ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

伊東温泉(1/2):曽我兄弟の首塚(静岡県)  2019.12.29

2020-01-24 09:42:46 | Weblog

(写真は、曽我兄弟の首塚)

 

伊豆・熱海・箱根の一帯で、私が一番好きな温泉地は「伊東温泉」です。 

昨年の年末は、伊豆の伊東温泉にある「曽我兄弟の首塚」(注)にお参りに行き、伊東温泉で1泊しました。

(注)「曽我兄弟」 : 源頼朝が行った富士の裾野の”巻狩り”(当時の軍事演習)の際に、「曾我五郎」と「曾我十郎」の兄弟が、父親の仇である「工藤祐経(すけつね)」を討ちました。

                       しかし、兄の十郎は、騒ぎに気付いた武士たちに討たれ、弟の五郎は取り押さえられて斬首されました。

            兄の十郎には、東海道の大磯宿に、恋仲の「虎御前」(とらごぜん)がいましたが、仇討ちの後、虎御前は、兄弟の遺骨を持って出家します。

            その後、虎御前は、兄弟の仇討ち話を語り継いでいきますが、この話が次第に世間に広まり、江戸時代に入ると、歌舞伎などで、”曽我物”として演じられ、人々の心をとらえました。

(富士の裾野仇討ちの図:伊東温泉・東海館の展示パネルから)

  

(小田原の曽我梅林で売られている曽我兄弟の「五郎餅」)

          (「曽我兄弟の墓」がある城前寺については、 「曽我梅林」(小田原市)を見てね。)

          (大磯宿の虎御前の墓については、 「バスで行く東海道・保土ヶ谷~大磯」の「8.大磯」を見てね。)

 


我が家から徒歩10分で新横浜駅、新横浜駅から新幹線で25分で熱海駅、熱海駅から伊東線で5駅の20分で、目的の伊東駅です。

伊東駅の観光案内所で、伊東市街地の散策地図を貰って、市街地の外れにある「東林寺」を目指して歩いて行きます。

 

東林寺の手前に、写真の「葛見(くずみ)神社」がありました。

神社の本殿の左手奥には、国指定天然記念物の写真の「大クス」があります。

 

葛見神社の先に、今回の旅行の目的地の「東林寺」がありました。

「曽我兄弟」が、母の再婚先に預けられた関係で、曽我兄弟は、その父や祖父とは苗字が異なり混乱してくると思いますので、先ず、下記の苗字の関係を頭に入れてから、先に進んで下さい。

「曽我兄弟」は「曽我十郎」と「曽我五郎」、兄弟の父は「河津三郎祐泰(すけやす)」、兄弟の祖父は「伊東祐親(すけちか)」、そして仇が「工藤祐経(すけつね)」です。

「東林寺」は、伊豆の豪族である「伊東祐親」(曽我兄弟の祖父)が、殺害された自分の息子の「河津三郎祐泰」(曽我兄弟の父)の菩提を弔うために創建した寺です。

曽我兄弟の父の「河津三郎祐泰」は、領地争いが原因で、「工藤祐経」に殺害されました。 

殺害された「河津三郎祐泰」の2人の息子(曽我兄弟)は、母の再婚先の「曽我家」で成長し、富士裾野で、父を殺害した「工藤祐経」を討ち取り、仇討ちを果たしました。

これが、冒頭でご説明した「曽我兄弟の仇討ち」です。

伊東家の位牌などが並ぶ東林寺の本堂は拝観自由ですが、私が訪れたときは、法要の最中だったため拝観は出来ませんでした。

東林寺の境内の鐘楼の脇から、裏山に上る急な細い山道があり、この坂道をしばらく登ると、「曾我兄弟」の首塚がありました。

「曾我兄弟」の2つの首塚の横には、曾我兄弟の父の「河津三郎祐泰」の墓もありました。

仇討ちを成し遂げた曾我兄弟の首塚は、父の祐泰の傍らで、父の無念を晴らしたことを自慢げに報告しているようです。

(右側が曽我十郎の首塚)

(曽我五郎の首塚)

(河津三郎三郎の墓)

碑には、「曽我之十郎祐成御首塚」、「曽我之五郎時致御首塚」、「河津三郎祐泰之墓」と彫られていました。

東林寺を出て、祐泰の父の「伊東祐親」(曽我兄弟の祖父)の墓へ向かいます。

「伊東祐親」(曽我兄弟の祖父)の墓は、伊東家の菩提寺である東林寺のすぐ近くにあるだろうと思っていましたが、意外と離れた、東林寺の向かいの岡の上にあり、かなりの距離を歩いて行きます。

「伊東祐親の墓」には、写真の様に、祐親のものと伝わる五輪塔がありました。

 

