ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【有償と無償】難波先生より

2013-09-04 18:31:25 | 難波紘二先生
【有償と無償】古代アテネでは売春は合法で、売春宿は国家が経営しており、収益は国庫収入になった。売春婦は「ヘタイラエ」といって公務員だから身分も高かった。いま、売春を合法としているのはオランダくらいか。
 当時の哲学者ディオゲネスは寸言で売春の本質をついた。「売春は賃仕事、結婚は請負仕事」。
 極端に言えば、これが日雇い労働者と奴隷の違いである。


 1951年、米バルティモア大病院の施療患者(研究用患者)ヘンリエッタ・ラックスという若い黒人女性が、子宮がんの治療を受けた。ラジウム針を挿入する前に、細胞培養用のバイオプシーが行われた。細胞培養専門家の手によりうまく培養株が樹立された。姓と名の一部をとって「ヒーラ(Hela)細胞」と名づけられた。もともと公的病院にある「学用患者」というのは、無償で治療する代わりに、研究に協力するという条件で受け入れられる。


 世界初の民間慈善病院、ロンドンのガイ病院では、事務長がしっかりしていて、すべての入院患者は「死亡時には病理解剖を受ける」という文書に署名させられた。18世紀末は解剖用死体が足りなくて、墓の盗掘とか解剖教室に死体を売るために連続殺人事件がロンドンで起きたが、ガイ病院はそういうスキャンダルと無縁だった。


 HeLa細胞は生命力が強く、容易に培養でき、がん研究や遺伝子研究に利用できるので、たちまち世界中の研究室に広まった。需要が多いので研究者の善意だけではまかないきれず、商業的な供給センターが設立された。
 グルコース-6-リン酸-脱水素酵素(G-6-PD)はグルコース分解に欠かすことができない重要な酵素だ。これには機能は同じだが、分子量が異なるAとBという2種の酵素(「アイソザイム」)がある。どちらもX染色体上にある対立遺伝子で、女性の場合細胞毎に発現する遺伝子が変化するので、AとBの遺伝をもっている場合、体細胞のG-6-PDは2種のアイソザイムのキメラになる。
 このうちAは人種的特異性があり、赤血球がマラリアに耐性をもつ。よって黒人に多い。


 G-6-PDはがんが単一の細胞に由来することを証明するのに用いられた重要な酵素だ。DNA解析による証明が普及した現在では忘れられてしまったが、G-6-PDキメラ患者のがん組織から抽出したG-6-PDが、つねにA型かB型のいずれかであるのを証明することで、「大きながんももとは1個の細胞だった」と決定されたのである。1960年代末のことだ。「癌のクローン由来」を証明した画期的発見だ。


 1966年、アメリカのある研究者が全米で培養されている18種の異なる培養細胞株のG-6-PDを調べたところ、すべてA型アイソザイムを持つことを見つけた。つまり「黒人女性に由来する他の細胞株に汚染されている」という意味で、犯人はHeLa細胞しかなかった。この事件は研究者たちにショックを与え、当時は「黒人女性由来」とされていて、本名が明らかにされていなかった患者個人についての情報が求められ、遺族は初めて培養株の存在とそれが商業的に利用されているのを知った。


 この話は、1970年代にあるアメリカの血友病患者が繰り返し受けた凝固因子製剤のおかげてB型肝炎に感染し、血中につよいHBV抗体ができたこと、彼がそれを逆手にとって、血液500mlを研究者用に5,000ドル(約50万円)で売るという行為に出たことで、さらに複雑になった。
 買い手は、HBVウイルスの発見者で後にHBVと肝癌の関係を突きとめ、1976年にノーベル賞を受賞したブルンバーグである。いま、アメリカには特殊な血液を売って、暮らしている人たちが200万人いるという。


これは別にアメリカでは珍しいことではない。Rh抗原が見つかったときR陰性でRh陽性の子供を産んだ女性のうち、高い抗Rh抗体をもつ産婦の血清はきわめて高価で取り引きされた。Rh陰性の女性がRh陽性の胎児を出産した後、母親がRh抗原に感作されないように、予防注射に使うのである。マイアミのあるRh陰性女性は血を売ることで、1940年代に年収8万ドル(約800万円)をえたという。


 1984年に「有毛細胞白血病」訴訟が起きた。「有毛細胞白血病(Hairy Cell Lekemia =HCL)」というのは、稀な白血病で慢性のリンパ球性白血病の一種だが、1980年代には白血病細胞が貯留する脾臓を摘出するしか治療法がなかった。
 カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)でこの治療を受けたJ.ムーアという男が、後に主治医が摘出された脾臓から培養株を樹立し、しかもそれが大部分のHCL培養株と違い、B細胞由来でなくT細胞由来で、HTLV-2という珍しいウイルスの感染を受けていたことを知った(「Mo細胞株」)。


