毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

世界平和指数ランキング  その 2

2025-01-27 14:07:18 | 貧乏について

油彩 15x20cm 2021年

1位 アイスランド 1.124
2位 デンマーク 1.310
3位 アイルランド 1.312
4位 ニュージーランド 1.313
5位 オーストリア 1.316
6位 シンガポール 1.332
7位 ポルトガル 1.333
8位 スロベニア 1.334
9位 日本 1.336
10位 スイス

10位までの順位は上のようになるのだが、カナダが最新版で11位に続くのも不思議で、その前年は10位以内に入っていたと記憶する。福祉と愛国心に満ちているSwedenが28位なのにも驚いた。前の年の報告では45位くらいに落ちていて心配になりストックホルムの友人にメールを送ったら、移民問題から問題が次々に発生していて移民二世によるギャング集団が犯罪を多く起こしていると嘆いていた。僕はアメリカ合衆国の印象があまり良くなかったのでこのランキングを見てみたらやはり世界139位だというのでこれは素直に納得ができた。あちらには友人がたくさんいるのだけど2014年に最後の海外旅行として選んだのはやはりマレーシアだった。アメリカには少しも行きたいと思わなかった。そのおりタイにも足を伸ばしたのだけど、ランキング92位とかなり安全度評価が低いのは意外だった。僕はタイにも多くの思い出を残しているし平和そのものに感じていたからこのランク付けには意外感を抱いた。面白いのは中国の80位で続いてウクライナ、ロシアがそれぞれ156位167位、イスラエルが143位というところだろうか。ちなみに北朝鮮はとここまで書き継いできて僕は引用している表の正しくないことを発見した。

こちらの表のほうがずっと信ぴょう性があって、やはり僕が考えていた通り日本は第17位だった。そしてこの表で見ればアメリカ合衆国は132位でブラジルより下位にあった。ちなみに中国はこの表では88位フランスが86位、残念なのは僕の大好きなイギリスが34位Swedenが39位というところだろうか。

https://www.economicsandpeace.org/wp-content/uploads/2024/06/GPI-2024-web.pdf

 

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世界平和指数ランキング

2025-01-27 11:20:17 | 貧乏について

油彩 15x20cm 2015年

僕が日本映画を観なくなって久しい。小津安二郎と黒澤明作品だけを見ていれば十分だと思っている口で、二人の作品に比べるととてものこと日本映画没落後の映画など見る気にはなれない。初めの5分だけでさようならをする。全く観客を馬鹿にしているのかと思うほどの劣悪さを感じるからだ。黒澤明作品はなかなかYouTubeでは見られないが、僕は昔長い間マレーシアにいたので海賊版コピーを一作品150円見当で買い漁ったので今に至って大変重宝している。小津作品は今でもかなりの数YouTubeでみられるからこれを鑑賞しないのは実にもったいない。日本の宝と言っても過言ではないだろう。最近山本嘉次郎の『綴り方教室』を偶然のことから鑑賞し、高峰秀子の天才に驚き、かって彼女の映画に熱をあげたことがなかった自分なのだが、今は高峰秀子様様という状態に陥っている。それで彼女の大エッセイ『私の渡世日記』上下巻をまもなく読破しようとしているところだ。これを読み終えたらもっと彼女の書いたものに触れたいと思って図書館の予約リストにあるだけ書き加えている。これまで日本の女優と言ったら原節子一人に限っていたのが、今は若尾文子、高峰秀子と三人に拡大し賑やかになってきた。うれしいことだ。

日本映画を観なくなった理由の一つに見たいと思うような喜劇が全くなくなってしまったことだ。以前は毎年二回寅さんを愉しんでいたのだが、渥美清の死によってこれもおじゃんになってしまった。再上映してくれればいいようなものだがどこの劇場にもかからない。上質の喜劇がなくなったというのも息苦しい日本の世情を反映してのことと思う。僕は自分の恋愛失恋経験が寅さんの場合と非常に重なるので、これをまた何度も見たいと思っている。しかし健全で上質な笑いが消滅してしまったような今の日本が世界平和指数ランキングで見れば第9位に登っているのがふしぎでならない。これは最新の2024年の報告だが、その前の年には確か日本は世界で15位くらいで、今19位にランク付けされたマレーシアが実は9位だったことを覚えているのである。外国にいると日本のニュースが報じられることは滅多にないので、日本はよほど安全で平和な国と思われているのに違いない。僕の経験からすればマレーシアのほうがずっと上位にあってしかるべきだという気がする。同じ意味で世界一幸福な国と言われているブータンが17位にあるのも合点がいかない。この表の信ぴょう性がうたがわれてならない。事項に続く。

世界平和指数ランキングhttps://worldinvest.jp/anzenranking/

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ペットとの共生

2025-01-27 09:37:29 | 貧乏について

oil 26x36cm 2014

世の中が物騒になってきたのでみんなが家に閉じこもり、人間よりはペットに精神的交流を期待するようになったのは、とてもよく理解できることだ。一億総詐欺師時代とも思える今の世情ではドアを固く締めて密室の中でペットと暮らすのが一番とも思える。不幸なことに自分は市営住宅在住なのでいかなるペットも飼えない。だからこのブログ村でペットと一緒に暮らしている人を見ると羨ましくてならない。僕の人生はもう数年で終わると思っているのだけどペットが飼えないのだけが残念でならない。

