毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

着物は魔法のファッション その3

2025-02-12 09:18:47 | 日本の美

着物の利点と価値をいくら認めようと着る機会のないものに数十万円もかけられるものではない。それはわかる、けれども浴衣ならだれでも購買可能な値段だと思うので一枚くらい持っていてほしい。そして機会を作って我々男性の前で披露してもらいたい。カナダにいたときはカナダの女性は50を過ぎたらもうそれ以上は年齢を重ねないのだと言って若々しい色合いのものを好んで着るようになるのを毎日見ていたので、日本婦人が年老いてドブネズミ色の衣装ばかり着ているのは何とも情けない風情がする。同じドブネズミ色でも着物ならばもう少し豪華に上品に見える。少しは考えられたら良いかと思われる。昨今は着物のセカンドハンドが千円2千円で出回っている。『70歳年金5万円』の著者紫苑さんはそこのところをよくわきまえておられる。

55年前東京は水道橋でこんな風に浴衣を着こなして粋に歩いている姐さんを見てその時の眼が覚めるような姐さんの足の白さがいまだに瞼にこびりついて離れないでいる。古き良き時代の再来はもはや望めないのか。

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着物は魔法のファッション その2

2025-02-12 08:28:28 | 日本の美

西洋のファッションは肉体の線を極度に迄露出する方向にあるが日本の着物はその逆で隠すことで成り立っている。これほど西洋文化と日本文化の違いが象徴的に現れていることはないだろう。僕は西洋の若い女性の多くがTバックという超露出度の高い下着を愛用しているのに感嘆したことがあるけれども、それを普段愛用しているだけでなくビーチやプールサイドでも披露している女性たちを何人も見たがもっと度が進めばトップレスでいる女性たちもいっぱいいるのだ。これは日光浴の効果を高めているとはどうしても思えずむしろ己の肉体美を自慢しているのだと自分などは考えたが、決して間違ってはいないだろう。と、ここまで推察してきてふと日本の着物文化は日本人特有の隠ぺい体質の象徴かもしれないという考えが生まれてきた。僕は日本人なので人の家に行って勝手に冷蔵庫の中を漁るということがどうしてもできなかった。しかし西洋人はこれを平気でやるのである。自分の家にいるように振舞ってもらうのが最大のもてなしだと考えている風なのだ。だから隠し事をしない、グランドツアーと言って各部屋を自由に見せてくれるのだ。隠すことに大いに腐心するのが日本文化であることと比べるとその違いが痛感されてならない。

とは言うものの日本の着物の美しさは世界に類のないものだ。その昔若い宇野千代さんなどはこれを着てパリの街を闊歩していたというのだからどれほど日本文化の広告塔になっていたかが類推できる。日本女性にあこがれる西洋男性はわんさかといる。日本女性はどこでも大もてだ。けれども男性は全く持てないのが一般だ。それについてはまたの機会に。

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着物は魔法のファッション

2025-02-12 07:29:59 | 日本の美

僕は西洋の社会に行って最初に困ったことは夏のことでもありあらゆる女性が胸元を大きく開けた衣装に身をつつんでいることだった。そしてその胸元がみんな盛大にもりあがっていることだった。街を歩いていても電車に乗っても目のやり場に困るのだった。それで冗談に「お願いですからあなたのおっぱいにこう言ってください。どうか僕の眼をそんなに強く見つめないでください」と。ではあるが世界で最もセクシーな衣装は断然日本の着物だと思ってきた。これは隠すこととチラリズムを微妙に兼ね備えていて、これほど男を翻弄させる衣装は世界広しと言えどもないように思う。見えないと思っていた二の腕がどうしたはずみかで目の前に突如現れたときはたいていの男は悩殺されてしまうものだ。襟元から想像させる女性の背中の柔らかいカーブも男をぞくぞくさせるに十分だ。そして着物姿はどこからでも男の手が侵入できるように構造上できている。しかも着物の柄は総天然色の絵画だ。美術作品を着て歩いているようなものだ。だからこれを着ればたいていの女性の株があがる。現代の日本女性が着物を着る機会を失っているのは彼女たちのために大変不幸なことだと思っている。

