ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

彦根城 (滋賀県米原市)(日本100名城) 2016.4.21

2016-08-23 22:42:24 | Weblog
 
(写真は、彦根城の天守閣)

中山道踏破の際に、彦根城が、宿泊していた
JR彦根駅前のビジネスホテルから、徒歩10分
の位置にあったので、立ち寄ってみました。

彦根城は、琵琶湖の東岸の小高い丘(金亀山
:こんきやま)に建てられた平山城(ひらやま
じろ)です。(別名「金亀城」)

彦根は、琵琶湖の船便が利用出来て、中山道と
北国街道が合流する交通の要所でした。

大阪城の豊臣秀頼に睨みをきかせるため、徳川
家康は、徳川四天王の一人である井伊直政に
彦根に築城を命じました。

大坂の陣に備え築城を急ぐため、彦根城の建物や
石垣は、関ケ原合戦で敗れた石田三成の佐和山城
の他に、大津城や長浜城などから移築しました。

豊臣氏の滅亡のあとに、井伊直政の子の直継が、
更に20年もの歳月をかけて、ようやく彦根城を
完成しました。

その直継による築城は、所謂「天下普請」
(手伝い普請)として、12もの大名に
割り当てがなされました。

以後、譜代大名である井伊氏14代の居城となり、
一度も戦火にさらされる事無く、明治維新まで
現存しました。

そして、明治初期の廃城令で、全国の城が次々と
取り壊されていく中、大隈重信が明治天皇に強く
上奏し、彦根城は奇跡的に破壊を免れました。

そのお蔭で、現在、天守や多聞櫓が国宝に指定
されています。


上の写真は、彦根城のお堀ですが、屋形船による
お堀遊覧もあるらしいです。

それにしても、綺麗で大きくて立派なお堀です!


上の写真は、お堀沿いの「佐和口多聞櫓」
(さわぐち たもんやぐら)です。(入場無料)

(多聞櫓内部)


「佐和口多聞櫓」の横の枡形を抜けると、下の写真
の平屋の「馬屋」があります。(入場無料)

現存する「馬屋」としては最大規模で、その
希少さから重要文化財に指定されています。
なるほど、この様に大きな「馬屋」は初めて
見ました!

下の写真の様に21頭の馬を収容出来る広さです。




「馬屋」の前には、上の写真の「表門橋」(おもて
もんばし)があり、ここが彦根城の玄関口(表門)
です。

この橋を渡ると、左手が天守閣への上り道で、
右手が表御殿の外観を復元したという
「彦根城博物館」です。(撮影禁止)

(彦根城・博物館・玄宮園のセット券:1,000円)

「彦根城博物館」には、井伊家の美術工芸品や
古文書などの展示があり、また館内の中庭には、
大名家の能舞台が復元されています。


(表御殿の外観:博物館のパンフレットから)


(能舞台:博物館のパンフレットから)



表門から、左手の表門参道の緩やかな石段を
上って行くと、やがて下の写真の「廊下橋」が
見えて来ます。



この「廊下橋」を渡らなければ天守閣へは
進めないのですが、戦さのときには、この橋は
切り落とされます。
「廊下橋」を中心にして、左右の両端の2階櫓
は、”荷物を下げた天秤”に見えるので、
「天秤櫓」(てんびんやぐら)と呼ばれています。
「天秤櫓」の手前の石垣は、ほぼ垂直に作られた
「堀切」と呼ばれる石垣です。



(天秤櫓の内部) (天秤櫓の中から見た廊下橋)


上の写真は、「太鼓門櫓」(たいこもんやぐら)
で、本丸へと続く最後の城門です。

「太鼓門」の名称は、ここに太鼓が置かれていた事
に由来するそうです。

ここで、太鼓を打って、登城や緊急事態の合図を
していました。

そして、いよいよ国宝の「天守」です。

下の写真の天守の前の広いスペースが「本丸御殿」
跡で、当時、城主はここを住まいとし、政務を
執り行っていました。


ヒコニャンの立て看板の横に、あと1時間待てば、
ここにヒコニャンが現れると書いてありますが、
まあ~、どうでもいいか・・・

先へ進みましょう。


現在、国宝の城郭は、彦根城以外では、姫路城、
松本城、犬山城、松江城のみです。

天守は「3階3重」、つまり”3階建てで、屋根
は3重”で、変化に富んだ美しい姿です。


屋根の特徴は、上の写真の赤丸印の部分の「破風」
(はふ)にあり、破風の曲線の調和が美しく、
「切妻」破風、「入母屋」破風、「唐」破風の
3種類の破風を巧みに調和させています。

この天守には、何と!、18個もの「破風」が
あり、現存する天守の中では最多です!

また、窓は「花頭窓」(かとうまど)で、最上階
は「高欄」(こうらん)付きの「廻縁」(まわり
えん)を巡らしています。

「花頭窓」とは、お寺でよく見る上部が「梵鐘」の
型の窓ですが、実は「梵鐘」ではなくて「炎」の
形を模したものです。

「火頭窓」と書いていましたが、火災を想起させる
「火」が嫌われて、「花頭窓」と書く様になり
ました。

石垣は、「牛蒡積」(ごぼうずみ)と呼ばれる
自然石を使い、外見は粗雑ですが強固な造りです。

 

奥へ進んで、横から天守を眺めてみると、上の
写真の様に、正面とは異なったふっくらとした
表情に変わります。
以下は天守の内部です。

(井伊直弼大老像)





上の写真は、この穴から弓矢や鉄砲を撃っていた
「狭間」(さま)です。
彦根城の狭間は「隠し狭間」で外からは見えず、
使用するときは、狭間の板を内側から突き破って
使用したそうです。

(鉄砲狭間)
直角に近い急角度の階段を上っていきます。



写真は、武者4人が武器を手に隠れることが
出来たという「武者溜り」です。

先程ご紹介した”赤丸印の「破風」”の屋根裏が
実は「武者溜り」になっています!

天守からは、眼下に琵琶湖を望み、市内が一望
できます。








天守を下りて、下の写真の「西の丸三重櫓」へ
向かいます。


以下の写真は、「西の丸三重櫓」の内部です。






「西の丸三重櫓」から、玄関口(表門)へ戻り、
お城の周囲の長い塀を眺めながら「玄宮園」
(げんきゅうえん)へ向かいます。


「玄宮園」は、井伊家の下屋敷で、回遊式の
大名庭園です。

「玄宮園」の名称は、唐の玄宗皇帝の離宮に
なぞらえて造られた庭園であることに由来
します。



玄宮園の庭から見上げると、彦根城の天守が
見えます。
「玄宮園」の隣りは、幕末の大老・井伊直弼が
生まれた「楽々園」(らくらくえん)で、
枯山水のような庭園です。

彦根城をあとにして、西の方角へ歩いてみると、
下の写真の「夢京橋キャッスルロード」が
ありました。
白壁と黒格子で、彦根城の城下町をイメージした、
土産物屋や食堂街です。
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