安閑天皇陵が近鉄古市駅の近くにあるので、参拝後はは近鉄電車に乗って河内長野へ向かう予定でした。
安閑天皇陵の参拝を終えて古市駅に向かう途中、たまたまこの標識を目にしてしまいました。
近付いて確認すると、清寧・仁賢天皇陵参詣道と記されておりました。
車通りの少ない歩きやすい道に思えたので、迷うことなくこちらへ先に向かうことにしました。
一人旅は気楽なものですよ、自分の思った通りに簡単に計画変更できるのですから・・・
曲がり入ったこの道も難波と飛鳥を結ぶ官道である竹内街道の一部のようです。
とても綺麗に整備されていました。
この道幅と、なんとも言えない曲線が昔の街道そのものなのです。
竹内街道に入って数分歩いた所で、予期しなかった巨大な古墳が目に入りました。
近くの案内板を見たところ、景行天皇の皇子である日本武尊陵だとわかりました。
古事記に記された日本誕生に関わる英雄のお墓なので、立ち寄ることにしました。
なんとこんな狭い路地を入った先に、参拝所があるようです。
民家が密集する一画に日本武尊陵(白鳥陵)はありました。
日本各地の戦いで傷つき瀕死の状態で白鳥となって、この地に飛来したと伝わっています。
白い羽を曳いてとんだところから、この地は羽曳野と名付けられました。
墳丘長200mの日本武尊陵です。
寄り道をした日本武尊陵から数分の場所に、目指す清寧天皇陵はありました。
雄略天皇の第3子で、第22代清寧天皇陵です。
在位4年と短く、子供がいなかったため後継天皇の人選は難航しました。
墳丘長115mと天皇陵としては小振りで、方部の幅が円部直径の2倍もある変わった形が特徴です。
第22代清寧天皇の御陵印です。
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