郷に従ってきたつもりだけど、僕は小学校の通信簿にはいつも協調性がないと書かれていた。第3者から見てそうに違いないのだろうし、実際僕が愛したスポーツは全部個人競技で球技などの団体プレイは全く関心が持てなかった。しかもほかの人とは違ってスポーツ観戦の趣味もなかった。スポーツとは全部自分で実地にやるべきものだと思っていたから、TVでそれを観戦して楽しむという行為が自分には理解できなかった。そんな風だから世の中と相容れるところが少なく、どんな業界でも成功することはなかった。そして挙句の果ては最貧民となった。特に和を尊しとする日本の風土には馴染めなかった。最貧民となったが後先短い後期高齢者になったので食料品以外は買うものもないので金銭的には不自由しなくなった。今日も写真を整理していて2018年に描いた絵と言えば今から7年前の作ではないか、果たして次の7年先には自分はこの世に存在しているのかしら、と考える始末で残り時間の少ないことを思わないわけには行かない。少し前には自分の画集を自費出版して生前馴染みのあった人々に贈りたいと考えていたけれど、現代社会では死ねば即刻忘れ去られてしまうのが一般だからそんな必要があるのかしらと疑問に思えてきた。マスコミ等でちやほやされている時の人でもマスコミから消えて一年もすればもうだれ一人語るものがいないという何ともはや諸行無常の激しい昨今であれば、死後のことなど考えるのは本当に馬鹿馬鹿しく思われる。それがあって「今だけ俺だけ金だけ」といった下卑た人間喪失が日本中に蔓延し始めたのだろう。死んで名を遺す、等は虚妄でしかなくなった。
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今朝は4時起きですぐにパソコンをオンにしたが、なぜか調子が悪くいつも通りに動き始めるまで1時間も時間を無駄にした。あちらからAIを活用せよだのWindows11に変更せよだの様々な変更を催促してくるので、これに悩まされることが多くなった。僕は旧来の方法で何一つ不自由を感じていないのだから、もう何一つ変更しないでくれと思っているのだけど、今の機械文明はそれを許してくれない。機械文明とは次々と使えるものを廃棄させ常に新しいものを追求させる経済活動に過ぎないのだからこれに繋がれば一生を彼らの経済活動のために振り回されることになる、いわゆる機械の奴隷になるわけである。今の家庭内機械文明はせいぜい1960年代から始まったもので、それ以前の日本人は戦前と違わないほどの旧式でみんな生活していたのである。そしてそれで不自由もなかったのである。日本人が不自由を感じ始めたのは機械文明が家庭に侵略してからのことなのである。それは時間にしてせいぜい65年程度の短い、それこそ人類史の長さを1時間で見れば最後の一秒くらいでこんな大変化が生じてしまったのだ。そして人類は地球を何度も粉々にできるほどの核爆弾を保有することになり、毎日あちこちで紛争を起こし互いに殺しあう愚かなことを続けているわけである。だから自分だけはこういう社会とは協調しないで独自のサバイバル路線を試行錯誤しているわけだ。
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6時を過ぎたので今日は忘れずにゴミ出しすませた。月曜日のゴミ出しを忘れたので袋の中の生ごみの最長は10日も経っている、真夏にこんなことになれば最悪だ。我が家は冷蔵庫もエアコンもないので猛暑が続く間はこまめにゴミ出しをしなければコバエがわいたり臭ったりする。最大の生ごみとなる予定の自分自身は孤独死が連想されるので、今から荷物を整理して何も残さないように心がけ金目のものは何もないという状態を常態として以後は施錠をしない生活を空想している。今現在すでに無一文の生活を実践しているのだから、後はいつになったらドアの施錠をしないでも暮らせる日が来るかと、それだけを考えている。
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昨日街に出ていたら急に有馬温泉に行きたいと思った。それで今日そのつもりでいたら先ほどからコンピューターが、雨が近づいています、今日は雨です、雷雨注意報、等、盛んに警告を発するので出鼻をくじかれている。西の空を見ても曇ってはいるが雨が近づいているという実感は持てない。最も山間部に行けば平地で大丈夫でも雨が降っている場合があるから、今日は自宅にいたほうが良いのかもしれない。
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これでひと先ずはこの絵から離れたい。次は今一番関心を深めているラファエロに挑戦したい。20年前には少しも関心を持っていなかったのだけど、今は彼の作品の魅力に憑りつかれている。こんな風に模写をしている限り次々と新発見があるのでこの20年間少しも退屈をすることがなかった。僕がインターネットから受けた恩恵の第一は模写をするのにとても都合が良かったということだろう。その点だけは感謝である。
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11時49分のバスで外出しバスの定期券更新、食品の購入を済ませて帰宅後午睡、また4時過ぎに復活してはベランダの植物の成長を観察す。生きていることを共感できる仲間はこの植物たちだけだ。自分の孤独については以前は随分と悩まされたものだが、コロナのおかげで鍛えられもう一年中人間との接触がなくともやっていけるようになった。今年来日する予定になっていたマレーシアの友人家族が急にスイスに移住することになって彼らに会える希望が無くなってしまった。それでも一向平気でいられるのは孤独を克服することができたからだろうと思う。
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夕食後はTBS のニュースと毛虫が蝶になるまでの生活記録を何本か観て午後9時床に就く。結局この日は雨は降らず、先日から考えていた天気予報は当てにならないを再確認した。おそらくはこれもAIでやっているのでこういう間違いが起きるのだろう。それでもまずは過不足無き一日であった。
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