こんにちは!
今回の掲載記事は信州杖突峠を越えて勝頼終焉の地「景徳院」へ
と題しまして
信州高遠からの帰り道、信州杖突峠からの風景と山梨県武田勝頼終焉の地を
お届けしたいと思います

杖突峠(つえつきとうげ)は、
長野県伊那市と茅野市との境にある峠 標高1,247m
古くは東山道、杖突街道、国道256号が通り現在は国道152号が通っている
日本百名峠

杖突峠(つえつきとうげ)より諏訪方面を眺める
ここから少し下って行くと峠の茶屋があります

杖突峠はむかし、人々がこの急坂を杖を突きながら
登ったことが「杖突峠」の名の起こりとされ、
頂上で捨てられた杖を燃やして供養するという行事が
大正末期まで行われていた

杖突峠 峠の茶屋
頂上に「峠の茶屋」(茅野市宮川3673)があり、
展望台が設置されている 諏訪盆地が一望でき、
八ヶ岳連峰に霧ヶ峰、遠く飛騨山脈(北アルプス)まで見渡すことができる
夕方になると飛騨山脈に沈む太陽からの夕日が差し、
赤く照らされた諏訪湖や八ヶ岳が美しい

杖突峠 峠の茶屋無料展望台からの景観

峠の茶屋無料展望台眼下に諏訪湖が見える

峠の茶屋無料展望台よりかつて、武田信玄が納めていた 諏訪盆地が
望める 街並みの奥にひときわ高く見える山は蓼科山

峠の茶屋無料展望台より望む八ヶ岳峰々

峠の茶屋無料展望台

「峠の茶屋」(茅野市宮川3673)無料展望台が店内にある

帰り道、山梨県勝頼終焉の地「景徳院」へ立ち寄る
景徳院 山門

景徳院
武田家終焉の地 徳川家康の命により建立された寺で、
境内には武田勝頼公親子が自刃した生害石や
お墓があります 諸堂は焼失してしまったが、
山門のみが火災を免れ当時のままの姿を残しています
(県指定重要文化財)勝頼公の辞世の句
「おぼろなる月もほのかに雲霞晴れて行くへの西の山の端」は有名です

兵力を大きく減退した勝頼は、
諏訪から甲斐の新府城に撤退 その新府城も未完成であったことから
火を放ち放棄します 向かったのは、譜代家老の小山田信茂が治める岩殿城
しかし、この信茂までが勝頼を裏切りました…
進路をふさがれた勝頼一行は、武田氏ゆかりの天目山棲雲寺を目指しました
(このとき勝頼に付き随う者はわずか数十人だったとか…)
しかし、その途上の田野で信長麾下の滝川一益に捕捉され、
勝頼は嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害しました
これにより、甲斐武田氏は滅亡したのです

勝頼公に最後まで付き従った数十人兵のお墓

勝頼終焉の地に記されている案内

(武田勝頼の墓/中央が勝頼、向かって右手が北条夫人、左手が信勝)

武田勝頼の墓

戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」
最後まで裏切らなかったに数十人兵が眠るお墓
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
今回の掲載記事は信州杖突峠を越えて勝頼終焉の地「景徳院」へ
と題しまして
信州高遠からの帰り道、信州杖突峠からの風景と山梨県武田勝頼終焉の地を
お届けしたいと思います

杖突峠(つえつきとうげ)は、
長野県伊那市と茅野市との境にある峠 標高1,247m
古くは東山道、杖突街道、国道256号が通り現在は国道152号が通っている
日本百名峠

杖突峠(つえつきとうげ)より諏訪方面を眺める
ここから少し下って行くと峠の茶屋があります

杖突峠はむかし、人々がこの急坂を杖を突きながら
登ったことが「杖突峠」の名の起こりとされ、
頂上で捨てられた杖を燃やして供養するという行事が
大正末期まで行われていた

杖突峠 峠の茶屋
頂上に「峠の茶屋」(茅野市宮川3673)があり、
展望台が設置されている 諏訪盆地が一望でき、
八ヶ岳連峰に霧ヶ峰、遠く飛騨山脈(北アルプス)まで見渡すことができる
夕方になると飛騨山脈に沈む太陽からの夕日が差し、
赤く照らされた諏訪湖や八ヶ岳が美しい

杖突峠 峠の茶屋無料展望台からの景観

峠の茶屋無料展望台眼下に諏訪湖が見える

峠の茶屋無料展望台よりかつて、武田信玄が納めていた 諏訪盆地が
望める 街並みの奥にひときわ高く見える山は蓼科山

峠の茶屋無料展望台より望む八ヶ岳峰々

峠の茶屋無料展望台

「峠の茶屋」(茅野市宮川3673)無料展望台が店内にある

帰り道、山梨県勝頼終焉の地「景徳院」へ立ち寄る
景徳院 山門

景徳院
武田家終焉の地 徳川家康の命により建立された寺で、
境内には武田勝頼公親子が自刃した生害石や
お墓があります 諸堂は焼失してしまったが、
山門のみが火災を免れ当時のままの姿を残しています
(県指定重要文化財)勝頼公の辞世の句
「おぼろなる月もほのかに雲霞晴れて行くへの西の山の端」は有名です

兵力を大きく減退した勝頼は、
諏訪から甲斐の新府城に撤退 その新府城も未完成であったことから
火を放ち放棄します 向かったのは、譜代家老の小山田信茂が治める岩殿城
しかし、この信茂までが勝頼を裏切りました…
進路をふさがれた勝頼一行は、武田氏ゆかりの天目山棲雲寺を目指しました
(このとき勝頼に付き随う者はわずか数十人だったとか…)
しかし、その途上の田野で信長麾下の滝川一益に捕捉され、
勝頼は嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害しました
これにより、甲斐武田氏は滅亡したのです

勝頼公に最後まで付き従った数十人兵のお墓

勝頼終焉の地に記されている案内

(武田勝頼の墓/中央が勝頼、向かって右手が北条夫人、左手が信勝)

武田勝頼の墓

戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」
最後まで裏切らなかったに数十人兵が眠るお墓
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
























































































