昨日は絵も描かず何もせず失意のうちに悶々として無為に過ごした。というのも小生のミニ菜園のやり方がことごとくプロのやり方と違っていて、どうして始める前にプロのやり方をあらかじめネットで調べておかなかったのかと後悔することおびただしだったのである。プロのYoutubeビデオを見て知ったことは小生が用意した植木鉢はちいさすぎるということ。支柱は1.8メートル必要なこと。もう定植してしまったのだから今更大きな鉢を買ってきて植え替えはできないこと。しからばどうするか。大きな鉢を一つだけ買ってきてこれにはプロの言う通りのやり方に従って新しい苗を植え育てる。そして自分の失敗した4つの鉢は失敗の見本としてどのように2種類のやり方に差が生まれるかを観察すれば来年以降の上達に繋がること間違いなく、それが失敗作を活かす方法であろうと思う。そして夏野菜はゴールデンウイーク過ぎから始めることも可能だから4月は旅行のために日をあけておくこと。以上を夢の中で考えて、今朝は気持ちよく目覚めた。起床時刻は2時45分だった。
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それから例によって模写アルバムを整理し始めた。これで不思議なことを発見した。情報化時代と言われる現在よりも情報化以前のほうが確かな情報を得られて、情報化時代と言われる現在のほうが情報を得るのが困難という本末転倒が今実際に存在していることを僕は発見してしまったのだ。というのも、現代作家の作品の画像はネット上に溢れているのだけど、画家の名前や国籍、生年月日が全然わからないというのが数多くそんざいするのだ。本人が公表していないのかどうか判然としないが、事実は名前、国籍、生年月日のわからない画家の絵が氾濫しているというわけだ。そういう画像をSNS上で拡散させている人間はきっと画像にだけ関心があって作者には無関心であったか、あるいは小生と同じように調べても結果が得られないのであきらめたかしたのだと思う。小生としては自分が何時間も費やして模写をした原画の作者が分からないというのは何とも締りがつかないここちがするのである。この頃は個人情報云々のせいか本の著者までが生年月日を公表しないのがいて、僕は大いに疑問を感じている。というのも年齢が分からないでは著者の育った時代の背景が皆目つかめないので、せっかく本を読んでも印象が薄味になってしまうのだ。こんなことを本を出版するほどの人間が不自然に感じないのだろうか。小生には理解不能である。あるいはエチケット違反という印象さえ感じてしまう。
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9時過ぎから太陽が出てそれで気温は上昇し今は午後1時で16度である。例によってミニ菜園の世話に午前中を費やし、午後になってまたカレーと味噌汁の仕込みをした。菜園は昨日よりはすっきりとしたのでこちらの気持ちもさっぱりしてきた。これから昼寝をして4時すぐに起きたら絵を描こうと思っている。
昨日の状態。
今日の状態。
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4時に午睡から目覚めすぐに裏庭(自称)の桜を確認しに行った。満開だった。しかし明日は土砂降りだと言われているから明後日には半分は落下していることだろう。
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7時から8時まで一時間模写をする。
そろそろ就寝の時刻だ。これから聖書を3頁読んで終了とする。今日はまずまずの一日だった。明日は雨天で外出できないだろうから絵と読書に耽りたい。
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