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アイドルソング分析シリーズ2:テクノポップ

2011-07-30 12:56:12 | コラム的な何か
シリーズって書いちゃったからには、あと何回かやるべきだと思うので、休息しがてらいくつかのアイドルソングを分析したいと思う。

今回は、大胆にもテクノポップについて考えてみようではないか、と思う次第である。

しかし私は完全に門外漢な領域。だから分析は不可能なので、ただ紹介するという感じになると思う。

それでも書かざるを得ないのは、現在のところJポップにおいてテクノポップは無視しえない存在だからである。

もうひとつ指摘できるのが、日本でのテクノポップの隆盛とともに、アメリカのR&Bも2010年代に入る辺りからテクノ寄りなものが主流になり、日米で主流の音色がかなり被っているということである。



では早速Jポップのテクノポップ作品を見てみよう。いまやテクノポップの旗手と言えば、中田ヤスタカだろうと思う。

その最近の作品がこちら。



「きゃりーぱみゅぱみゅ」という声に出して読みにくい名前のモデルさんの曲。

この楽曲は非常に複雑に音が重ねてある。思うに、中田作品のなかでも、かなり重ねてある方だと思う。

そして少し粘るように繰り出されるバスドラム含め、グルーブも良く出来ている。歌詞の語呂も異常に良い(意味は完全に不明)。



テクノポップでまず聴くべきなのは、(私の個人的見解では)使っている音色だ。

音楽において比較的最近発見された領域、いわゆる「質」の問題である。

音の「質」はテクノが発展させた領域であり、テクノポップはそのテクノの大きな財産で食べているところがある。

「きゃりーぱみゅぱみゅ」の本作品もかなり色々な音色が重ねられている。

テクノポップの特徴は、そのキラキラ感だ。キラキラにするために色々な音色が動員される。そのキラキラ音色は、チープとポップのギリギリのバランスを取ったものになる。

もうひとつ指摘できるのが、ボーカルをインストに寄せる傾向だ。インストをボーカルに寄せるというよりはその逆で、ボーカルを加工したりすることで、インストとボーカルが一体になる。

ここで実力派の若手アーティストであるラムライダーのプロデュース作品を見てみよう。


IMALUとやついいちろうのユニットSushi Pizzaによる曲だが、チープとポップのギリギリのバランスの好例と言えるだろう。

ちなみに、別の回で書くと思うがIMALUは歌がうまい。

テクノポップは確かに声を加工するが、歌が下手でいいわけではない。やはり、ボーカルにはテクノポップなりの上手さが求められる。



テクノポップの場合、コード進行は色が濃いめだ。

複雑な進行よりも、原色そのままみたいな進行が多い(その分、転調でメリハリをつけることが多い)。テクノポップはそこで勝負しないからであり、テクノ音色と食い合わせが良いからだ。

テクノは本来コードというものにこだわりが無いジャンルで、そうした縛りから解放された数少ない音楽ジャンルである。

それに対してテクノポップはポップの名に違わぬ分かりやすくてキャッチーな進行を目指す。



テクノポップのなかでも良質な楽曲を歌ってきたSaori@destinyの楽曲を見てみよう。

作曲はKampkin Malkee。中田ヤスタカと比較されるプロデューサーのTerukado周辺でたまに目にする作曲家であるが、全くよく知らない。

例によってコードは非常に単純で、原色そのものだ。

それに対して音色は精巧に出来ている。ねじったり、ひねったりして、飽きさせない展開。これまで紹介してきた作品よりは、やや尖っていると言えるかもしれない。



テクノポップの最後にしておきたい最大の特徴はグルーブだ。

代表的テクノポップのアイドル、パヒュームの楽曲を見てみよう。


「ポリリズム」の詳細な話はまた別の機会にしたいが、要するにポリリズムとは、4拍と5拍など、西洋音楽では想定されていない別の拍子が同時平行的に共存するリズム構造を指す。

この曲では、ポ・リ・リ・ズ・ム、という歌詞が五拍で、これを繰り返すところで4と5が共存し、その後、リ・ズ・ムを繰り返すところで、3と4が共存する。

そうしたことに象徴されるように、テクノポップはテクノの名を冠するだけあって、グルーブへの配慮が出来ている。

テクノはしばしば単純な4つ打ちと思われがちだが、そうではない。それは間違っている。

4つ打つにしても、上に重ねるものによって全くグルーブが違ってくるし、4つの打つタイミングによってもノリは全く変わってくる。

このノリの良さは、ブラックミュージックが伝統的に追及してきたスウィングやグルーブとは相当異なる。



さて、最後に日米の違いについて考えてみよう。

アメリカのテクノっぽい音色の、ポップスと言えばこちら。



泣く子も黙るガガ様のポーカー・フェイスだ。

テクノポップとの違いは明らかというか、比較が不可能なほど違う(テクノっぽい音色という括りがおかしいのか?)。


音色は似ているには似ているが、音数が非常に少ないことに気づくだろう。これは2000年代のソウル音楽およびソウル系のポップスの流れから来ている。

2000年代はソウル系のポップスが非常に単純な構造に向かった時期だった。コード進行もほとんどしない、バックトラックも重ねない。試されるがボーカルの歌唱力であり、グルーブという時代だった。

10年代に入るあたりから登場したテクノ寄りのポップなソウルは、もう少し調性が出てきて音も重ねるようになった。

それでもボーカルの力強さは相変わらず凄い。かわいいではなく、セクシーが追及される。

ボーカルが太いから、音数があんまり多いと食い合わせが悪いのだ。

例えば、Rihannaのこの楽曲はその良い例だろう。



グルーブも全く違うことがすぐに分かるだろう。

テクノというよりも、基本的にジャンルがソウルだからハウスに近く、いわゆるリズムにタメがある。そこがブラックミュージックたるゆえんだ。

どちらが優れているということではない。

どちらも意匠が凝らされているものは凝らされているのである(いないものは、いない)。

ただ私個人はブラックミュージック・フリークである。それは趣味の問題。

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