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ケセラ・イズム

~人生の微分理論~
今が大事,先の事なんて知った事か!

censorship

2025-04-09 03:14:06 | 歴史浪漫
何年か前,

 外国人に教えたい言葉

って言うお題の英作文に対して,

ある生徒が

 外国人に教えたい言葉

 Don't push.

 言葉の意味や説明

 We say that when we want to be pushed.

と解答してきたんだとか笑。
(とても秀逸)

って事で,

毎年,英作文でふざける奴がいるのよ。

他人の身長をイジッたり…怒。
(例えばこちら

中には拙ブログの事を書く奴もいる汗。

こんな感じで…。



しかも,

アダルトサイトと同等に扱われている事まである。
(昔はそんな記事も多かったか?笑)

絶対にユルサナイ。

うん,

生徒の英作文には検閲が必要だな。

こう言うのは他職員が添削する前に抹消しないと…笑。



ところで,

検閲と言えば,

ウィーン体制下のヨーロッパが思い出されます。

あ,

「ウィーン体制」ってのは,

ナポレオン失脚後の国際秩序の事ね。

18世紀末から19世紀初頭にかけて,

ヨーロッパは大混乱に陥っていました。

もちろんの事,

フランス革命とそれに続くナポレオン戦争が原因。

んで,

その混乱を収拾しようと,

1814~15年にウィーン会議が開かれ,


("会議は踊る,されど進まず"で有名)

その結果として生まれたのがウィーン体制なんです。

ただ,

非常に保守反動的な性格だった。

何しろ

 フランス革命以前の秩序に戻そう。

などと言ってるんだから笑。

うん,

無理やろ笑。

フランス革命で醸成された"自由・平等・博愛"の精神が,
(元はアメリカ独立戦争からフランスに輸入された考え)

ナポレオン戦争によってヨーロッパ中にまき散らされた後なんだもん。

かくして自由主義や民族主義と,

それを抑え込もうとする政府との戦いが始まります。

各地で抵抗運動がさかんに起こり,

1848年にはパリ,ベルリン,ウィーンで革命が勃発。

ウィーン体制はあっけなく終焉を迎える事になるわけだが,

それまでの間,政府による検閲が苛烈を極めたんです。

特にこの体制の舵取りをしていたオーストリア帝国では,

精緻極まる検閲システムが構築されていた(※1)。

ときの皇帝フランツ1世(※2)は,



ナポレオンに辛酸をなめさせられた経験がある上,
(戦争で惨敗し,娘を人身御供とさせられた)

当時のオーストリアは多民族国家であったため,
(5つの宗教と12の民族を束ねていた)

アンチ・リベラリズム,アンチ・ナショナリズムを標榜していたってわけ。

そんな中,

皇帝の寵臣であった宰相メッテルニヒ公爵の懐刀とも言われる,

ゼドルニツキー伯爵がウィーンの警察長官と最高検閲官に就任。

次から次へと表現や言論が取り締まられていきました。

何かの本で

 伯爵の握る赤鉛筆は,

 たちまち鋭利なナイフと化し,

 当たるを幸いに滅多切りにした。

と言う文章に接した記憶があります。

それで付いた渾名が"切り裂き伯爵"との事。

凄まじい検閲の嵐が吹き荒んだわけだが,

やがて伯爵はモンスター化し,

フランツ帝ですら手に負えないほどに…。


面白いエピソードがあります。

ある日,

フランツ帝はとある喜劇を見たいと言い出しました。

しかも,

かなり焦っている様子。

周りに急がせます。

その理由を問う側近に対して,

皇帝は答えて曰く,

 グズグズしていると,

 余の検閲官めが重箱の隅をほじくるようにして粗を見つけて,

 上演禁止にしてしまうかも知れん。

 そうなったら,

 その芝居を観る事ができないではないか!

え?

この検閲,誰得なん?笑



※1

この時代のウィーンにおいて,

最も検閲の影響を受けた作曲家はシューベルトか?

多くの聴衆に向けて発信せず,

「シューベルティアーデ」と呼ばれる,

気心の知れた友人たちとのサロンに閉じこもったのは,

検閲から逃れるためだったのかも…。

晩年は交響曲やピアノ・ソナタ,室内楽作品の作曲に精を出していたが,

それも検閲に邪魔される事なく,

自由に自分の霊感を羽ばたかせる事ができたから?
(若い頃,いくつかオペラを潰されている)


※2

神聖ローマ皇帝(在位:1792~1806年)としては"フランツ2世"だが,

オーストリア皇帝(在位:1804~35年)としては"フランツ1世"となります。