ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

奥州街道を歩く(28:小峰城) 福島県白河市 2018.11.21

2019-02-18 09:04:49 | Weblog

(写真は、小峰城の三重櫓)

ここ「白河」の地は、古代から「白河関」(しらかわのせき)
が設置され、奥州の関門としての要衝でした。

小峰城は、南北朝時代の1340年、結城(ゆうき)氏が、
小峰ヶ岡に城をかまえて、「小峰城」と名づけたのが始まり
です。

江戸初期の1627年、棚倉藩主だった丹羽長重が、この地に
10万石で着任し、白河藩主となりました。

丹羽長重は、幕命により、小峰城の大改築に着手、約4年の
歳月を費やして、1632年に大改築は完成しました。

当時は、天守に代わる「三重櫓」の他に、10余の櫓があり
ました。

やがて、丹羽氏は、二本松に国替えとなり、その後は、譜代や
親藩の7家の城主交代がありました。

幕末の1867年、最後の城主の阿部氏が棚倉へ国替えとなった
後、白河は幕領となり、小峰城は二本松藩の丹羽氏が預かる
こととなりました。

そして、1868年の戊辰戦争の攻防で、旧幕府軍は惨敗、
小峰城は落城して灰燼に帰してしまいました。




白河宿の見物を終わり、JR白河駅の脇の広場から、東北本線
の向こう側に出るための次頁の写真の地下道を潜って、
「小峰城址」へ向かいます。



もともと、JR白河駅のある辺りは、城郭内だったらしい
です。


(三重櫓と前御門)

小峰城は、東日本大震災で、石垣が大きく崩壊するなどの
被害を受けた様ですが、私が訪れたときには、大部分の
修復が終わっている感じでした。

「三重櫓」が平成3年に、「前御門」が平成6年に、写真の
様に復元されています。


小峰城の三重櫓は、「一国一城令」以後の築城なので、天守と
することは許されませんでしたが、天守の代用として、
奥州関門の名城にふさわしい外観にしたそうです。

戊辰戦争で焼け落ちた三重櫓の復元作業にあたっては、江戸
後期に小峰城を修理した際の絵図を参考にしたそうです。


(城内から見る三重櫓と前御門)



三重櫓の入口の脇に、写真の「おとめ桜の碑」が建って
いました。




「おとめ桜」について、案内板には、以下のように書かれて
いました。

初代藩主の丹羽長重は、幕府の命により、小峰城の大改修を
行い、石垣造りの城郭を築きあげました。
その際、本丸の一角にある石垣が、幾度となく崩れ落ちて
しまうことから、人柱を立てることになりました!

たまたま、父に会うためにやって来た藩士の和知平左衛門の
娘の「おとめ」が、不運にも捕らえられて人柱となった
そうです。

何と!、無茶な!、可哀想~・・・
小峰城の完成後に、人々は、おとめの悲運を哀れんで、城内に
桜を植え「おとめ桜」と呼びました。

三重櫓は、3層3階建てで、本瓦葺きの入母屋形式です。

櫓の中の見学は無料です。

(三重櫓の内部)



(矢や銃を撃つ狭間と石落とし)


櫓からは、市街がよく見下ろせます。


三重櫓を出て、城址を散策します。

















(裏門にあたる本丸桜門の石垣)




(本丸石垣) 



城址には、上の写真の「白河集古苑」があり、結城家の古文書
と阿部家の名品を展示しているそうですが、時間がなくなって
しまったのでパスしました。



小峰城址とJR白河駅の境目は、写真の様に白壁の塀
です。



「小峰城址」の見学を終え、城址の目の前のJR白河駅から
JR東北本線に乗り、新白河駅で新幹線に乗り換えて、
横浜に帰りました。




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