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毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

ヤナのこと

2025-03-12 07:50:54 | マラッカ紀行

僕は非常に多くの女性に会い彼女たちを絵に描いてきたので、よくほかの男性からどこの国の女性が世界で最も美しいかと尋ねられた。答えはどこの国の女性も違いがないと言いとおした。すべての女性、特に若い女性は世界中どこへ行っても美しく、それはいい伴侶に出会えるために神様が施した天の配剤というものだと思っていた。


僕は一度描いた女性をわすれることがなかった。何千人描こうとも道で出会えばきっと思い出す。絵を描くということはそういうことで例え20分間の速写であってもその間に千回くらいは相手の特徴を追っかけるので、少々のことではわすれられないのだ。そして僕はしばしば彼女たちと恋に落ちた。が、それはたいてい一方通行の恋に終わった。ことにドイツ人とのめぐりあわせには縁がなかった。僕の観察では世界を旅している国民で一番数が多いのがドイツ人だという気がするのだが、そして実際に大変多くのドイツ人女性に出会ったのだけど双方向の愛の経験はもてなかった。どうも僕はドイツ女性との相性があんまりよくないのかもしれない。


僕が夢中になった最初のドイツ人女性は、とても官能的な姿をしていて頭が良く、5000ピースのジグソーパズルを半日で完成させてしまった。彼女の目はいつもハンターのようにキラキラと輝いていた。いつものように彼女を描いて夕食に招待した、その瞬間から僕たちは打ち解けた間がらになり、毎日ふたりで買い物に行ったり街を歩いたりした。彼女は街並みをスケッチするのがとても上手だった。それで僕はスケッチを楽しんでいる彼女をスケッチして飽きることがなかった。お互いにとても良い友達関係だった。そんな日が数日続いた後、僕は彼女を少し改まったレストランに招待した。豪華なステーキディナーとたくさんのビールを注文し、たくさん話しをした。僕は席を立って戻ってくるときに彼女の金髪とむき出しになっている肩と背中を眺めては誰彼に自慢したくなるような興奮を覚えた。僕は今この美しい女性とデイトをしているのだ。なんという誇らしい時間であることか。


僕たちはその夜、かなり泥酔してゲストハウスに戻ってきた。とっくに玄関のドアはしめられてあり、外の鉄格子のドアも鎖を巻き付けて施錠されていた。しかし、僕はその合いかぎを持っていたので何も困らなかった。門に入った後、僕は再びそれをロックし、彼女の方へ振り返った。すると僕の鼻先に彼女のあの美しい顔があったのである。その瞬間に僕は自分自身を失った。僕は彼女を腕に抱きしめ、彼女の唇にキスをした、彼女は彼女の口を開いて僕を受け入れた。しかしそれ以上は許さなかった。僕はたまらなく彼女が欲しかった。が、彼女ははっきりといった。No, I cant.


その次の夜がビリヤードのチャンピオンシップの日だった。僕は彼女を誘い一緒に夜の酒場へと向かった。僕はその試合に勝つはずだった。試合はトーナメント形式だった。僕は出番が回ってくるたびに彼女にキスをねだった。勝つためのおまじないだった。勝負が始まると彼女は隣の席に座っていた若いニュージーランドのハンサムな男性と話していた。僕は彼女の手前もあって何とかこのイベントの最終勝者になりたかったが最後の決勝戦で敗者となった。勝者はその町に住んでいたイギリス人だった。僕はしばらく土地の友人たちと話し、それから家に帰りたいと彼女に告げた。すると彼女はもう少しそこにいたいと言ったので、僕一人そのカフェーを後にした。


その夜の明け方近く僕はトイレにたった。用を済ませて出ると別のバスルームのドアから明かりが漏れていた。驚いたことにそのドアが僕の目の前で突然開いた。次の瞬間には彼女の裸の体が僕の目のなかにあった。が、それは彼女一人ではなかった。奥に例の二ュージーランド人の姿もあったのだった。
僕はその日のうちにこの町を去った。

