ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【昭和の流行歌1】難波先生より

2019-04-03 12:40:36 | 難波紘二先生
【昭和の流行歌1】
 まもなく平成の時代が終わるので、いまあらためて「昭和の流行歌」をCDで聞いている。
(平成時代については、「産経」が「平成史」という全面記事を連載しているので、切り取って保存している。)
 Vol.8には藤島恒夫「お月さん 今晩わ」、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、日野てる子「夏の日の思い出」、菅原洋一「知りたくないの」、「今日でお別れ」、加藤登喜子「知床旅情」、渡哲也「くちなしの花」、さくらと一郎「昭和枯れすすき」、テレサ・テン「空港」、小林旭「熱き心に」など19曲が入っている。

 台詞に「アカシアの雨」、「くちなしの雨」というような言葉が出て来るが、これはアカシアに降る雨、くちなしの花に降る雨、という意味だろう。卒業した高校には、大学キャンパスとの境界にアカシアの樹(正確にはニセアカシア)が植えられていた。だからその同窓会を「アカシア会」と呼ぶ。だから私は「アカシアの雨」を何度も見ている。

「昭和枯れすすき」は、「貧しさに負けた」相思相愛の若い男女二人が、「どうせ俺たちは昭和の枯れすすきだ」と心中を決意する話で、哀れさに聞いていて泣けてきた。
 高校時代に「丸太の絵」ばかり書いていたHMという美術の男性教師がいて、「どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき」という歌詞のあるこの歌を好んで歌っていた。(原曲「船頭小唄」、作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)。
 一番の歌詞、
 <俺は河原の 枯れすすき
 おなじお前も 枯れすすき
 どうせ二人は この世では
 花の咲かない 枯れすすき>
は今でも覚えている。

 後に家内と一緒に北海道旅行をした時、支笏湖付近の洞爺温泉の宿に泊まったら、宿の屋外温泉に野口雨情の歌を刻んだ石版が置かれていて、驚いた記憶がある。
 
 WIKI<船頭小唄>によると、野口雨情が作詞したのが1921(大正10)年1月で、同じ年に中山晋平が作曲し、大正12年にレコード化され大ヒットしたという。
わが恩師飯島宗一先生は、大正11年の生まれだから、H先生も子どもの頃にこの歌を聴いた可能性がある。H先生は、高校の男子寮「薫風寮」の当直舎監でもあった。
 同じ歌は<1957年(昭和32年)1月東京映画配給の映画『雨情物語』の主題歌として森繁久彌が歌い、大正から戦後の昭和まで、また現代においても「枯すすき」に人生の哀愁に共感するとしてヒットした流行歌となった。」(WIKI)>とあり、さもなければ、この映画を見て憶えられたのであろう。
 H先生は映画鑑賞に理解があり、「出汐大劇」という寮の近くの三番館で、黒澤明「七人の侍」が上映されると知り、恐る恐る門限延期を申し出たら、映画の名前を聞いて、あっさりと許可が出た。同じ寮生の誰と見に行ったかは忘れた。

 19曲をとおして聴いてみて、「歌は世につれ、世は歌につれ」というのは本当だと思った。
本当によい曲や歌詞からなる歌なら、時代を超えて生き残るものだ。野口雨情・中山晋平のコンビは他にもよい歌を残している。



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