
安宅の関 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b3df16e0c8adbd6193725f509da66c0f
安宅の関は、鶴岡にも「あったかぁ~」・・・
      石川県にも富山県にもあって、いずれも勧進帳の「安宅の関」とされる跡を見物しました。

芭蕉たちは、日本の奥の奥の細い道を歩いて行ったのですね。


「シンフォニック・ゲーマーズ」視聴は、クラシックを聴けると勘違いして応募しました。

> 大和市の図書館の2周年記念と阿波おどりの関係はよく分かりません・・・
地元では、阿波おどりが40回以上を超える代表的な祭ですから、景気づけに参加をお願いしたのでは・・・❔
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/511cf318f08a14ec718c1b04ef05e799



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