戦争を語りつぐ証言ブログ

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朝鮮戦争とは何だったのか

2006-12-21 10:09:46 | Weblog
 56年前の朝鮮戦争が戦後の日本経済再生のきっかけになったという話はずっと前から聞いていた。それがどの程度本当なのか、事実を確かめたことはなかった。
 最近、その戦争で3年間に400万人以上の死者が出たと知って驚くとともに、いま一度その実態を確認してみたいと思った。4年にわたる大平洋戦争でも日本人の死者は310万人というのだから、それより多い人数になる。
 朝鮮戦争は終戦後5年目の1950年に南北朝鮮を舞台に始まり、勝敗が定まらないまま3年間続いた結果、元通り38度線を境目にしてようやく休戦が成立した。そして半世紀後の今また北朝鮮が紛争の表舞台に登場している。
 日本が主役となった大平洋戦争を知らない世代が大半を占める現状にあって、朝鮮戦争についても殆どその実態が知られていない。
 朝鮮戦争の実態を知るにはGoogleで検索すれば、すぐに知識は得られるが、神谷不二著『朝鮮戦争』(中公新書・1966初版)という優れた文献がある。これらの資料をもとに、改めて史実をふりかえってみたい。
 
 開戦は1950年(日本の敗戦後5年目)6月25日、北軍が38度線南下して3日後にはソウルへ入城するという電撃的な作戦で始まった。明らかに社会主義による南北統一を狙ったソ連が陰から糸を引いていたといわれている。
 当時の歴史的背景をみると、2年前(1948)に朝鮮半島は、金日成の朝鮮民主主義人民共和国、李承晩を大統領とする大韓民国に分裂し、それぞれ独立を宣言した。
 アメリカではトルーマン大統領が再選され、スターリン独裁下のソ連は翌年(1949)には原爆実験に成功し、中国では蒋介石の国府軍が負けて台湾に逃れ、毛沢東による中華人民共和国が成立した。一方ヨーロッパではNATO(北太平洋条約機構)が成立している。
 当時のアメリカはヨーロッパ情勢を重視し、朝鮮については殆ど目を向けようとしていなかった。ところが韓国軍が釜山まで追い詰められるに及んで傍観できなくなり、日本占領軍の総司令官であったマッカーサー将軍に韓国救援を一任する。それとともに国連は幾度となく緊急に安全保障理事会を開いて朝鮮情勢を討議し、ソ連の欠席のまま国連軍を編成し、マ将軍が総司令官に就任する。国連軍には米軍を主力として16ヵ国が参戦したという。
 マ司令官の仁川上陸作戦(ソウル近くの海岸から敵の背後を衝いた)によって韓国軍は劣勢を挽回、逆に38度線を北上して平壌を攻略し、一気に全土を制圧する勢いを示した時、こんどは中国が乗り出してきて義勇軍を送り込み、再び38度線以南まで攻め込んだ。「アコーデオン戦争」と呼ばれるほど一進一退の戦況となり、その間アメリカは38万人の軍勢を投入したといわれる。マ司令官は再三にわたり台湾の国府軍投入を要求し、満州など中国本土の根拠地を空爆する作戦を強行しようとして、戦争拡大を望まないトルーマン大統領と対立し遂に解任される。
 南北の休戦会談は1年後の1951年夏に始まるが、双方とも主張を譲らず、その後も有利な条件を確保するために小競り合いを繰り返して会談は180回以上に及び、2年の年月を要して漸く1953年7月27日、戦争前と同じ38度線を境界とする休戦協定に署名し、現在に至っている。
 
