ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【Nスペ後日談】難波先生より

2013-04-16 12:15:35 | 難波紘二先生
【Nスペ後日談】NHKテレビの「広島復興を夢見た男たち」の放映後の反響について、故浜井信三広島市長の息子さん、濱井淳三氏からメールを頂いた。すぐにご返事できないので、ここでお礼申し上げます。


 「寄せられた声は、そのほとんどが、良かった、良かった、有難うというものでしたので、反響の大きさにびっくりすると同時に、やっと、本当に安堵するやら、嬉しくなるやらで次第に大きな喜びの気持ちなってきました。」
 とのことだ。遺族が満足しておられるのなら、私が余計なコメントをする必要はないかもしれない。
 
 しかし戦後の焼け野原や袋町小学校のプールに吹き飛ばされた乗用車(もちろんプールにもう水はない)や脱線して焼けた電車を見たものとしては、浜井市長の最大の功績は関東大震災後の後藤新平みたいに、「防災都市計画」を立て(後藤は実行できなかったが)それを実現したことにあると私は思っている。NHKにはそこを強調してほしかった。


 100メートル道路の設置、原爆ドームの保存や平和公園の開設など、後の観光資源としての基礎も浜井市長がつくったと思う。広島では吉川さんという男性は「原爆第1号」(名づけたのはJ.ハーシーかW.ベーチェットだ)と名乗り、背中のケロイドを武器に、観光案内業をやった。「原爆の語り部」としての彼の役割も大きい。もちろん多くの被曝者は被曝者であることを隠した。が、私は吉川氏の生き方に、福島の人は学んでほしいと思う。「逆転の発想」こそ、今の福島に必要なものだ。


 水俣の市民にも「ミナマタ条約」の成立を機に、水俣病発祥の地を観光資源にするくらいの発想の転換をしてほしいし、戊辰戦争での敗北以来の災難に遭った福島の人たちにも、同じように思う。

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