ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

金山城 (日本100名城:群馬県)  2016.12.29


(写真は、戦勝祈願に使用された「金山城」
 の「日ノ池」。)


昨年の年末に、群馬の「藪塚温泉」で1泊した
翌日の話しです。
旅館を出て、東武伊勢崎線・藪塚駅で電車に乗り、
3駅先の太田駅で下車します。


上の写真は、太田駅前にある鎌倉幕府を倒した
新田義貞(にったよしさだ)の像です。

太田駅前の観光案内地図を見ると、日本100名城
のひとつの「金山城」(かなやまじょう)が、
ここから近く、歩いて直ぐに行けそうです。

駅で貰った観光案内地図を片手に、駅前から
「金山城」を目指して歩き始めます。



「金山城」(かなやまじょう)は、群馬県太田市に
ある山城(やまじろ)で、「新田金山城」または
「太田金山城」とも呼ばれる「日本100名城」の
一つです。

また、国指定史跡で、「関東七名城」の一つ
でもあります。

太田市の中央にある金山(標高235メートル)の
全山を城域とし、山頂から四方の尾根にわたる
東西約4キロ、南北約3キロに広がる城塞です。

戦国時代には岩松氏の居城でした。
上杉謙信も、この城を5回も攻めましたが、
落とすことが出来ず、難攻不落の名城と謳われ
ました。
しかし、1590年の豊臣秀吉の北条氏攻めの際、
豊臣方の攻撃を受けてついに落城し、こののち
廃城となりました。

現在は、城跡は城址公園となっており、石垣、
土塁、堀、馬出し、井戸などが残っています。

太田駅の北口を出て、県道2号(古河街道)を
西に進み、 本町交差点を右折して、北へ向かい
ます。

観光案内地図に従って、先ず、新田義貞の墓が
あるという「金龍寺」を目指して歩いて行きます。

かなり歩いたところの左手に、呑龍(どんりゅう)
上人が、貧しい民の子を弟子にしたというで
知られる下の写真の「大光院」(別名
”子育て呑龍”)がありました。

大光院は、1613年に、徳川家康が新田義貞を
弔うために建立したそうです。


大光院を出ると、道は緩やかな上り坂になり、
その先の左手に目指す「金龍寺」がありました。


その金龍寺の石段を上ると本堂がありました。




その本堂の左手を進んで行くと、お目当ての
戦国の武将・「新田義貞の五輪塔(供養塔)」
がありました。


金龍寺を出て、緩やかな上り坂の自動車道を
歩いて行くと、間もなく、道路の右手に、
下の写真の「桜の井戸」がありました。

桜の井戸の反対側に、下の写真の立派な建物の
「金山城・ガイダンス施設」がありました。

先ず、このガイダンス施設で、金山城の歴史と
配置図などの基礎知識を仕入れてから、城に
向かうことにします。

しかし、何と!、年末年始の12/29~1/3は
休館でした・・・

昨日の木枯し紋十郎の三日月村に続いて、
またまた、残念!
しかし、未練がましく、建物の外から中の展示物
を覗いてみます。

戦国時代の金山城のジオラマらしき展示物の
上の方だけが、辛うじて見えます・・・


ガイダンス施設から、更にだんだんと急になって
くる上り坂の自動車道を延々と歩いて行きます。






太田駅前から、車道を1時間半くらい歩いた
ところで、ようやく金山城の駐車場に着きました。


駅前の田舎のウォーキング地図の距離感に
騙されたなあ~・・・

こんなに遠いのだったら、駅前からタクシーで
来ればよかった。






「金山城」は、金山の駐車場から少し歩いた所に
ありました。

(物見台下虎口)
戦国時代の戦いぶりが想像できる石垣配置の間の
通路を歩きながら、難攻不落の城の雰囲気が
伝わってきました。

上の写真は、城の斜面に丸太で組んだ通路を
復元したものです。


上の写真は「竪堀」で、竪堀の底は通路になって
います。

上の写真は「馬場曲輪(くるわ)」で、兵士が
待機していました。
本丸の西側は、一段と低くなっており 、「月ノ池」
と「日ノ池」があります。


上の写真は「日ノ池」ですが、戦勝や雨乞いの
儀式に使用されました。

上の写真は「月ノ池」ですが、池の中の豊かな
水量は、金山城が水に不自由しなかったことを
印象付けます。


上の写真は「大手虎口」で、本丸へ向かう通路を
守っていました。


(物見台)


金山城の本丸跡は、金山の山頂にあり、現在は
次頁の写真の「新田神社」が建てられてます。




本丸跡からは、次頁の写真の様に、太田駅
から延々と歩いてきた道がよく見えます。
こんなにある高低差を、歩いて上って来た
のだから、1時間半も掛かった訳だ!





新田神社の脇には、次頁の写真の樹齢800年
の大ケヤキがありました。

金山城の見学を終えて、下りの自動車道を、また
延々と歩いて戻ります・・・

ようやく、太田駅近くの繁華街まで戻って
来ましたが、さすがにお腹が空きました。

写真のお店に入って太田名物「焼き団子」を
頬張ります。

見かけと異なり、ふわふわの食感で、香ばしい
味噌が美味しいです。


長時間歩いたせいか、焼き団子を食べても、
未だ空腹のため、少し先の写真の焼きそばの
店に入ります。


名物の「太田焼きそば」を頬張り、お酒を
注文します。

あっさりして上品な「太田焼きそば」に
満足して、太田駅に戻ります。

太田駅から行くのは大変ですが、それでも行く
価値のある「金山城」でした。

東武太田 → JR線直通運転 → JR新宿
→ JR湘南新宿ライン → JR横浜

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コメント一覧

更家
日本100名城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、日本100名城を踏破中のKomoyo Mikomotiさんにとっては、いずれ訪れる予定のお城ですよね。

う~ん、行きは上り坂なので、先ずタクシーでお城に行き、帰りは下り坂なので、
ガイダンス施設、新田義貞の墓などを見ながら駅に戻るコースがお薦めです。

焼き団子、焼きそば、上州地鶏は、徒歩の帰り道の楽しみに!
Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
ありがたいレポートです!
いずれは、ここも行くことになるので。

少し遠いけれども、駅から歩けないことはない距離なんですね。
途中は、新田義貞関係の史跡が、見どころ。
そして、食事は、焼き団子と焼きそばと上州地鶏なんですね。
更家
年末年始の休館日
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
これからも、年末年始は、休館日を覚悟して出掛けるしかなさそうです。

そうですね、最近、発掘調査とかが盛んになったこともあるのでしょうが、至る所に、私の知らない城跡や古戦場があります。
hide-san
休館日
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
休館日で残念でしたね。

しかし日本には、至る所にお城跡があり、古戦場がありますね。

更家
価値ある金山城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、戦国時代の山城の雰囲気がよく残っていて、価値ある「金山城」でした。

そう、立派な屋根に驚いた金龍寺本堂でした。
新田義貞のお墓参りも出来てよかったです。
もののはじめのiina
満足な旅
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6a7fe00cc3453679e3e99cd65837a18c
価値あると (更家)さんが思えた「金山城」だったようです。
金龍寺の本堂の屋根も立派ですね。新田義貞は、此処に眠っていました。


> 頭をすっぽりとくわえられるとは!ちょっと、あり得ないこと・・・驚いて予想外の動きをしたためか、よほどタイミングが悪かったのか。
いえイエ、タイミングがバッチリよかったのです。 ナイス

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