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ケセラ・イズム

~人生の微分理論~
今が大事,先の事なんて知った事か!

加須底羅

2025-04-16 03:15:38 | 歴史浪漫
大学6年目(2回目の4年生)の頃,

お菓子作りにはまったのよ笑。

クッキーとか,

フォンダンショコラとか,

チーズケーキとか,

いろいろ作りました。

それなりに評判もよかった。

だけど,

カステラだけは失敗したんだよね笑。



レシピ通りに作ったはずなのに,

ベチョベチョになった卵と小麦粉の塊ができた笑。

ちなみに,

このカステラなんだが,

16世紀後半,安土桃山時代にポルトガルから日本に伝わったらしい。

"カステラ"と言う名前は,

カスティーリャ王国が語源なんだとか。

え?

カスティーリャ王国を知らん?笑


簡単に言うと,

スペインの前進国家の1つ

って感じ?

ご存じの通り,

スペインはヨーロッパの西端に突き出たイベリア半島にある国。



その昔,古代フェニキア人がイベリア半島を"イシャファニム"と呼び,

それを聞いたギリシア人,ローマ人が"ヒスパニア"と発音した事で,

スペイン語の"エスパーニャ",英語の"スペイン"となったみたい。

もともとは古代ローマ帝国の属州ヒスパニアだったわけだが,

ゲルマン民族の大移動の際,

その一派である西ゴート族が定着して,

この地に西ゴート王国を建てたんです。

しかし,

711年に北アフリカからイスラームの勢力が侵攻してきて,

西ゴート王国はあっさりと崩壊。

半島はあっと言う間に征服されてしまう。

こちらがイスラームのウマイヤ朝の最大版図だが,

イベリア半島が完全に飲み込まれてますね。



イスラーム軍はピレネー山脈も超えたんだけど,

732年,トゥール・ポワティエ間の戦いにて,

フランク王国の宮宰カール・マルテルが撃退した事は有名。

まぁ,

戦争に勝ったと言うより,

イスラーム軍が何らかの理由で撤退していっただけらしいが…。


そんなこんなで,

イベリア半島からキリスト教徒が駆逐されたかと言うと,

実はそうではなく,

ほどなく北から反撃に出ます。

いわゆる「レコンキスタ(国土回復運動)」ですね。

その起点は2つ。

1つ目は北西部で,

西ゴート王国の残党がアストゥリアス地方に逃れ,

小さな王国を残す事に成功していました。

アストゥリアス王国と呼ばれますが,

少しずつ領土を拡大し,

そのたびに都をカンガス・デ・オニス,ラングレーオ,プラビア,オビエドと遷し,

10世紀にレオンへ遷都してレオン王国となる。

そこから独立したのがカスティーリャ伯領なんだけど,

11世紀にはレオンとカスティーリャが再統一され,

カスティーリャ王国と呼ばれるように…。
(細かい事は省く)

ちなみに,

対イスラーム戦の最前線となるカスティーリャは,

"カスティーリョ(城塞)"が多数あったので,

その名が付いたとの事。

もう1つ,

北東部からもキリスト教徒が攻め立てます。

8世紀後半,フランクのカール大帝がイベリア半島へ遠征。

フランス側から乗り込んで,

イスラーム勢力の討伐を試みたんです。

しかし,

戦果は思うように上がらない。

ピレネー山脈の南側にスペイン辺境領をいくつか設置するのがやっとでした。

それがナバラ王国やアラゴン王国。


とりあえず,

レコンキスタの歴史は,

この地図みたいな感じらしい。



だんだんキリスト教徒が版図を広げていますね。

15世紀後半,カスティーリャ女王イサベルとアラゴン国王フェルナンドが結婚し,

夫婦で共同統治するスペイン王国が誕生。

1492年には,

最後のイスラーム勢力だったグラナダ王国を滅ぼし,

レコンキスタを完結させます。

あ,

一応,ポルトガルにも触れておこう。

カスティーリャ王国が前線地帯に置いたポルトカーレ伯領が始まり。

これが独立してポルトガル王国になったんです。

ただ,

フランスのブルゴーニュ公の一族が国王だったんで,

ブルゴーニュやフランドルから多くのキリスト教徒を入植させた。

そのため,

ポルトガル人って,

スペイン人と少し違うんだよね。

北方の血を引いている。

ま,

このあたりはまた今度。