先月伊勢の神宮を参拝し、参拝に関する作法で気になることを記事にしたいと思いました。
伊勢の神宮は、先ず外宮を参拝してその後内宮を参拝します。
これは、「外宮先拝」といい昔からの決まりごとのため、それを尊重して行えば良いと感じます。
理由は諸説ありますが、神社や神事(かみごと)については、正規の慣例に沿って粛々と行うのが重要と感じます。
正規の慣例に沿って行うことで、神事の目的は習俗(世俗的なもの)として、一般の宗教と一線を画する場合があります(津地鎮祭事件の最高裁判決:文部科学省)。
よく神道を特集した番組などでは、神道は生活と結び付いたものと紹介されています。
次に、神社は原則左側通行です。その事は伊勢の神宮でも同じなのです。
しかし、内宮のように右側通行を敢えて指定する場所では、その指定事項に沿って行うべきと思います。
面白いことですが、神社で行う茅の輪くぐりの神事で、茅の輪をくぐり厄除けを行う際に、茅の輪を左回り→右回り→左回りと行います。
伊勢の神宮で、外宮で左側通行で参拝し→内宮で右側通行で参拝し→自分の住む地域の神社で左側通行で参拝することで茅の輪くぐりになるのではないか?と、個人的に感じました。
最後に参拝方法ですが、これも伊勢の神宮では慣例に沿って「二礼二拍手一礼」のみで良いと思います。
但し、出雲大社のように神社が特に参拝方法を指定するものは、それに従えばいいと思います。
神道は、自己判断でおかしな手を加えたり独自の考えを主張することで、新興の宗教になる可能性が多分にあり世俗と離れます。
神道を正しく維持するためにも、習俗としての立場を大切にすることは必要と感じます。
神棚のお祭りの方法も、自己判断や手を加えたものでなく、伊勢の神宮に問い合わせてその通りに行う方が良いと思います。
神道は、具体的に文書化された教義がなく各人の自主性に任せて発展してきたと云われれます。
そのため、勝手に文書化することは何人たりとも厳禁で、神道について文書化された教義を示すものは全て異端であり、新興宗教やカルトと断定して間違いないと感じます。
ただ、昔から伝わっている祭りの事実を伝え、粛々と執り行うことに意味がある習俗で、何か感じても絶対に自分のうちに秘め口外してはいけないものです。
この事は、在来仏教形式による先祖供養にも云えます。
私の場合は縁有って参拝している聖観音宗浅草寺の指定する慣例に沿って、仏壇の先祖の位牌に対して「南無観世音菩薩」と唱えています。
その根拠は、浅草寺の境内に「南無観世音菩薩と唱えて下さい。」と書かれているからです。俗に云う「お寺さんが云うから。」と、云うことです。
ご本尊さまはなんですか?
聖観世音菩薩さまです。本堂の御宮殿の中にお祀りされております(御秘仏)。ご参拝の際には合掌して「南無観世音菩薩」とお唱えください。
在来仏教については今のところ一般的な宗教とされていますが、日本の世俗の実態を鑑みれば先祖供養は神道同様に習俗として判断できる余地があると感じます。