人間賛歌・もっちゃん4649

癒しの隠れ場所 (追憶の日々)


新任の場合 山の学校へ3年以上赴任しなければならないと

当時 暗黙の了解があったのでした


すでに長男が生まれていましたので

家から通えるぎりぎりの山の学校が任地でした


電車とバスに1時間以上乗り 待ち時間を入れると

かなり通勤時間のかかる不便な土地でした


でも 景色も人もすべてが別天地で 癒しの出会いを2年間いただけました


大分の実家は奥豊後の竹田という 盆地の城下町です


山紫水明の中に開けた故郷でしたから バスの車窓の途中から

雰囲気が故郷と違和感なく重なって来た時には 驚いて目を凝らして見入ったものでした


ここも城下町跡で 家並みも代官屋敷跡の黒門も 竹田の町を彷彿とさせてくれました


奈良ではじめて見つけた まさに居心地の良い癒しの隠れ場所でした


退職して奈良と大分を半月ずつ往復していた時 旅の疲れやもろもろの疲れを

週に一度はこの地を訪ねて 温泉プールで癒していました


ここで過ごした2年間は まさに毎日が癒しの連続だったと 今では思います


1年目は副担任でしたが 2年目は持ち上がりの学年でしたので 担任でした


40年近い前のことなのに しっかり覚えています


2年生5組で 2階の教室の端っこでした


家庭訪問の時に42名学級でしたので Yさんのおじいちゃんが

「42番の出席番号はいやだから、孫の番号を変えてください!」

という申し出をなさり おろおろしたのを覚えています


若かりし頃の懐かしい思い出です


純朴で元気な生徒ばかりで 楽しい1年間を過ごしました


次男を懐妊したので 通勤が往復3時間以上は無理になるし

3月末に平坦部に転勤させてもらったのです


次男が出産した知らせを聞いた教え子たちは 遠い所を自宅まで訪ねてきてくれて

犬のぬいぐるみをお祝いに持ってきてくれたのです


戌年生まれでしたし 柴犬のかわいい利発な顔がとってもお気に入りとなり

それが犬好きの始まりだった気がしています


もうすでにその時は3年になり クラス替えがあったりで

ばらばらになっていたはずなのに~と思うと

いじらしくありがたくって ぬいぐるみを抱えて涙を流したことを思い出します


真に厚い生徒たちで 奈良の名門校が家の近くにあり

そこに合格すると先生に会えるから~と頑張ってくれたのも確かでした

その中の二人は中学教師になりました


いろんな研修会で会う機会も多く まるで分身のような愛しさを感じていたのです


教師集団も家庭的な雰囲気の濃い人情の厚い人たちでした

今も女性教師のみ お正月明けの一日を ゆっくり温泉一泊のお喋り会を続けているのです


昭和45年にそこで勤務していた者と言う限定があるので 人数が増えることは

ありませんが 本当に身内のような温かさを感じる同窓会なのです


その中では私が一番若く 27歳でした

ここでは一番の若手で いつまでも頭が上がりません


奈良に帰ってくるのを今も待っていてくださる ありがたい仲間なのです

明日に続く



山茶花です







PS

『現在、コメントを受け取らない設定にしています。』


楽しいお喋りサロンとして、既存の(画像)掲示板を活用したいと思っています。

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皆様のお越しを楽しみにお待ちしています(*^_^*)






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