ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【「日本海」か「東海」か】難波先生より

2019-02-14 11:46:05 | 難波紘二先生
【「日本海」か「東海」か】
 2/7「朝鮮日報」によると「「東海」と「日本海」の併記問題を韓国政府と協議せよという国際水路機関(IHO)の要請に、日本政府が応じることを決めた。ただし、IHO表記改訂が航海の安全に役立つよう実務的な観点から行われるべきだという姿勢を堅持し、併記は拒否する方針だ。」という。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190207-00080007-chosun-kr
<IHOは世界各国の海図作製の指針となる刊行物「大洋と海の境界」を出版している。日本の植民地時代だった1929年の初版から53年に出版された現行版まで、東海は「日本海」と単独表記されている。これについて韓国政府は「『日本海』は韓国に対する日本の植民地支配後に広まった呼び名だ」と抗議し、東海と日本海の併記を要求し続け、この韓国側の要求が17年4月にモナコで行われたIHO総会で受け入れられた。>ともある。
この下線部は完全な嘘である。

 「正しい歴史認識を!」と事ある毎に叫ぶくせに、何で韓国・朝鮮人は自国を取りまく地理の歴史的事実に、どうしてこれほど無知なのだろうか?
 「日本海」の名称は伊能忠敬の「大日本沿海與地図」(1821)にも載っていないし、朝鮮で最高の権威がある李重煥「択里志:近世朝鮮の地理書(1751)」(東洋文庫)にも載っていないが、「日本海」の名称は、明末に中国に滞在したイタリア人宣教師、マテオ・リッチが作成した「坤輿(こんよ)万国全図」(1602)にすでに掲載されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E5%91%BC%E7%A7%B0%E5%95%8F%E9%A1%8C#/media/File:Sea_of_japan_in_ricci_world_map.jpg
 「日本海」をフランス語で「Mer du Japon」と最初に国際的に命名したのは、エストニア出身のロシア海軍のクルーゼンシュテルン提督(1770~1846)である。1803〜1806年にかけてロシア最初の世界周回航海を行い、日本海を通過している。「Mer du Japon」(日本海)は彼が命名したものだ。当時のロシアでは上流階級はフランス語を話していた。「日本海」の名称は日本が付けたものではない。

 日露戦争の決定戦となった日本・連合艦隊とロシア・バルチック艦隊との海戦が「日本海海戦」(1905)である。英語WIKIには<The Battle of Tsushima(対馬海戦)>として載っているが、1905年にすでに「日本海海戦の歌」という軍歌が発表されているから、日本語の「日本海」という呼称はこの頃から普及したと思われる。日本が朝鮮を併合したのは1910年である。それも朝鮮人の安重根が「併合反対派」の伊藤博文元首相を暗殺(1909)したから可能になったのである。

1921年設立の国際水路局(IHO=International Hydrogeographic Organization)の前身)は、海図を作成する際等の指針となるガイドライン「大洋と海の境界 (S-23)」の初版を刊行(1928)したが、日本海には「Japan Sea」の名称が単独で表記されている。
 韓国がIHOに加盟したのは1957年だが、日本海と「東海」の並記を要求したのは1992年になってからである。1997年には第15回IHO総会において、韓国が<「日本海」の名称は日本帝国主義の残滓である>と主張し、「日本海」と「東海」の併記を要求するに至った。(現在までのところ韓国の主張を支持する国は一ヶ国もない。)

 Mer du Japonの英語訳が「Sea of Japan」で、韓国刊の世界地図以外にはすべてこれが載っている。ちなみに東京で刊行されたハングル並記のある「朝鮮半島全図」(2012,パシフィック・ビジョン)を拡げてみると、江原道南端の海岸部に「東海」という都市があり、その沿岸が「東海」になっている。「択里志」に「大海」とある海はちゃんと「日本海」として載っている。
 元もと海洋民族でない朝鮮人の海の名称の付け方は便宜主義的で、朝鮮半島の西に接する海を「西海」、南に接するものを「南海」、東に接するものを「東海」と俗称していた。「択里志」p.60の地図を見ると江原道沿岸図には「東抵大海」とある。「抵(てい)」は「至る」の意で、「東には大海がある」という意味だ。おまけに「択里志」p.14の「(朝鮮)八道總図」を見ると江原道沿岸部の陸地が「東海」となっている。于山島と鬱陵島が描かれている海には名称がない。(下地図)出典:李重煥「択里史:近世朝鮮の地理書」(東洋文庫)


