毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

強制わいせつ罪 その3

2025-02-11 12:37:02 | nude

油彩 15x20cm 2014年

2009年の帰国以来どれほど多くの強制わいせつ罪の報道を耳目にしたことだろう。こんなことが連日のように話題になるということは何と日本は太平な国かと思ったこともあったが、外国の人権問題を扱う団体が視察に来るというような不祥事に至っては深く掘り下げて考えなくてはならないことだと思った。例によって日本では何事も喉元過ぎれば忘却の一途という国民性があるから僕などは絶望を感じているが、此の際少し私見をまとめておきたい。

そもそも日本の文化は嘘が多すぎる。昔から建前と本音と言われ続けてきたのだが、上から下まで国民全体がこの嘘の文化にまみれている。だから僕から見れば日本人は何を考えているかしれない不気味な民族だと思って距離を置くようになった。大体日本語がいけない。時と所と年齢を考えて小さい時から言葉を使い分けるように教育されている。内と外ではまるで人格まで変わったかに見えるバイリンガルの日本人を何人もみたことがある。外では標準語を話し家に帰れば土臭い大阪弁丸出しというのがいっぱいいる。僕から見れば人格の統一を欠くように見えてならない。しかしこれが日本人のスタンダードなのだ。英語圏の人間でそんな馬鹿なことをしている人間にであったことはない。みんな生まれて死ぬまで男も女も同じ言葉を話し同じ言葉で考えるのである。

僕は自分の人生で何回も言語崩壊を体験した。多分幼児の頃は幼児語を話していただろう。それは小学校まで続いたかもしれない。しかし小学校も高学年になると外で買い物をしたり目上の人に対しては丁寧語を使わなければならないことを強いられた。僕は他の仲間たちがそれを何不自由なく乗り越えていくのを見て驚いた。昨日までのしゃべり方と違って偉く取り澄ました余所行きの言葉が何の抵抗もないように使えるのがふしぎでならなかった。中学2年の時に東京から転校生がやって来た。僕は学級委員長をしていたので彼の面倒を見るように担任から託されていた。偶然に家が近くだったので僕たちはすぐに親しい間柄になった。彼には二歳離れた弟があり若くて美しい母親がいた。庭にブラジャーが干されていたのを初めて見て興奮したのを覚えている。自分の母親などはいまだに赤い腰巻をして洋装などしたことがなかったのだ。その転校生の家庭と我が家とは何もかもが異なっていた。そして彼らが話す東京弁に比べると大阪弁がどうにもならない泥臭い言語に思えてくるのだった。それで僕はいつも言葉の上で劣等感を感じる始末だった。

社会に出てみると自分のことを私と呼称しなければならないことに出会ってこれも僕には躓きの石となった。僕からすれば私というのは女言葉であって、なぜ男の自分が私と言わなければならないのかどうにも理解できなかった。そしてこれは今に至ることだけど、僕は外でも内でも相手がだれであっても僕は僕という一人称で通してきた。これは日本人としては全く非常識なので出世するわけがなかった。そして仕上げは中年になってから日本脱出を余儀なくされ、今度は日本語が全く通じない世界で生きることになるのである。

かように僕の言語社会は何度も崩壊の危機を体験した。そのために非常に大きな犠牲と精神的軋轢を感じて生きて来た。ところが海外に出て彼らの言語に触れてみると、誰も僕が体験したような言語崩壊は体験していない様子なのだ。英語圏では男も女も生まれて死ぬまで「I アイ」一文字だし、相手を呼ぶのも「you」一つなのだ。この単純さにどれだけ僕が感動したかはまさに言語に絶するというわけだった。だから相手が七歳の幼児だからと言って日本のように相手に合わせた言葉に変える必要が全くないわけである。だから年齢を隔てても何のわだかまりも緊張もなく普通にはなしができるわけだった。もちろん男女間にあっても同じだ。だから彼らと付き合っている限り「こいつ何を考えているのだろう」と危ぶむような経験は一度もなかった。かえってそのオープンでイコールな話しぶりに「なんと正直なんだろう。何とフランクなんだろう」と感心するばかりだった。続く。

