人間賛歌・もっちゃん4649

静かに淡々と (追憶の日々)


2番目の赴任校は 私生活を見られるのはマイナスだと思って

隣の市を選びました


地方の商業都市として栄えた町でした


本物の暴力団の抗争があったり タオルや靴下などの

中小企業の多いところです


血気盛んな大人の集まりだと 感じました


父親が刑務所に入っていると言う家庭も 何人か聞いたことがあり

組長の息子が入学したと言う ドラマのような出来事にも出会いました


花畑など持つ余裕もない家庭がひしめいているかと思えば 

檜作りの門構えの大きな家だったり 貧富の差の大きな町でした


32歳で義父が亡くなり 私のよき理解者であった父との別れは

家庭生活の前途が真っ暗だと感じた時でもありました


「3人の男児の孫が出来て、家は万・万歳だ~」という言葉を 良く聞いた年でした


あまり喜びすぎると ろくな事はないようです


しかし 安心してくださったことも確かです


大学2年の夏 一万人に一人助かればいいという難病に罹り あと3ヶ月と余命宣告を

受けた長男が 元気に後継者となり 立派な孫が3人も授かったのですからね


義父が喜ぶのも無理はありません


不平不満の固まりのような母を説得できるのは 父だけでしたから

これから我が家はどうなるのかと案じていました


連れ合いと取り留めのないことを話し 笑顔でいると

「そりゃあ、お前らは楽しかろう~?」とすぐにクレームが入ります


連れ合いも 母と私の板挟みで どちらの味方も出来ずに

これからは いくつもの苦労が増えるのです


出来るだけ腹立ちは 廊下の壁を蹴飛ばすことで 解消してきました


文句を言い始めると 私の性格として 決定的に負けず嫌いになり

取り返しがつかなくなるし じっと忍の一字を通し続けました


だから 義母から見たら 何も反論出来ない弱い嫁だと思われていたかもしれません


エネルギーは生徒のために消耗させていました


その反動は 職場で思い通りに活動することで解消していました


マイナスをプラスの良い出会いに変えたのかもしれません


学校こそが楽しい 解放された自分を表現できる場所だと思い 家は癒しではなく

本来の勤め場所だと思い込んでいたのです


学校の荒れや揺れにもびくともしない ドンとコイや~と楽しむ姿勢を

貫き通せましたから 良い出会いだったと 今では思えます


頼みにしていた義父との別れも 連れ合いが週1回のお墓参りを

それ以来ず~っと続けるようになり 家計を預かる主婦の感覚から

土地があるのだから花を栽培しようと思い立ちました


毎月のお墓参りの花代が 月4回で1万2千円以上かかります

それを苗代と球根代に当てて 30年園芸を続けましたから

たっぷりと学校の美化にも役立てることが出来ました


その時はいろんな意味も分からずに過ごしてきたことが 後になって大きな意味が

含まれていたのだと合点でき 無駄なことは人生には一つもないと悟れました


これも大きな癒しの出会いだったと位置づけています


園芸歴30年を過ごせたからこそ 雨続きの年も日照りの年も 山の緑は枯れることなく

青々とたくましいことに気づき 野草の可憐さに魅力を感じ始めました


母の介護が始まって 奈良の家を半月離れている間に 家人が水遣りをしていたのに

アジサイなどは次々に枯れていきました


700鉢ほどあった庭の花も 5年間で半数は枯らしました


趣味の違いだから 家人を責める訳ではないけれど 阿蘇の野草に

心惹かれるようにと 進んできたのです


これも自然の推移でした


すべてが必然のように思えています


なってくることを喜べる心がうれしいと またそれは喜びに連なり~

エンドレスなのです


静かに来し方を偲び 行く末に思いを馳せる ゆったりとした時間を持てる

今の境遇を 感謝せずにはいられません


静かに淡々と 激動の合間を優しく癒してくれた人や花や教え子に

焦点を当てて まとめてみたいと思っています


しばらくお付き合いください

続きは明日



山茶花です







PS

『現在、コメントを受け取らない設定にしています。』


楽しいお喋りサロンとして、既存の(画像)掲示板を活用したいと思っています。

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皆様のお越しを楽しみにお待ちしています(*^_^*)






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