ウォーク更家の散歩 (東海道を歩く、中山道を歩く)

「東海道五十三次を歩く・完全踏破の一人旅」
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熊本・天草の﨑津集落 (長崎と天草地方の 潜伏キリシタン関連 世界遺産)

2019-01-23 11:08:53 | Weblog

(写真は、世界遺産の﨑津集落の﨑津教会)

昨年の冬、実家の熊本に帰省した際に、世界遺産・天草の﨑津集落へ行って来ました。

(五島列島の潜伏キリシタン関連世界遺産については、五島列島を見てね。)

熊本交通センターで、「快速あまくさ号で行く世界文化遺産:天草の﨑津集落」のセット券を購入します、(4,000円・日帰り)

この券は、熊本市内から天草・本渡までの往復バス乗車券と、天草・本渡発の「﨑津集落・世界遺産観光周遊」バス乗車券がセットになっておりお得です。


「快速あまくさ号」バスは、熊本交通センターから天草の本渡まで、一般道を2時間以上かけて走ります。


熊本交通センター (10:30)→ 本渡バスセンター (12:43)

本渡バスセンターで、「天草ぐるっと周遊バス」に乗り換えます。

この観光コースは、本渡バスセンターを出発して、約4時間かけて、下記の潜伏キリシタン関連の世界遺産を回り、再び本渡バスセンターに戻って来ます。

本渡バスセンター(13:20) → 天草コレジョ館 → 﨑津教会、﨑津集落 →  大江教会 → 天草ロザリオ館 → 本渡バスセンター(17:20)



「天草ぐるっと周遊」は、ガイドさんが4時間も添乗していて、何と!、1,000円と破格の値段です。

これは、天草市の補助によるみたいで、今後の料金は天草市の来年度予算次第みたいです。

このバスガイドさんは、自身が崎津集落の出身で、ずっとこのバスのガイドを8年間も努めているそうです。
世界遺産の登録までは、お客は1日に1~2人の日が多かったのに、世界遺産になったとたんに、1日に10~20人に増えたそうです。

そう言えば、この日も、北海道、東京、佐渡、奈良、大阪、神戸などからのお客で、九州のお客は1人もいませんでした。

このバスガイドさんは、走行中、休むことなく天草の地理と歴史などを詳細に解説してくれたので、おかげで天草についてすっかり詳しくなりました。



最初の見学地は、写真の「天草コレジヨ館」です。


コレジヨ(英語読みではカレッジ)というのは、聖職者のための神学校です。

天草に伝わる南蛮文化や、コレジヨ関連の資料が展示してあります。

中でも見どころは、写真のグーテンベルク印刷機(複製)です。

日本人として初めてヨーロッパを旅行した4人の少年使節団(天正少年遣欧使節団)によって持ち帰られた印刷機を忠実に復元しています。

当時の天草では、当時、下の写真の「平家物語」の様な「天草本」(キリシタン本)と呼ばれる印刷物が、毎回1,500~3,000部も出版されていたそうです。



次に、「崎津集落」に到着しました。






写真は、ゴシック様式の「﨑津教会(天主堂)」で、現在のものは、昭和9年に、鉄川与助が設計施工して再建されたものです。

この﨑津教会は、禁教期に絵踏が行われた「庄屋役宅跡」に建立され、何と!、教会の祭壇は、かつて絵踏が行われていた場所に設置されたそうです!!

信者の人達は、弾圧の象徴であるこの場所に拘ったんですねえ。

でも、建設途中で資金不足になり、上の写真の様に、教会の前方は鉄筋ですが、後方は木造と、変則的な造りになったそうです。

教会内は、珍しい畳敷きになっています。(館内撮影禁止)

(熊本日々新聞から)


キリシタンのお墓は、上の写真の様に、通常の墓石に十字架が乗った形をしています。


上の写真で、ちょっと見にくいですが、白く見えるのは「海上マリア像」です。




崎津集落を散策します。







「しめ縄」は、一般的には、正月にのみ玄関に飾りますが、上の写真の﨑津集落の「しめ縄」は、一年中飾る風習なのだそうです?

