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阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【消渇(しょうかつ)】難波先生より

2019-02-14 11:35:23 | 難波紘二先生
【消渇(しょうかつ)】
「史記列伝・司馬相如列伝」(岩波文庫)をめくっていて意外な病名に遭遇した。
前漢の文人司馬相如は漢の武帝に取り立てられ、中将郎となり上記の「滇」(雲南)、「夜郎」(貴州)に使節として赴いたこともある文人だが、「消渇病」を患っていたと書いてある。消渇は糖尿病のことである。
 日本では平安時代の御堂関白・藤原道長(966〜1027)が最初の糖尿病患者であったことは日記「御堂関白記」などの研究により知られている(酒井シヅ「病が語る日本史」講談社学術文庫)。「この世をば我が世とぞ思う 望月の欠けたることもなしと思えば」という自作歌で知られるように、酒池肉林の生活を送った人だから、無理もない。
 で、その「消渇」のことだが、」医学史を研究するために広島医学校(広島大医学部とは無関係)を卒業した富士川游(1865〜1940)に、名著①「日本疾病史」(東洋文庫)、②「日本医学史綱要( 上・下)」(東洋文庫)がある。①を開いたが、「糖尿病」なんて載っていない。日本の病気の歴史は「感染症」で占められている。②にも索引に「糖尿病」が載っていない。下巻の目次に「物質代謝病・糖尿病」があるのを発見し、やっと「消渇」の用語にたどり着いた。ここが全巻の最終章だ。現代の病理学総論の教科書なら「全身代謝性疾患」は冒頭で扱う。医学の歴史は「樹を見て森を見ざる」から「森を見て一樹を見る」という方向に進んだのだと納得した。
 緒方洪庵訳「病学通論・全3巻」(和綴じ本、目次、頁番号、索引なし)を開いて見たが、今と分類がまったく異なり「糖尿病」がどこに書いてあるか不明だった。緒方知三郎・三田村篤四郎・緒方冨雄「病理学総論・上中下」(1931)には糖尿病の肝臓や腎臓の細胞に見られる「糖原変性」の形態学的所見は書いてあるが、「代謝病」という概念はなかったようだ。
 富士川游は、「消渇」について「隋・唐の医書はみなこの一症を挙げている」と書いているが、口渇・多飲・多尿を呈する他に「尿を舐めると甘い」という重要な医学的知識は日本では江戸末期まで、医者にも普及しなかったようだ。この事実は富士川によると唐代の医書に初めて登場し、西洋では「尿が甘い」ことは17世紀、ロンドンの医師トマス・ウィリスが発見したという。(川喜田愛郎「近代医学の史的基盤・上」岩波書店)
 糖尿病はラテン語でディアベテス・メリトゥス(Diabetes mellitus)というが、ディアベテスは「尿崩症(多飲多尿を伴うの意)」で、メリトゥスはラテン語「Mella:メッラ(蜂蜜)」の派生形容詞で「蜂蜜のように甘い」である。もう一つディアベテス・インスピィドゥス(Diabetes inspidus)という尿崩症があるが、これは脳下垂体から出るホルモンに異常があり、腎臓尿細管における水の再吸収が抑制され、飲んだ水分がざざ漏りになる病気で尿糖は出ない。稀な疾患である。(各種辞書を調べたがinspidusの語源は不明。)
 「史記」に「司馬相如が消渇を患っていた」と記載されているということは、すでに前2世紀の前漢で糖尿病が「消渇」という名前で知られていたことを意味している。
「夜郎自大」から「司馬相如の消渇」、「糖尿病の語源」まで、数日間20冊以上の辞書、医学史の世界を彷徨ったが、これで「夜郎国—夜郎自大—司馬相如—消渇—糖尿病」という孤在知識が完全にリンクした。もう忘れることはないだろう。

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