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強制わいせつ罪 その2

2025-02-09 22:50:41 | nude

強制わいせつ罪などで身を亡ぼす前に一度日本脱出を考えてみてほしい。日本は異常な社会でその2割程度は精神科の治療が必要なのではないかと僕などはいつも考えている。子供時代からあまりにも抑圧された世界で生きることを余儀なくされてきたからだ。小学生が夜の9時まで塾で勉強しているなんて僕の知る限り外国では見たことがない。最近はどうしたことか風俗店が僕の街からも姿を消して僕などは今の若者はどうして性衝動を処理しているのか全く見当がつかない有様だ。京都の寺町通りに信長というポルノショップがあって若者から中年迄結構出入りが激しいので、僕はその隣のコンビニの前でタバコを吸っていた時ふと覗いてみたくなって入場してみた。一階はポルノビデオや写真本で埋め尽くされていたようにおもう。2階に上がると様々な性のおもちゃが販売されていた。すべて効率よく自慰行為を愉しむためのものばかりだった。3階に行くとダッチワイフがたくさん展示販売されていた。今の若者はそういう店に出入りして性のおもちゃを数種類買い集めて帰ることにいささかもてらいを感じていない風だった。僕はそういうおもちゃを買いあさる若者の気持ちが全く理解できないのだが、今のようにインタ―ネットでポルノが実質解禁されている時代にまだそんなおもちゃが必要なのだろうか。それは単に想像力の欠如か、はたまたそのおもちゃによって快楽がいや増すのか、小生には見当もつかないことだった。しかし実に不健康であるなあと感じたことだけは確かである。そんなことに青春の大事な時期のどれほど多くの時間が消費されるのかと考えたら哀れを感じる以外に何もなかった。おそらく日本で今待たれているおもちゃはサイボーグの人形でこういった孤独な若者に奉仕してくれるセックスドールなんだろう。それができれば爆発的に売れるに違いない。しかし本当の性の楽しみが得られるのは烈しい恋愛の熱情を通じてなのである。これを欠く性行為は行為後に底知れない敗北感退廃感絶望感を味わうことになるだろう。しかし僕はそんなおもちゃで遊ぶ陰湿な世界よりも日本を飛び出してもっと明るい日差しの中で性の歓びを享受できるような体験を若者にしてもらいたいとおもうのである。どうせ非正規雇用で働いているのなら一年くらい日本を空けたって何の不都合もないではないか。井戸の中の蛙にならないで面白い体験をいっぱいしてほしい。日本にいればやがては産業廃棄物になるのが落ちである。

油彩 54x38cm 2015年

 

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強制わいせつ罪

2025-02-09 07:41:31 | nude

昨日もれっきとした公務員が強制わいせつ罪を働いて逮捕されたという報道に接した。日本に帰国してからこの種の報道にどれだけ多く接したことか。刑務所に入るのを覚悟してでも見知らぬ女性の体に触りたいという気持ちが小生などには全く理解できない。あれほどのことに社会的身分迄失う価値はないだろうにと思うのである。タクシー時代若者からよく悩みを聞かされたものだ。「運転手さん、僕ガールフレンドがおらんのです。一度もガールフレンドを持った経験もないのです。女の人と知り合える場所も機会もないのです。どないしたらいいでしょうか」こういうことを真剣に話出す若者の出現に最初は大変驚かされたが、想像以上に今の日本の若者には異性とは無縁の暮らしを強いられている人間が多いようだ。それでも健康な肉体を持っているからには性衝動はいつでもついて回るということだろう。そしてある時ブレーキが利かなくなる。何とも哀れで悲しい限りだ。自分の体験と照らして思うことは彼らは精神的には未熟であって異性を恋うるという繊細で情熱的な感情を体験していないような気がするのである。女性を崇めその女性に認められんがために自己を高め有能な人間にならんとする自己研磨の気持が微塵もないことである。そして恋愛の究極は怒涛に飛び込むほどの勇気をもって愛の告白をすることだが、女性に不自由している若者たちにはその覇気もかんじられないのだ。要するに彼らはあまりに小さくまとまって野性も冒険心も勇気もなくして大人になっている気がするのである。これは敗戦を経験して今なおアメリカの植民地に甘んじている日本文化を代表しているようにも思えるのだ。僕は2008年の夏以来女性のからだに触れていないが、これはそれ以前に充分堪能したのだから少しも悔いはない。春になって気分がざわついてくれば裸婦を描くことにしている。真剣になって裸婦を描いておれば現実に裸婦を抱きたいという衝動は不思議に消えてしまう。抱きたいと思うような裸婦を描くのがルノワールの芸術衝動だったらしいが、僕も同じことを考えている。

oil, pastel,mix 54x38cm 2011

 

 

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存在の意味

2025-01-20 15:44:48 | nude

僕にとって生きることの意味は女性の美しさを愛でることであり崇拝することでありました。そのことに悔いは少しもありません。

 

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もだえ

2025-01-03 07:52:31 | nude

油彩 26x36cm 2015年

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