これは、禁教期に「この家はキリシタンではない」ということを示すために、年中飾っていた名残なのだそうです。


写真の「﨑津資料館 南風屋」に入り、﨑津の歴史や文化が紹介された説明や展示品を見学します。

その説明書によると、潜伏キリシタンは、表向きは仏教徒として寺に所属し、﨑津諏訪神社の氏子となって、恵比寿神や大黒天をデウスとして崇敬していたそうです?


(﨑津諏訪神社)

つまり、日本の伝統宗教とキリスト教とを共生させながら、信仰を維持していたことになります。

具体的には、絵踏をしてキリシタンではないように振る舞い、「あんめんりゆす(アーメンデウス)」と唱えながら神社に手を合わせていました。

また、潜伏キリシタンは、信仰の発覚を回避するため、下記の展示品の写真の様な、様々な物を信心具の代用品としていました。

例えば、アワビの貝殻の内側に浮き上がる模様を、聖母マリアに見立てるなどしていたそうです。


(崇敬されていたアワビなど:資料館のパンフレットから)


(崇敬されていたロザリオやメダイ(メダル):資料館のパンフレットから)

この様にして、﨑津集落の75%の人が、潜伏キリシタンとして暮らしていたというから驚きです。

しかし、この大量の潜伏キリシタンの存在が発覚してしまう大事件が、1805年の「天草崩れ」です!!

このときの幕府による天草の集落(﨑津・高浜・大江・今富)の潜伏キリシタン摘発で、何と!、全住民10,669人のうち、約半数の5,205人が摘発、検挙されてしましました!!

その検挙数の多さに、さすがの幕府も、天草集落の存続を危惧して、当惑してしまいます・・・

対応に苦慮した幕府は、検挙者全員は潜伏キリシタンではなく、「心得違い」しただけだと、苦しい理由で黙認したので、潜伏キリシタン全員が重罪を免れました。


崎津集落を出て、大江天主堂へ向かいます。

「大江天主堂」は、小高い丘の上に立つロマネスク様式の教会です。

現在の大江天主堂は、フランス人宣教師ガルニエ神父が建立したもので、ガルニエ神父は、大江の地に天主堂を建てるために、帰国の渡航費用までつぎ込み、一度も母国フランスに帰ることなくこの地で亡くなったそうです。


大江天主堂の近くの「天草ロザリオ館」で、潜伏キリシタンの貴重な資料を見学します。



(密かに祈りを捧げていた隠れ部屋のジオラマ:館内撮影禁止のためロザリオ館のパンフレットから。)


(経消しの壺:葬式の際は、仏僧のお経に合わせて、お経を壺の口で唱えて壺の中に閉じ込めたそうです。:ロザリオ館のパンフレットから。)


(上の写真の中国渡来の母子観音を、マリア観音として、聖母子像に見立てていたそうです。:ロザリオ館のパンフレットから。)





大江集落では、干潮時にしか行かれない海辺の洞窟に、「穴観音」と呼ばれる観音像を据えたり、山中に、十字架やマリア観音像などを埋めて塚にした「隠し御堂」を造ったりしました。

海や畑に働きに行くふりをして、このような場所を訪れ、ひそやかに信仰を継続していたそうです。

帰りは、本渡バスセンター18時発の「快速あまくさ号」(セットの周遊券)で、真っ暗になった中を熊本へ向かいます。


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2 コメント

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詳しい (hide-san)
2019-01-23 12:10:25
詳しい説明の画像で満足しました。

ボクは中学から大学までカトリック系のミッションスクールに居ましたので、大学では宗教学が必須科目になって居ました。

勿論、神はカトリックの教え通り「唯一」のキリスト教に導く授業でしたが、

高校の教頭先生が潜伏キリシタンの研究者として第一人者であることを、
20年ほど前に知り、興味を持っておりました。

ボクはクリスチャンではありませんが、
頭の中や話はキリスト教的なようです。

早稲田大学の全学連の委員長がボクの話を聞いて居て、ボクの考えはキリスト教的と見破りました。
ボクは全学連でもありませんが。仕事上お会いしたことがあります。
キリスト教の授業 (ウォーク更家)
2019-01-23 12:37:32
そうでしたか、中学から大学までカトリック系のミッションスクールで、しかも大学では宗教学が必須科目でしたか。

hide-sanさんの人生観もキリスト教的なんですね。

いや~、そのhide-sanさんに、何の知識もない私が、潜伏キリシタンの説明というのは、お恥ずかしいです。

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