ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

三国街道を歩く           (永井宿から猿ヶ京宿へ) (群馬県) 2017.5.4

2017-06-10 05:57:23 | Weblog

(写真は、三国街道沿いの満開の桜と桃の花)
東海道・中山道・日光街道の踏破が一段落した
ので、現在、「日本の街道(三省堂)」
(1,500円)を読みながら、これからの街道
歩きの構想を練っています。
日本の街道ハンドブック―「旅ゆけば心たのしき」街道小事典
竹内 誠
三省堂

この本は、以前にご紹介した「日本の街道(西東
社)」(1,500円)とよく似た本ですが、街道
沿いの歴史上の事件がコンパクトに説明されて
おり歴史ファンにはこちらの本の方がお薦めです。

街道歩きについて多少の知識を持つ人にとっては
要点の復習的な内容に過ぎませんが、街道歩きに
関心のある初心者にはお薦めの本です。
街道歩きの入門書として最適ですし、五街道踏破
後にどの街道を歩くかを検討するのにも最適です。

五街道については勿論、主要な脇往還についても、
はほぼ網羅しています。
関東、中部、近畿、中国、九州別に、各々の地方
の街道の地図と説明が、非常に簡潔にまとめて
あるので、地方の街道巡りの計画をたてる際にも
参考になります。

そして、この「日本の街道」を読んでいて、
その中の「三国(みくに)街道」を少しだけ
歩いてみたくなりました。
当時、江戸から越後・佐渡へ行くには、中山道の
高崎宿から分かれる「三国街道」を通り、、渋川
を経て、「三国峠」を越えなければなりません
でした。
そして、案内書によると、「三国街道」には、
他の街道には無い際立った特徴がありました!
その特徴とは、驚くことに、何と、宿場毎に、
佐渡送りの重罪人を泊める牢があった事です!

と言う訳で、先月のゴールデンウイークは、
「三国街道」を少し歩いて、群馬の猿ヶ京温泉
で1泊して来ました。
上野(8:58) → 新幹線Maxとき309号
→(10:06)上毛高原 上毛高原(10:32)
→ 関越交通バス→(11:10)猿ヶ京温泉
→ タクシー→ (4km)→永井宿











上の写真の猿ヶ京温泉のバス停から、タクシーに
乗って、約10分で、「三国(みくに)街道」の
「永井宿」に着きました。

「永井宿」(群馬県新治村)は、この先にある
三国峠への急斜面にへばりつく様にしてありました。

越後(新潟)と上州(群馬)の国境にある「三国
峠」は、冬は豪雪、夏は雨による土砂崩れの難所
でしたが、越後と江戸を結ぶ最短ルートだった
ために、多くの旅人が利用しました。
山深い宿場町にも拘わらず、越後側から上州側に
入って最初の宿場だったので、本陣を含めて
33軒もの宿があり、米の問屋場としても栄え
ました。
更に、永井宿の近くには、弘法大師が発見した
と言われる法師温泉があったので、湯治客も
この街道を往来しました。
路線バスを下りて、先ず「本陣跡」へ行きます。







本陣跡から急な坂を下りると、右手に上の写真の
「永井郷土館」がありました。
この郷土館は、廃校になった猿ヶ京小学校の永井
分校跡に設けられたのだそうです。

大名の高札や武具など約500点が展示されて
います。
ここで、三国街道歩きの情報を集めます。
それによると、古くは、上杉謙信が、関東へ出陣
する際に、十数回も三国街道の三国峠越えをした
そうです。
また、江戸時代の大名行列では、長岡、村上、
新発田などの各藩が三国街道を利用したそうです。
そして、現在では古碑や道祖神を巡るハイキング、
三国山登山道としてハイカーが永井宿を訪れて
いるそうです。

(戊辰戦争の前哨戦で、この地で、旧幕府軍として
 激戦を戦った郡奉行・町野源之助の写真)


郷土館のオジサンの話しだと、永井宿からは、
中部北陸自然歩道(旧三国街道遊歩道)の矢印に
沿って歩けば、簡単に猿ヶ京宿へ着ける様です。


郷土館を出て、坂道を更に下ると、右手に細い道
がありますが、矢印に従って、ここ永井宿から
猿ヶ京宿へ旧三国街道へ入って行きます。-


山道の街道沿いには、春の花が咲き乱れ、気分は
ハイテンション!、快適なウォーキングです。







森林浴を楽しみながら、渓谷沿いの中部北陸自然
歩道(旧三国街道遊歩道)の爽やかな
ウォーキングが続きます。






上り下りのある気持ちの良い坂道を歩いて行くと、
写真の「会津藩士白虎隊 町野久吉墓」が
ありました。

これは、戊辰戦争の前哨戦の三国戦争で戦士した
会津白虎隊の町野久吉ら5名の若者の墓です。

久吉は、槍の達人で大いに新政府軍を悩ませ
ましたが、数発の銃弾を受け、17才の若さで
壮烈な戦死を遂げました。
久吉の首は、永井宿の高札場に、竹に刺されて、
7日間晒されたそうです・・・

そして、町野久吉墓の先には、突然、工事中の
表示と、ダムのような壁が…。

旧三国街道は、ここで消滅している様です・・・

工事の道案内のオジサンに聞いてみると、現在、
新三国トンネルを掘る工事が行われており、
トンネルを掘削した際の残土を、ここに捨てて
いるとのことでした。

仕方なく、いったん国道17号に出て、この工事
現場の残土廃棄用のコンクリートの壁(写真の
赤丸印)を迂回します。

暫く国道17号を歩いて行きます。
間もなく、17号沿いに目を見張る様に色鮮やかな
桃の花と満開の桜が!

余りの美しさにウットリとして、暫く
立ち止まって眺めます。

更に、国道17号を歩いて行くと、旧三国街道
遊歩道へ戻る表示がありました。



再び、春の花が咲き乱れる山道の快適な
ウォーキングです。







永井から猿ヶ京まで4キロですが、上り下りの
ある坂道なので、久し振りの街道歩きは、結構
長く感じました。


やがて遊歩道は小さな谷を渡り、その頃になると
前方に赤谷湖が小さく見えてきました。

湖畔がゴールの猿ヶ京宿です。



猿ヶ京宿が近づくと、街道沿いには数多くの
お地蔵さんがありました。
医療の乏しいこの辺りの山村には、お地蔵さんを
祀り「おがんしょ(願)かけ」をして、病の回復
を願う風習があったそうです。

(耳だれ地蔵)
街道沿いには、耳だれ地蔵やいぼ地蔵など、江戸
時代の人々が、悩まされたであろう疾患の名が
ついた地蔵がいくつもありました。

(いぼ地蔵)

(子育て地蔵)


(目の薬師)



(二十三夜塔)


今晩は、ここ猿ヶ京温泉街の次頁の写真の
温泉宿「吉長」(きっちょう)に宿泊します。


(1泊2食付ゴールデンウイーク料金:14,580円)



宿の温泉にゆっくりと浸かって、街道歩きの
疲れを癒します。
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