 この間、国連が重要な役目を果たしていたことは確かであり、休戦協定もインドの提案に沿って成立した。ソ連の拒否権が欠席のため発動されない中で大多数の加盟国が決議に賛成して国連軍の編成を支持することになった。
 この戦争は米ソ冷戦時代の幕開けとなり、社会主義と自由主義の政治イデオロギー対立の時代が続くことになる。
 北朝鮮が38度線を越えて韓国を統一しようと企図した時、もしアメリカが朝鮮を見放していたら、今頃は全土が金正日の独裁下に支配されていることになる。その一方で、もし韓国の李承晩大統領が北を統一しようとした意図を受け入れていたら、ソ連の参戦を呼び世界大戦になっていたかも知れない。その意味で、トルーマン大統領が中国への空爆を避けて、マッカーサーを解任してまで戦争拡大を阻止した苦渋の決断は正しかった。
 その後、ソ連・東欧の崩壊に見るように社会主義イデオロギーの時代は終わり、中国もまた市場主義経済を積極的に取り入れている。
 政治イデオロギーの時代は終焉した。それに代わって、イラク戦争に見られるように宗教イデオロギーの対立が表面化しているのが現在といえないだろうか。
 実際にイデオロギー(思想・主義・正義)としては自由主義や民主主義は、文字通り強固な団結や統一には向いていない。まして武力で押しつけるものではない。アメリカは朝鮮戦争では受身ではあれ社会主義イデオロギーを阻止することに成功したが、ベトナムやイラクでは失敗した。本当の社会改革は武器によって成功するのではなく、個人の自覚による変革に待つしかないだろう。

 朝鮮戦争は日本経済復興のきっかけとなったとされるが、当時の日本はまだ復興の途上で生活が苦しく、戦争特需が直接日本経済をうるおした影響は小さいものだとも言われている。むしろ休戦後の復興のための需要が大きかったと思われる。筆者は休戦後1955年頃の日本の経済状況についてある程度の体験はあるが、当時はたいへんな不況の中で職探しに苦労した記憶がある。
 朝鮮戦争を通して北朝鮮・中国の脅威を痛感したアメリカは、日本の再軍備と自由主義陣営としての早期独立を検討しなければならない状況になり、1950年7月警察予備隊の結成を命じ、ついで、1951年9月8日に日米安全保障条約(1960年改訂)及びサンフランシスコ平和条約の締結。その後の自衛隊設立(1954年6月)の要因になった。

 それにしても北朝鮮が「民主主義人民共和国」を名乗っているのが不思議でならない。独裁政権でありながら何が「民主主義」なのか「人民共和国」なのか、名と実の矛盾も甚だしいが、正反対の名称を付けても政治的には通用するのだろうか。
 ひるがえって日本を「美しい国」と呼ぶ安倍首相が名実ともにふさわしい政権になるのかどうか、呼び名だけに惑わされてはならないであろう。


2 コメント

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無題 (通りすがりの朝鮮半島ウォッチャー)
2014-12-05 20:06:02
>北朝鮮が「民主主義人民共和国」を名乗っているのが不思議でならない。独裁政権でありながら何が「民主主義」なのか「人民共和国」なのか

そのスジでいくと、民主化以前の軍事独裁韓国が「大韓民国」を名乗ってきたことも、「不思議でならない」ブラックジョークだったんじゃないですかね? 民衆の意思を国政に反映しない「民国」とはこれいかに?

まあいずれにせよ、解放後に南では民衆と指導的人物たち(あなた、そういう人物の名をいくつ挙げられますか?)の独立自存要求をアメリカがへし折った。それを受けて北では、武力統一も辞さない極めて攻撃的な政策が立てられていったわけで。

もし朝鮮戦争の結果(というか、むしろ解放直後に)土着の朝鮮人政治勢力による自治を朝鮮全土で可能にしていたなら、現在の北朝鮮と「まるっきり同じ事態」が起きていたと思いますか? 
朝鮮半島の赤化を極端に恐れたアメリカの政策(それは数百万単位の人命の犠牲が伴いました)が、結果的に「金日成一人のカリスマだけで成り立ついびつな国家」――それはある意味、南の軍事独裁政権の鏡像でもあったりします――を自ら生み出してしまった可能性だってあるんです。

そういうところまで想像の射程域に収められずに「北が民主主義を名乗って云々」などというどうでもいい揶揄をしているところに、あなたの分析眼の甘々ぶりをさらけ出していると私には思えます。
追伸 (通りすがりの朝鮮半島ウォッチャー)
2014-12-05 20:21:26
>朝鮮戦争の実態を知るには(略)神谷不二著『朝鮮戦争』(中公新書・1966初版)という優れた文献がある

あなた、朝鮮戦争を語ろうっていうんならブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』(http://www.amazon.co.jp/dp/4750335649)くらい読んでおいてください。
あなたの思うようなことばかり書いてくれている本ではありませんが、たかだか新書一冊で解放直後の朝鮮半島状勢を語ろうという姿勢には非常に安直なものを感じます。

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