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癒しの世界

2025-03-02 09:14:32 | マラッカ紀行

以上7つの報告は25年も前に書いたものだから修正の必要があろうかと思われる。おいおいそれをやっていきたい。最後に僕が訪問したのは2014年だから、それからでもまた変化したことは想像を要しない。ともかくも2008年に世界遺産に登録されてからは急に街中が色めき立ち、国内外からの産業資本が入ってきて元の静けさは消えてなくなってしまった。ヒルトンホテルまで入ってきたのでその世俗化は言語に絶する。僕みたいな貧乏人はもう楽しめない観光地にかわりつつあるのかもしれない。それでも僕にとってはマラッカは生涯忘れえぬ土地だし、もう一度訪れたい気持ちは変わらない。何がいいと言ってホームレスの猫がいっぱいいて、その猫たちが全く人間を怖れないでどこにでも寝転がっているのを見るのがとても嬉しいからだ。この平和な光景を見るだけでこの国がいかに優しさに満ちているかが分かろうというものだ。余計なもの、役に立たないもの、汚いものをすべて消去しようという国柄からは決して得ることのできない癒しが頂戴できるというものなのだ。

日本を訪れたこともあるフランシスコ・ザビエルの遺体が一時期この鉄策の下に眠っていた。

こういう姿を見ると本当に幸せとは何ぞやという気持ちを呼び起こされる。

日本だけがこういうストリートアーチストというものを見ることができない国になっている。世界の観光地はストリートアーチストがいっぱいいる。

彼がこの猫たちの世話をしてくれているので僕は僅かだけど猫の餌代を置いてきた。

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典子のこと その3

2025-02-22 06:16:09 | マラッカ紀行

1年後いつものようにプールに向かって歩いていたら突然典子が目の前に現れたので驚いた。
「どうしたの。また戻ってきたんですか」
僕が質問をすると、彼女は、
「わたし結婚したの。今彼とこの街に住んでいるのよ」
と満面の笑みで答えた。

僕は彼女を一番近いコーヒーショップに誘い話の続きを聞いた。
「それはそれはおめでとうございます。素晴らしいお話ですね。ご主人はどんな人なんですか」
典子はいつどこでどのようにして二人が出会ったかを話し始めた。彼女は彼に一目惚れをしたというのである。その相手はギターを弾き歌う大道芸人だった。人種的にはインド人だった。

「今彼は法律家になるために猛勉強をしているの。試験に受かったら事務所をオープンするの。私は日本では教師として働いていたの。すでに自分の家も持っていたけれど、彼と結婚するためにすべてをなげうってここに来たわ。念願のマラッカに住めて私本当に幸せだわ」

僕は彼女がすべての生活コストを負担していることを想像した。この10年の間に似たような話をどれだけ聞いたことだろう。怠け者の一文無しが日本女性を誘惑して安逸をむさぼるというケースだ。僕は彼女のケースが例外であることを願わずにはいられなかった。


6か月後、僕は彼女から事務所開きの招待状を頂戴した。相手のインド人は映画スターのような二枚目で粋なタキシードに身を包んでいた。一方典子は赤い色が勝ったサリーを着て輝いていた。僕は彼女との会話を楽しみにして出かけたのだが、彼女はゲストをもてなすために大忙しだった。彼女はホステスというよりはメイドのように献身的に振舞っていた。僕は日本とは違った文化や慣習が支配する世界に一人で飛び込んだ彼女の勇気を思った。

それからもしばしば僕は典子とその旦那がマラッカの夕闇の中を歩いている姿を目撃した。しかしいずれもカフェの席からであったから彼らに声をかけることはなかった。

ちょうどマラッカでの生活が2年を迎えたとき、僕はまた軍資金と娘の養育費調達のために帰国し、タクシー運転手として死に物狂いで働いた。タクシー稼業は普通一日おきの13当務だが、非番の日に空きの車があればそれに乗って営業ができるのだ。こうすれば体はとてもきつくなるのだが、収入は確実に延ばせるわけだった。しかもこの度は会社のたこ部屋のような寮に入り日本での生活費を極力少なくした。その甲斐あって、僕はまた一年後にマラッカへ戻ることができた。久しぶりに友と飲み交わすと、

「秀実、君は典子のことを憶えているか」
と友が訊くのであった。

「もちろん、憶えているさ」
「知っているかい典子は今日本にいるよ」
「そうかい、おめでたなんだね」
「違うんだよ。彼らは別れたのさ」
「いったいどうしてなんだ」
「あの亭主は怠け者のアルコール中毒でよく典子に暴力をはたらいたらしい」
「どうしてそんなことを知っているんだい」
「マラッカは小さな街なんだよ」

それ以来しばらくの間は、たばこを吸うたびに典子のことが思い出されてならなかった。どうやら彼女の知性は彼女の人生に役立ったなかったようだ。彼女はたばこのみを毛嫌いするあまり酒飲みを選んだらしい。きっとこれに懲りて次回は酒もたばこもやらない相手を選ぶに違いないだろう。それはともかくとして、元気で再出発をしてほしいと願うのであった。完。

