もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

06年 最後の閑谷

2006年12月06日 | 閑谷学校
12/5日 今年最後となる癒しの閑谷学校に出掛ける。ガイドが主目的であるが、今回は神籠石式山城を調査した直後でもあり、閑谷学校の謎の一つ、石塀を調べてみた。

閑谷学校資料館学芸員の竹内先生に、これまでの疑問点をお聞きしてみた。この先生史跡に関する知識が豊富なのは当たり前だが、熱心な調査と文章表現が抜群に素晴らしく、おいらは勝手に物書きの師と決めて尊敬しているのです。

閑谷の石塀は誰が設計し、いかなる人物が、どのような意図を持って築いたのだろうか 石塀造成発案者は、閑谷学校の工事責任者、「津田永忠」である事に異論は無いが、手足となって石細工に携わった男の名が、『池田家履歴略記』に記されているという。その名は「河内屋治兵衛」と言うらしい。
何者だろう、そして石塀の形の謎、意味するところは

技術的には、谷を横切る部分には高く石をを築き、最低部には水門を築いている。これは神籠石式山城の手法と酷似しており、設計者は「鬼の城」石垣などを参考にしたのではないだろうか。
興味は尽きないので、更なる研究を続けてみよう。
結論はチョット待ってくださいネ

風水に基づく「守り龍」説も捨てがたいと思いますけど
コメント (4)
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