テニスとランとデジカメと

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水上バスで浅草へ

2011年08月31日 | 散歩
 今日は浜松町下車。日の出桟橋から水上バスで浅草への船旅だ。
卯月の会、3人。
夏の終わり、気温は30度に達していないが蒸し暑い一日にようだ。幸い近づきつつある台風の影響もなく、晴れ間も広がる。


日の出桟橋入り口


水上バスと桟橋

水上バスの隅田川ラインに乗船 10時50分
浅草吾妻橋まで40分の船旅だ。


いざ出発! レインボーブリッジが後ろに見える


<ここから橋づくし>
日の出桟橋から浅草との間にかかる個性的な12の橋とJR架橋 を含めて13になる。



勝鬨橋
昭和15年に完成。我が国最大級の跳開橋として有名。橋の開閉は昭和45年の点検開閉を最後に行われていない。将来開閉再開ができればよいなあ。


佃大橋
東京オリンピックの開催された昭和39年(1964)に完成。


中央大橋
隅田川に架かる橋の中では新しく、平成5年8月26日に開通式。


永代橋
「深川の大渡し」に代って、元禄11年(1698年)に永代島と呼ばれた地に架けられ、この橋名になったという。現在の橋は、関東大震災の復興事業として大正15年に完成し、隅田川に架かる橋のうちで最も古い橋。デザインの美しい橋だ。


隅田川大橋
昭和54年(1979)、「首都高速道路 9号 深川線」 建設のために「隅田川」 を渡る高速用高架橋が必要になり、それに併せて一般道路用の橋も同時に架設されたものである。上下に 2段構造の橋となっており、上段部分が 「首都高速道路」 の高架橋、下段部分が一般道路の、いわゆる 『隅田川大橋』 である。
私としては退職までの7年間職場へ通った橋で思い入れのある橋だ。


清洲橋
関東大震災による復興事業で新設した幹線道路上に架けられた橋で、昭和3年に完成。当時世界でも代表的な美しい橋と言われた、ドイツのライン川に架かるケルンの吊り橋をモデルにしたと言われている。


新大橋
最初の橋は元禄6年(1693年)に架けられ、隅田川で三番目の橋だった。現在の両国橋が大橋と呼ばれていて、これに続いて架けられたことから新大橋の橋名になったという。明治45年、米国から輸入した鋼材で架け替えられた橋は、関東大震災にも耐えた橋としても知られている。昭和53年現在の橋に架け替えの際、古い橋の一部は、愛知県犬山市の明治村に復元され、また、レリーフは現在の橋に取り付けられている。


両国橋
江戸時代の前期、寛文元年(1661)に幕府によって架橋されたもので、「隅田川」では『千住大橋』に次ぐ第ニ番目の橋であった。現在の橋は、震災復興橋梁として昭和7年(1932)に架設された鋼製の桁橋である。


JR総武線隅田川橋梁
両国橋の数百メートル上流に架かるのが総武線隅田川橋梁で、建設は両国橋と同じく昭和7年。


蔵前橋
橋の創架は昭和2年(1927)、関東大震災の復興計画によるもので、「蔵前橋通り」 の整備に伴なって新たに架設された。黄色いアーチが印象的な、3連独立の上路式アーチ橋である。


厩橋
昭和 4年(1929) に震災復興橋梁として架設されたものである。力強い3連のアーチ構造と緑の塗装、アーチの下に一直線に延びる橋桁などが印象的な、美しい橋である。


駒形橋
昭和2年(1927)に震災復興計画の一環として新設された3スパンの鋼製アーチ橋である。中央部のブルーのアーチが美しい。


吾妻橋
昭和6年(1931) に架設された震災復興橋梁で、3連の上路式アーチ橋である。すぐ傍にある「雷門」の赤を意識した赤色の塗装が浅草になじんでいる。

吾妻橋で船旅終了。11時30分。



アサヒオブジェと東京スカイツリー
このツーショットはなかなか見栄えがあるようだ。

雷門から雷通りをぶらつき、昼食場所を探す。
浅草でそばなら、ここだといわれる尾張屋に入る。


尾張屋、天ぷらそば
ビールで乾杯。3人共仲良く同じあたたかい天ぷらそばを注文。
えび天が2つ入って、そばもこしがあり、夏なのにあたたかいのも美味しい。

このあとロック通りなどをぶらつき、ツクバエクスプレス「浅草駅」へ。

まだ太陽が真上にあるのに松戸駅に到着。
この時間ではここしか空いていないという庄屋で2次会。
デジカメと加工ソフトに話題が集中したひと時だった。
次回は東武線沿線にしようと決め散会。

(参考:水上バスは8年前に浜離宮から浅草まで行っている。)


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