 主治医はこの株を樹立した後、特許を取得し、買い手の企業を探していた。当時はエイズが見つかったばかりで、HIVとHTLVの違いもまだわからず、Mo株はエイズ研究の重要な武器になると誰もが考えていた時代だ。ムーアの弁護士は「推定市場価格30億ドル(約300億円)」とはじき出し、「ムーアにも分け前にあずかる権利がある」と提訴したのだ。
 結局この裁判は、連邦最高裁まで行き、ムーアの敗訴に終わった。カリフォルニア州最高裁の判決は、模範的な判例になっている。
 「ひとたび(人体)組織が(患者の)身体を離れたあとは、(患者の)同意の有無にかかわらず、その組織に対する患者の権利も消失する。」
 
 もしそうでないと仮定しよう。治療により患者から離れた組織または細胞の集合物が、患者のものであるとすれば、「医療廃棄物」に関する法をまもって、それを処分する義務が患者に発生する。ディスポの注射器だって患者血液が付着しているから、強弁すれば患者のものである。もしそうなれば、病院は費用のかかる「医療廃棄物処理」のうち、かなりの部分を患者に委ねることができるから、大助かりだ。
 しかし、これは公衆衛生のうえで、大問題を引き起こすのは明らかだろう。中絶した胎児や分娩後の胎盤を「引き取ってくれ」といわれたら、困るのは患者に決まっている。糖尿病による壊疽で切断した脚を「お持ち帰り下さい」といわれても、あんな臭いもの、どうにもならないだろう。
 だから、この「仮定」は誤りなのである。


 臓器や組織の売買が禁じられているアメリカで、どうして「取り引き」が可能になるのか、ものそのものは無償だが、「斡旋料、手数料、健康管理料、加工料etc」というかたちで、有償過程が入り込むからだ。これは献血も脳死臓器移植も同じだが、日本ではどちらも提供者またはその遺族への金銭的見返りはない。しかしアダム・スミスのいう「見えざる手=マーケット」がなくては、万事うまく機能しないのである。


 この一文は、レベッカ・スクルート「不死細胞ヒーラ」(講談社)を読み、ヒーラの本名が「ヘンリエッタ・ラックス」だと明らかにされたために、その遺族に培養株樹立後30年して起こった波風を知り、記したものだ。著者は「母さんの細胞がそんなに医学に役だったんなら、なんでその家族には医者にかかる余裕がないんだろう」という娘の言葉を冒頭に記している。(訳はあまりよくない。)


 HeLa細胞は、染色体が平均82本もあり、そのうえヒトパピローマ・ウイルス18型遺伝子があちこちの染色体に入り込んでいるという化け物のような細胞で、汚染力がきわめてつよい。たいていの細胞培養室で空気感染により他の細胞株に感染する。初期のがん研究に対する研究への貢献も多いが、汚染を知らずに研究して、「新発見」と報じた誤報も沢山ある。研究者の労力と研究費を無駄にしてきた面もある。


 この書で私ははじめてヘンリエッタの病歴の詳細を知った。
 1951年2月初めにジョンズ・ホプキンス大学で子宮頸部の生検を受け、「扁平上皮がん、臨床病期1」の病理診断を受けている。
 そのすぐ後、コバルト治療のため入院し、病変部と健常部を2箇所切除し、両方が「細胞培養専門家」に渡されている。
 治療は子宮頸部へのラジウム針の挿入で行われたが、間もなく下腹部に転移が発生し、普通の放射線照射療法に移行した。
 そして急速にがんが進行し、同年の10月初めに死亡している。診断確定から8ヶ月だが、当時の治療水準から見てさほど早くはない。
 剖検も行われている。


 その間に細胞培養専門家ジョージ・ガイ医師に渡された、生の組織から細胞が分離され、新たな培養株が樹立された。
 なんと、24時間で倍加するという恐ろしいほどの増殖能力を持った細胞だ。ヒトの癌でこれほどまでの増殖能をもつものは、バーキット腫瘍しか他にはないだろう。


 今日ではこの「HeLa細胞」は、HPV18という型の、きわめて悪性度の高いヒトパピローマ・ウイルスに侵されていたことが判明している。だからHeLa細胞だけが例外的に容易に培養に成功し、世界中に分与され、同時に他の培養細胞株への感染を引き起こしたのである。この細胞株を使って、ポリオワクチンを初め、多くのヒト生ワクチンが作られたという。よく事故が起きなかったものだと、驚いた。
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