カオサンロードでのスサーナとの出会いは数時間の出来事に過ぎなかったのでその後すっかり忘れていた。それから半年ばかりして僕は台湾の首都台北の頼太太のゲストハウスに泊まっていた。そこで顔馴染みになったアメリカ青年とよく話す機会があった。彼は台北で英語を教えてのんきに暮らしていた。僕はその後のバックパッカーの旅の途上大変多くの英語のネイティブ達が東南アジア各地で英語を教えながら旅を楽しんでいたのに出会った。後述する機会があるかもしれないが、シンガポールで出会ったイギリス人女性のエリザベスは僕の生まれ故郷である西宮の有名な女子大で英語を教えていた。その大学は僕の生家と目と鼻の先にあった。だから僕はエリザベスとも生まれ育った街ですれ違っていたかもしれないのである。small worldを感じるのはこういう体験からだ。
ある時そのアメリカ青年がとても興奮しているのに出くわした。事情を聴くと今日スペイン語の教師と初めてのデイトなんだと嬉しそうに語った。とても頭がよくて美人なのそうだ。それは良かったね、楽しみだね、と相槌を打つと、彼は彼女がコロンビアから来ていると話し出した。それで僕はひらめくものがあって、彼女の名前はスサーナと言わないか、と訊くと彼は非常に驚いて、どうして彼女の名前を知っているのかと目を丸くするのだった。それで半年前のカオサンロードでの出来事を話すと、彼はsmall worldといって感嘆するのだった。僕も不思議な巡りあわせだと思ったので彼女の電話番号を訊き、その日の午後の便で帰国した。その後アメリカ青年とは会っていないが、僕はスサーナにはある懐かしさから電話を架けていたのだった。30分ばかり話しただろうか、その翌月の請求書が1万円に近かったことを憶えている。
以上は本当に体験した記憶なのだが、どうしても今考えて判然としないのは、どうしてあの時僕は台北を訪ねていたのかという点なのだ。台北には何度も足を運んでいるのだけど、この時点ではもう台北に行く必要はなくなっていたはずなのだ。それなのになぜ僕は台北にいたのだろう。その点がどうしても思い出せないのである。今考えても不思議なのはこの点である。