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典子のこと その2

2025-02-20 18:28:26 | マラッカ紀行

ーーーーーーーー
翌日僕たちはもっと打ち解けて話せるようになっていた。昨日の夕食会が功をすいしたのだ。ロニーと典子が用意した料理はマレーシアの国民食ともいわれるナシレマだった。典子の英語は実に流暢で、きっと若い時に英国へでも留学していたのではないかと思わせた。その典子を捕まえて僕は絵のモデルを願い出た。彼女は他の日本女性とは違って気軽にその役を引き受けてくれた。たいていの馬鹿な日本女性はそれが礼儀作法かと錯覚したように必ず最初は断るのであった。それがどれだけ画家の気分を削ぐかまでは頭が回らないらしい。しかし典子は違った。こちらの期待通りのポーズをつくってくれた。そして30分ほどで描き終えた鉛筆画を見せると、

「ワオ、私よりずっと奇麗」
語尾を長く引いて日本語で言うのだった。だから僕も彼女の言葉につられて英語でしか言えないような言葉を日本語で口にしてしまった。
「あなたは実際にきれいです」

それから僕たちは非常に親しい気持ちになって旅の話やマラッカの街にまつわる話をたくさんした。するとロニーの連れ合いであるビーが僕たちの会話に加わってきてこう言うのだった。
「秀実は悪い男ではないよ。別れたお子さんに養育費を今も送り続けているのよ。感心じゃないの、ね」

その夜僕たちは二人でレストランに行き、夜更けまで楽しく話した。その翌日彼女が僕に言った。
「あなたはとてもいい人だと思うわ、でもどうしてたばこなんか吸うのよ」

僕はとっさには答えるすべがなかった。一体なぜ彼女は突然こんなことを言い始めたのかと戸惑うばかりだった。彼女の表情からは非常にたばこのみを軽蔑している様子が受け取れた。またはたばこのみにかかわる悪い思い出を抱いていたのかも知れなかった。そして彼女は外へ散歩に出ていった。が、その散歩に自分を誘ってはくれなかった。そしてその翌日にはシンガポールへと旅立ってしまった。これがはじめて典子に出会ったときの一部始終である。続く。

 

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典子のこと

2025-02-18 08:43:40 | マラッカ紀行

僕は東京からやって来た彼女のことを今でもよく覚えている。彼女はとても美しい日本女性だった。

いつものように遅く目覚めた僕はまっすぐにシャワー室へ飛び込んだ。そして冷たい水を頭から浴びながら、ゲストハウスのオーナー夫婦が、初めて耳にする女性の名前を何度も呼んでいるのを聞いた。
シャワー室を出た僕にロニーが満面の笑みをたたえて話しかけてきた。

「おはよう秀実、調子はどう」僕はいつも通りの返事に加え、
「いったいどうしたの。随分と上機嫌じゃないか」と答えた。

すると彼は。
「わたしの娘の典子がたった今東京から着いたばかりなんだ」

そういって20代後半の好奇心に満ちた瞳をした彼女を自慢そうに紹介しようとするのだった。
そこで僕は、
「本当にロニーが言う通りなんですか」と聞かざるを得なかった。
すると彼女は、
「もちろん冗談よ。でも彼はいつも私のことを実の娘のように扱うの」
と、優しい笑みを浮かべて答えるのだった。彼女の英語は非常に流暢であった。その典子の返事においかぶさるようにして、
「本当を言うとね、彼女を二番目の女房にしたいんだけどね、は、は」
と、モスリムであるロニーは悪びれずに付け加えるのだった。

典子はこれまで自分が見て来た日本女性とは全然違って見えた。彼女の黒い瞳は知性の輝きを十二分に湛えていた。肌は大粒の真珠のように滑らかで透明感があった。その美しい肩の上に漆黒の髪が泳ぐ風情が何とも言えなかった。それでもスロースタータである自分は「Nice to meet you」と社交辞令的に言ってその場を離れると、バルコニーに出てその日一番の煙草に火をつけるのであった。すると背後から、
「秀実、今晩は典子のために歓迎パーティーを開くんだ。秀実も参加してほしい」
と、ロニーの声。僕は即座にOKと答えていた。

その後ロニーは典子と連れだって買い物に出て行った。そしてロニーの妻ビーもホールを離れたその隙を狙って、僕はレセプションカウンターの上に開いたままで置かれてあった宿帳を覗いた。彼女の職業欄にはofficerと記入されていた。だから何かの公務員職にあるのだろうと僕は推測した。年齢は29歳だった。続く。

 

 

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