 黄海道の黄海沿岸に「黄海」という地域名があり、朝鮮半島南端には「南海」という地域名と同名の島がある。要は「東西南北」の方角うち、3つを適当に利用しただけだ。この地図は大半がデタラメで、対馬島、巨済島、済州島がほぼ同じ大きさに描かれているし、「鬱陵島」の西に「于山島」があることになっている。実際は同じ島に別名があっただけだ。
 これを要するに江戸時代に日本が「東海道」、「西海道」などと地域を呼称したのと同じ命名法である。つまり朝鮮の「東海」は江原道沿岸部の呼称にすぎず、日本海本海は漠然と「大海」と称していた証拠である。

 最新の「朝鮮全図」によると、鬱陵島と37.5度線の真西にある江原道東海市の直線距離は130Kmあり、韓国が「独島」と称する島根県竹島と鬱陵島は約80Km離れている。両島の間に引かれている破線は日韓の国境である。(下地図:「朝鮮全図」より)


 韓国が<「日本海」の名称は日本帝国主義の残滓である>と主張し、「日本海」と「東海」の併記を要求するのであれば、
1) 日本海全体を朝鮮人の誰がいつ「東海」と命名したのか
2) 李朝時代の公文書に日本海全体を指す「東海」という用語があるのか
3) 1948年に大韓民国が成立した時、当時の世界地図には「日本海(Sea of Japan)」と単独記載されていた。これを半世紀後の1997年になって「東海(Ton-he)」との並記を要求したのは何故なのか。
以上の3点について、文書・地図による証拠を提示しなければならない。
 これらは出来っこないから、韓国の主張は関西弁でいう「うどん屋の釜(湯うだけや)」に終り、国際社会の「韓国パッシング」を強めるだけだろう。それにしても国際関係や国際交流史に疎い国だ。まるで李王朝の末期を思わせる。

朝鮮戦争休戦後に出た「平凡社世界大百科事典・世界地図」(1968)を見ると江原道沿海部に「東海」という都市はなく、沿岸にも「東海」という名称がない。これは「択里志」の記載と一致している。

要するに1965年の「日韓基本条約」により日本からの多額の資金援助を受け、「漢江の奇跡」という高度経済成長が可能になり、都市への人口集中が起こり新しく、「東海」という都市が誕生したのではないか。それに伴い江原道沿岸部(南朝鮮支配地域)を「東海」と呼ぶようになったのであろう。
韓国人・朝鮮人の「歴史認識」は「現在を基準に過去を判断する」というものだから、全く信頼できない。

「夜郎自大」というタイトルで本来は韓国の現在を批判するつもりだったが、「史記列伝」原典の照合で「消渇」を見つけ、話が本題からそれてしまった。

 なお日本では、啄木の「東海の小島の磯の白砂に…」の短歌や「見よ東海の空明けて 旭日高く輝けば…」(「愛国行進曲」)https://www.youtube.com/watch?v=T3HJhF_6o2A
のように、日本列島の東側にある太平洋の通称として「東海」が用いられている。(この歌は、敗戦後は禁止されたが、当時4歳児だった私はよく憶えている。
今回Youtubeで聴き直してなんと二番の歌詞に「往け八紘を家となし 四海の人を導きて 正しき平和うち建てん」という文句があるのに驚嘆した。
 これは当時の「八紘一宇」という国家スローガンに由来するもので、「紘」は「大地の果て」の意があり、八紘とは地球のすみずみまでを意味する。要するに全地球を一つの家として、永久平和を樹立しようという主張だ。「八紘一宇」の意味と私の名前がそれに由来することは母から聞いていたが、まさか「愛国行進曲」の二番に出て来るとは知らなかった。)

 それはともかく、もし韓国が自己中心で「東海」問題をほじくり出せば、当然日本の嫌韓精力はこの歌を復活させるだろう。
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