ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

小田原城・城址公園   2018.5.3

2018-05-04 22:07:29 | Weblog

(写真は、小田原城の天守)

今年のGW(5/3)に、小田原の「北条五代祭り」
を見物に行った話しの続きです。

北条五代祭りを見終えて、屋台村で生ビールを
飲んで一休みしてから、小田原城の城址公園を
一回りしてから帰宅します。

「小田原城」は近いので、これまでに何回か訪れて
いますが、平成28年の大改修でリニューアル
オープンしてからは初めてです。



「小田原城」は、関東一円を支配した戦国大名の
「北条氏」が五代にわたって拠点とした要害
堅固な城で、上杉謙信や武田信玄の攻撃に対して
も"難攻不落"でした。

小田原城の「総構(そうがまえ)」は、全長
9キロにも及び、空堀と土塁で城下町全体を囲む
長大なものでした。

(注)「総構」:従来の城として機能する「内郭」
(ないかく/うちぐるわ)に対し、その外側に、
更に、もう一重の防御線を設けたのが「総構」。

(小田原城の総構:一番外側の茶色線が「総構」)

戦国時代の「北条氏」の石高は、相模、伊豆、
武蔵、上野、下野、下総、上総など合わせて
250万石を超え、その総兵力は10万と言われ
ました。

九州征伐を終えて天下統一へ向っていた秀吉は、
度々、小田原城の北条氏政に上洛を促しました
が,氏政は応じませんでした。

そんな中、北条氏が、秀吉の命令を無視して、
名胡桃城(なぐるみじょう)を真田氏から強奪
するという事件が起き、これに激怒した秀吉は、
1589年、「小田原征伐」を諸大名に命じました。

(名胡桃城については、「名胡桃城」(群馬県)
見てね。)

小田原征伐の主力20万には、徳川、加藤、
長宗我部、毛利などに加え、来島の水軍なども
参加していました。

秀吉は、先鋒の徳川家康に、東海道からの進攻を
命じ、また、北方からの攻撃には、前田、上杉、
真田の3万5千を進攻させました。

更に、この小田原征伐軍には、秀吉に恭順した
宇都宮、那須などの関東勢1万8千も加わり
ました。

これに対し、北条側は、関東全域の小田原城の
支城に、一族や重臣を配置して守りを固め、
支城が寝返ったりしない様に、各城主の家族を
人質として小田原城内に集めます。

そして、小田原城内では、秀吉の大軍をどの
ようにして迎え撃つのか、重臣が集まり会議が
行われます。

これが所謂「小田原評定」と呼ばれる会議で、
以降、長いだけで結論が決まらない会議を指す
様になりました。

最終的には、小田原城の守りに絶対の自信を持つ
重臣たちの主張が通り、籠城戦で戦うことに
なりました。

この間にも、家康率いる主力軍は、山中城
(静岡)、韮山城(静岡)、岩付城(埼玉)、
鉢形城(埼玉)、八王子城、忍城(埼玉)等
などの小田原城の支城を次々と落としていきます。


(小田原城の支城:嵐山町web博物誌から)

1590年、ついに、秀吉は、自ら小田原城を望む
早川対岸の石垣山(一夜城)に本営を構え、
籠城策をとる北条勢を、陸と海から包囲しました。

約100日に及ぶ小田原城への攻撃で、北条軍の
士気は低下、北条家の重臣の内応などもあり、
ついに北条氏政は降伏します。

(赤丸印が秀吉の一夜城の本営、緑色線の枠内が
小田原城に籠城する北条側。)
秀吉は、氏政を切腹させ、その子の氏直を高野山
に追放しました。
更に、北条氏の旧領を全て家康に与える代わりに、
駿河、遠江、三河から江戸に移らせました。

この戦陣中に、伊達政宗も秀吉に来応して屈服、
この小田原征伐によって、秀吉の天下統一が
完成しました。

江戸時代には、「小田原城」は、幕府の直轄と
なりましたが、その後、明治3年に廃城となり、
ほとんどの建物は解体されました。
更に、残った石垣も、大正12年の関東大震災で
ほぼ全壊しました。
その後、本丸を中心に「城址公園」として整備
され、昭和35年に天守閣が復元されました。

(空から見た小田原城址公園)

次いで、昭和46年に常盤木門(ときわぎもん)、
平成9年に銅門(あかがねもん)、平成21年に
馬出門(うまだしもん)が復元されました。
そして、平成27年に天守閣の大規模改修工事が
行われ、平成28年にリニューアルオープン
しました。

写真は、本丸の正門である「常盤木門」(ときわぎ
もん)です。

常盤木門の1階は、甲冑や忍者衣装の貸出着付け
体験スペースで、2階には「常盤木門SAMURAI
館」がオープンし、甲冑や刀剣類などが展示
されています。



上の写真の「歴史見聞館」では、模型や映像で、
分かり易く小田原城の歴史が学べます。





上の写真の昭和初期の建築である観光案内所(旧
市立図書館)の辺りは、「馬屋曲輪(うまや
くるわ)」跡です。


(常盤木橋)


(銅門枡形虎口・一の門)

(銅門の銅板)


(本丸の石垣)


(南曲輪)
天守閣へ向かいます。


(入場料:「天守閣」500円、「常盤木門
SAMURAI館」200円、「歴史見聞館」300円、
3館共通券は700円)

天守閣の内部は、小田原城に関する展示室と
なっています。

1階は江戸時代、2階は戦国時代、3階は美術
工芸品等、4階は企画展示、5階は天守で、天守
には、次頁の写真の様に、江戸時代の天守の
一部を再現しています。







天守からは、南は真鶴(まなづる)半島や伊豆半島、
東は小田原の街や相模湾、北は丹沢(たんざわ)の
山々と、360度の絶景が堪能できます。




西には、箱根方面が見え、豊臣秀吉が北条氏攻略
のために築いた「石垣山一夜城」の位置を示す
パネルも設置されています。

一夜城は、上の写真の赤丸印の様に、小田原城
から目と鼻ほどの距離で、当時の小田原城攻撃の
緊張感が伝わってきます。
次は、「石垣山一夜城」へ行って、逆に、この
小田原城を見下ろしてみたいと思います。
小田原城の城址公園を一回りして、もとの出陣式
の広場に戻って来ると、武者行列のパレードも、
市内パレードから、この会場に戻って来たところ
でした。
人だかりがしているので近づいてみると、その
中心に、高嶋政伸がいました。


入れ代わり立ち代わり、ツーショットの記念撮影
を求めるファンに、断り切れずに、立往生して
いました。

マネージャーが「次の時間がありますのでこれで
最後にします」と必死に繰り返していましたが、
完全に無視されていました・・・
芸能人は辛いね・・・


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