(「東海道四谷怪談」の主人公の「お岩」さんが祀られている
「於岩稲荷田宮神社」)
前の2回で、日本橋をスタートして、一石橋、桜田門、
半蔵門、四谷見附まで来ました。
今回は、四谷見附から、新宿を目指して、「新宿通り」(甲州
街道)を進みます。
ここからは、新宿通り沿いのお寺や神社を拝観しながら歩く
予定ですが、地図を見ると、この辺りは迷路の様に入り組んだ
路地なので不安です。
そこで、携帯のマップナビを片手に、四谷二丁目付近の左側
の狭くて入り組んだ路地を進んで行きます。
マップナビのお陰で、迷わずに、入り組んだ路地の奥の
目的の上の写真の「西念寺」に着きました。
小さなお寺も、携帯に入力すれば、ほとんど地図が出てくる
ので、なかなかの優れものです。
「西念寺」の境内には、上の写真の「半蔵門」の地名で有名な
「服部半蔵の墓」と、次頁の写真の「徳川家康の長男の信康の
供養塔」がありました。
歴史上は、家康の長男の信康は、母の築山殿と共謀して甲斐の
武田氏と内通したため、信長の厳命により、家康は泣く泣く
自分の息子の信康に切腹を命じた、とされています。
しかし、近年の説によると、信長は家康に「処分は任せる、
家康の思い通りにせよ」と言ったのにも拘わらず、実際には、
家康が自身の判断で長男の信康を切腹させた、そうです。
従って、後年になって、歴史が書き換えられたというもの
です。
つまり、江戸時代には神様として崇められた家康が、自分の
長男に切腹を命じるなど、そんな無慈悲な行為をするハズが
無いと、後世の家臣達が忖度して書き換えたらしいのです。
果たして、真実は、家康の信長への行き過ぎた忖度か、
それとも家康と信康のドロドロした権力抗争か、はたまた、
家康本来の無慈悲な性格によるものだったのか?
次に、携帯のマップナビを片手に、狭くて曲がりくねった
路地を「於岩(おいわ)稲荷田宮神社」を目指します。
「於岩(おいわ)稲荷田宮神社」は、次頁の写真の様に
狭い敷地の中にひっそりと建てられていました。
この神社には、江戸後期の歌舞伎脚本家・鶴屋南北の「東海道
四谷怪談」(注)の主人公の「お岩」さんが祀られています。
(お岩さん:NHKBS・TVプレミアムカフェ「東海道
四谷怪談」から)
(注)「東海道四谷怪談」のあらすじ
江戸時代、四谷の左門町に、「民谷(たみや)伊右衛門」と
妻の「お岩」が住んでいました。
伊右衛門は、婿養子の身でありながら、自らの立身出世の
ために、上役の娘と重婚して子を儲けてしまいます。
お岩が邪魔になった伊右衛門は、毒薬を盛ってお岩を
殺します。
伊右衛門は、お岩殺しの罪を被せるために小仏小兵衛を
殺害して心中に見せかけ、お岩と一緒に川へ流しました。
その後、伊右衛門は、お岩の怨霊に取り憑かれます。
また、お岩の祟りによって、伊右衛門の関係者が次々と
死んでいきました。
(NHKBS・TVプレミアムカフェ「東海道四谷怪談」から)
(NHKBS・TVプレミアムカフェ「東海道四谷怪談」から)
(NHKBS・プレミアムカフェから)
(NHKBS・TVプレミアムカフェ「東海道四谷怪談」から)
当時、歌舞伎「東海道四谷怪談」は、江戸・中村座で公演
され、大評判となりました。
東海道四谷怪談はフィクションですが、実は、江戸時代に実在
したモデルがいました。
実在のモデルの「お岩」さんは、家が傾いていた「田宮家」
を、夫の「伊右衛門」と共に建て直した”賢妻”でした。
「お岩」さんは、”賢妻”として江戸の有名人だったので、
後には、多くの人々が、四谷のこの「田宮家」の庭にあった
屋敷社(現在の「於岩田宮稲荷神社」)に参拝しました。
この話を知っていた作者の鶴屋南北は、有名だった「お岩」
さんと「伊右衛門」の名前だけをちゃっかりと拝借して、
当時、世相を騒がせていた事件をストーリーに織り込み、
「東海道四谷怪談」を書き上げました。
このため、実在した「田宮伊右衛門」を「民谷(たみや)
伊右衛門」に変え、場所も「甲州街道の四谷」を実在しない
「東海道の四谷」とボカシました。
現在は、歌舞伎で東海道四谷怪談を演じる役者が、上演中の
無事を願うために、ここに参拝しているそうです。
因みに、この於岩田宮稲荷神社の現在の宮司は、田宮家の末裔
だそうです。
「田宮稲荷神社」を出ると、路地を挟んだ向かい側に
「陽運寺」がありました。
次頁の写真の様に、「於岩霊堂 陽運寺」とあります。
え?、こちらも「於岩(おいわ)」霊堂 なの。
う~ん、何か於岩稲荷神社と紛らわしいお寺の名前だなあ~?
「於岩稲荷田宮神社」がお岩さんを祀る神社なのに対して、
こちらは、お岩さんを祀るお寺みたいです?
昭和期の開山だという、この陽運寺は、なかなかの商売上手
で、狭い境内に、甘味処、喫茶、記念品売り場があます。
本家の於岩稲荷田宮神社には、訪れる人もいないのに、こちら
のお寺は、若い女性が大勢訪れていました。
上の写真は、「お岩さんゆかりの井戸」ですが、皆さんが混同
するといけないので、念のため以下に説明しておきます。
井戸の脇で、夜な夜な「いちま~い、にま~い... 」と皿を
数える幽霊は、「お岩」さんではなくて、「番町皿屋敷」の
「お菊」さんです。
まあ、どちらも、フィクションの怪談ではありますが・・・
陽運寺の前の狭い路地を歩いて行き、新宿通りに戻ります。
更に進んで行くと、やがて、次の宿場町の「新宿」の入り口
である、新宿通りと新宿御苑トンネルの分岐点が見えて
来ました。
(上の写真の右側が「新宿通り」で、左側に「新宿御苑
トンネル」の上の方が微かに見えます。)