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日本の花嫁

2025-01-25 11:38:02 | 日本の美

油彩 26x36㎝ 2014

どなたかが日本ブロッグ村のボタンをおしてくださり、絵画部門で第三位に登ったのがとても嬉しいです。今後も何とぞ変わらぬご支援の程お礼い申し上げます。

さてバブルの頃に結婚式の費用が5百万とか何百万とか言われるようになってびっくりしたことがあるが、僕などは二度目の結婚式では教会への払いが5万、三宮の中華の店で出席者20名にふるまった食事が一人頭5千円、しめて十万円、そのままタクシーで六甲山ホテルまで運んでもらったのがハネムーンと称するものだったから、いま思っても何と慎ましやかであったことかと感心する。今高峰秀子さんの『私の渡世日記下巻』を読んでいたら、1955年3月26日には彼女もたった30人の招待客というひそやかな結婚式を総額45万円(うち40万円は借金)で挙行し、帝国ホテルに一泊したのが彼女と松山善三氏とのハネムーンだったと知って妙に親近感を増した次第だ。本当に彼女のこの自叙伝ともいえる大エッセイは戦前戦中戦後の風景をよく映していて想像を絶する面白さだ。今どきの書き物や映画の一切が全然面白くないのは、その書き手や製作者がめぼしい体験もなくただ頭で考えたような話ばかり展開しているからだろう。その頭というのはTVゲームと漫画だけで鍛えたという感じが払拭できない。広辞苑を世に出した新村出博士が晩年高峰秀子の大フアンになり、彼女のプロマイドを家中に貼っていたという話も面白い。博士はすでに80を超えていたからゲーテの晩年よりも美しい恋だとのたまったらしい。ゲーテの最後の恋の対象は20歳くらいの若い婦人であって、見事に肘鉄を喰ったらしいけど、実際この世には定年後、一人ですることもなくさりとて女に関心を持つでもなく無為に過ごしている人の何と多いことだろう。ことに日本ではその傾向が他国に比べて顕著であり、いまだに外国から若い女性が訪ねてきてくれる自分などは本当に稀有な存在だろうと思う。それもただただ絵を描いているというだけで、それをもぎ取ったら何も残らない醜く貧しい老骨に他ならないのだ。昔まだテレビを見ていたころ都はるみさんの演歌を聞くたびに、一芸に秀でることがどんなにその人の人生を豊かにしてくれるものかとよくおもったものだった。本当に好きで続けられる芸があるというのはどんな金銭財宝にもまさる一生の大事にちがいないと思っている。

 

 

 

 

高峰秀子|人物|NHKアーカイブス

高峰秀子|人物|NHKアーカイブス

幸せですね それは結局長い間一つの仕事をコツコツやってきたお返しっていうのかな やっぱり50年やらなきゃだめなのかもしれないね

高峰秀子|人物|NHKアーカイブス

 

 

 

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紫苑さんに長いコメント

2024-11-23 12:15:06 | 日本の美

こんなに使ったことはない~「幸福の黄色いハンカチ」の健さん&初ダウン

自分は彼女の本を読んでから紫苑さんのファンになったのだけど、彼女の記事を読むとついコメントがしたくなるのだけど、このブログではそう簡単にコメントできないシステムになっているようだ。それでこんな長いコメントを書くことになった。そうです、僕も長い間米を買い控えていたのですが、とうとう昨日買いました。5キロで2700円これで向こう半年不自由しないでしょう。それから「幸福の黄色いハンカチ」は何度も見ています。山田監督の作品が好きだし健さんのファンでもあるからです。この映画では武田鉄矢の演技が絶品でした。笑。これから寒くなります。御機嫌よう。合掌。

 

 

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