曽我兄弟関連の史跡巡りを終わって、歩いて市街に戻ります。

写真は、明治時代の有名な詩人でありながら医者でもあった木下杢太郎の実家です。

「木下杢太郎記念館」として公開されていますが、残念ながら、年末年始は休館でした。

ここから、市街地の中心を流れる松川沿いに、海岸へ向かって歩いて行きます。

  写真の「東郷記念館」は、日本海海戦で有名な「東郷平八郎」元帥が、昭和4年に夫人の療養のために建てた別荘です。

東郷平八郎も、晩年はこの建物で過ごしたそうです。

ボランティアのオジサンが、建物の内部を詳しく説明してくれました。

海岸に出ると、写真の「按針メモリアルパーク」がありましました。

説明板によると、将軍徳川家康の命を受けて、ここで、日本初の洋式帆船を建造したのだそうです。

按針メモリアルパークの横は、写真の「なぎさ公園」です。

 

 

ps.更に複雑な曽我兄弟の仇討の背景

伊豆に流された「源頼朝」は、北条政子と出会う前に、「八重姫」と愛し合い、「伊東温泉」で密会を重ねました。

しかし、何と!、この「八重姫」の父は、罪人である「頼朝」の監視役であった「伊東祐親」でした。

そう、驚くことに、”曽我兄弟の祖父”の「伊東祐親」は、「源頼朝」の監視役だったのです!!

「伊東祐親」は、平家の役人であり、頼朝の監視役という立場もあり、罪人の頼朝と自分の娘の関係を知り、激怒します。

そして、無残にも、何と!、頼朝と八重姫の子の「千鶴丸」を殺し!、二人の中を引き裂きます。

この曽我兄弟の祖父の「伊東祐親」は、源頼朝が挙兵すると平家の側に付いて戦いましたが、富士川の戦いで破れ、最期は自刃しています。 

この様な状況を利用して、「工藤祐経」は、頼朝に取り入って、「伊東祐親」の「伊東荘」を奪ったのでした。

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6 コメント

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鎌倉時代  (もののはじめのiina)
2020-01-27 08:53:34
曽我兄弟が仇討した伊東祐親は、源頼朝に取り入ってましたから、捕まった弟の五郎は斬首されるのは仕方なかったですね。

人気の曽我兄弟の墓は、幾つかあるようです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a8bfe4533efc472a51187463d9191017

頼朝の監視役の娘と恋仲になるとは、頼朝は源氏再興を図っていた形跡がありますね。
その後、北条政子に乗り換えて再興を果たしますが、こんどは北条家に源氏を利用されたヤヤコシイ鎌倉幕府の構図をみるようです。



鎌倉時代の仇討ち (ウォーク更家)
2020-01-27 09:34:27
そうなんですよ、実は、頼朝は、兄弟の孝心に感じ入り、助命をしようとしましたが、頼朝に取り入っていた仇の工藤祐経の遺児の猛反発があり、やむなく斬首を命じたそうなんですよ。

そう、頼朝の監視役の娘と恋仲になり、その後、北条政子に乗り換えて再興を果たしたものの、次は、北条家に利用されるという、ヤヤコシイ鎌倉幕府の流れですよね。

そうでしたか、小田原以外にも、国道1号線の箱根にも曽我兄弟の墓がありましたか。

えぇ~っ!、まさか!、全国に14箇も墓が!、中には怪しげなのもありそうです・・・

因みに、伊東の石碑は、兄弟の父の河津三郎祐泰が、相撲の決まり手の「かわづがけ」を編み出したほどの相撲の名手だったため、昭和34年に、相撲協会によって、父の墓の隣に兄弟の石碑を建てられたらしいです。

従って、河津三郎祐泰の石碑は墓と彫られていますが、兄弟の石碑は墓ではなくて首塚と彫られています。
曽我兄弟 (hide-san)
2020-01-28 17:11:55
富士の裾野の敵討ちは子供の頃に絵本で何回も読み返しましたが、
まさかこんな所に物語の痕跡が残って居るとは、
ありがとうございました。
また一つ勉強になりました。
曽我兄弟の絵本 (ウォーク更家)
2020-01-28 17:36:27
ええ、私も、子供の頃、富士の裾野の敵討ちを絵本で見た記憶があります。

やはり、有名な物語だけに、人々の記憶と史跡としての痕跡があちこちにキチンと残っているのでしょうね。
伊豆半島 (コスモタイガー)
2020-01-29 13:10:08
曽我兄弟については詳しく知りません。
これはこれは勉強になりました。

伊豆は頼朝の拠点の地。
あとは幕末のペリー来航のイメージがありますが、学生時代にゼミ合宿だったかな?
そこで城ケ崎周辺に行ったきり。
まったくの手付かずです。

名古屋からですと、新幹線だと熱海・三島あたりが入り口になるわけですが。
「ひかり」か「こだま」になってしまうので、横浜や東京に行くより時間がかかるんですよね…。
伊豆半島と頼朝 (ウォーク更家)
2020-01-29 22:08:57
コメントをありがとうございます。

そうでしたか、伊豆は学生時代のゼミ合宿の地でしたか。

ええ、新幹線ののぞみで名古屋からだと、熱海や三島には停まりませんものね。

やはり、何と言っても、伊豆は頼朝関係の史跡が多いです。
最も、中には、信憑性の薄い史跡もありますが・・・

名古屋辺りだと、やはり、戦国大名関係の史跡が多いでしょうか。

私は、近場の伊豆半島には、温泉や観光で出かけることが多いのですが、そのお陰で、最近は、だんだんと頼朝の歴史に詳しくなってきました。

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