本当に僕が生を持ち幼年時代を過ごした思い出を振り返るたびに日本の近年が非常に物騒になっているのがひしひしと感じられ、僕は一日を午後3時までに完了させ、その時刻には必ず帰宅しており、それ以後は絶対に外出しない、誰がインターフォーンを鳴らしても玄関を開けない、玄関わきの小部屋の窓を開けてそれでやり取りをする、という何とも閉鎖的な生活をしているのだけど、これは世にいう引きこもり状態とそう違わない気がしてならない。僕の場合は電話もなく日本中に一人の友達もいないので孤独死を覚悟しているのだけど、Facebookで好き勝手なことを言っているからストレスを溜めないでいられるのが嬉しい。けれども自分と同じように独り暮らしを続けているシニアで一日中テレビ以外には何もないという生活をしている人々がいるとしたら、僕は心からの同情を禁じ得ない。

しかしもっと悲しいのは、若い人々の中に自分たち孤独引きこもり老人とそう違わない生き方をしている人たちがたくさんいることである。金がなくなればアルバイトに出る、買い物はすべてコンビニですます、自炊は一切しない、テレビゲームをしてずっと家の中に籠っている。将来の設計も希望もない、友達もいない、まともな異性との接触もない、とまあ無い無い尽くしで僕から見れば無縁社会を生きているような若者の話を聞くと、本当にこの世の中が狂っているとしか思えない。少子化問題どころの話ではないのだ。世の中がすでに壊れているとしか思えないのである。それで、世界の最新の平和指数ランキングを見てみたら日本は第9位とあって、こんなに病んだ社会が世界の上位にランクされているのが僕には全く不思議でならない。まったく釈然としないのである。皆さんはどうだろうか。

世界平和指数ランキングhttps://worldinvest.jp/anzenranking/

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30年の変遷

2025-01-23 08:46:41 | 貧乏について

油彩 26x36cm 2016年

僕は東南アジアのあちこちの国で仏像を見て来たが、日本の仏像に関してはこの像に非常な愛着を覚えた。それで一気に描いてしまった。毎日見ているが一向に飽きが来ない。30年も前に中国を訪問した時は文化大革命の後遺症で上海市内の仏教寺院は修復がたいへんだったようだ。蘇州の有名な古寺寒山寺を訪ねたら本堂が土産物売り場になっていて興ざめしたのを覚えている。そのころ喫茶店に入っても汽車に乗ってもお茶を頼めば、ガラスコップに茶葉を一つかみ入れて大きなやかんから熱湯を注ぎ入れただけのものを提供された。もちろん有料である。驚いたのは南京の最期の夜同行の中国娘三人を連れてカラオケに入ったら、これがみなこのお茶をすすりながらカラオケを楽しんでいたことだ。少しもアルコールがなかったように思う。同行の中国娘から中国に残って日本語の教師にならないかと打診されたが、聞いてみれば彼らの一か月のサラリーの平均は自分の年齢の日本人サラリーマンに比べて60分の一しかならないのだった。30数年前まではどこへ行っても日本人の境遇はだんとつであって、お隣の韓国なども最貧国の一つであり、若者の男性たちはみな停戦下ということで迷彩服を着ていたし、自分が宿泊した外国人用ホテルのすぐ隣ではまだ七輪を使って朝晩の煮炊きをしていた。ところがそれから30数年経過してみれば、それらの貧しかった国々が日本を追い越しているのだから全く諸行無常、明日のことはわからないという気持ちにさせられる。

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下を向いて歩こう

2025-01-20 07:01:21 | 貧乏について

油彩 26x36cm 2014

中学に上がる直前まで僕は建て増した二階家の六畳で住み込みの大工さんたちと一緒に寝起きしていた。そのころ僕は大工さんたちに朝勃ちをよく冷やかされたものだけど、中学に上がったころは家の近くに親父がかなり広い空き地を借り受け材料置き場と職人部屋を造ったので、僕はその6畳間を一人で独占できることになった。そしてそこには親父が仕事先の施主からタダでもらってきた古い応接セットや78回転の蓄音機などがはいるのである。ちょっとしたプチブルの生活を体験するのだけど、まだそのころは戦災を免れて焼け残った大きな民家に何所帯もの家族が住み込んでいるという貧困も存在したのである。また戦争孤児を集めた孤児院から通ってくる同級生もいたのだった。ある時同級生の女の子の誕生日パーティーに招かれたので出かけたら、6畳一間に家族全員が寝起きしているという貧しい家だった。その女生徒はとても明るい人だったのだけど、その家庭の貧しい様子が見てとれて僕は胸が塞ぐのだった。僕は自分だけがプチブルのような生活を享受しているような罪悪感にその後ずっと苦しめられて、母親が買ってくれた新調の学生服を孤児院通いの同級生にあたえて自分は古い学生服のまま通すというような奇妙な行動を取るようになった。たった一人でもこの世に不幸な人がある限り自分だけが幸せを享受するのは間違っている、そんなことができる人間は人間の風上にも置けない、等ととんでもない理屈をこねあげて自分は貧乏の側に立とうと誓うのであった。ガザの難民キャンプで子供が低温症で何人も死んでいると聞けば、自分にストーブの使用を禁じてしまう悪癖がおさまらないのもこうした思春期の体験によるのだと思われる。

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