ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【がんの自然史】難波先生より

2013-09-02 12:53:12 | 難波紘二先生
【がんの自然史】久しぶりに医師専門の投稿サイトm3を除いたら、近藤誠が俎上に載っていた。なんでも「がんセカンドオピニオン」クリニックを開き「30分3万円」という料金設定をしたことと、著書「医者に殺されない47の心得」http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1373263503
 が80万部を超したのが、やっかみの対象になっているようだ。書き込みの内容からみると、若い勤務医が多いようだ。
 「30分3万円」のコンサルタント料は高くない。癌研にいた病理のある医師は、乳がん専門で東京に「1件5万円」の病理診断外来を開いていて、流行っているそうだ。


 で、批判する意見に「近藤のこの本の、ここがこういう理由で間違っている」というタイプの議論がまったくないのに驚いた。
 「がんもどき」理論を批判する側が「早期胃がんの治療をすれば5年生存率は100%」と主張し、擁護する側が「では治療しなかった場合の5年生存率は?」と質問すると、返事がない。そもそも近藤本を読んだという声がない。
 近藤氏の主張は「早期胃がんと診断されているものは、欧米の診断基準では本物のがんではない。だからそれを内視鏡手術で取っても、そのために生存率が高くなることはありえない」という点にあるのだから、「放置したら進行癌になる」という事実を提出するしか反証はない。


 ダーウィン以来「ナチュラル・ヒストリー(自然史)」の伝統がある英国や米国には「病気の自然史」という研究分野がある。
 ノーベル賞をもらった免疫学者のバーネット卿には「感染症の自然史」という面白い本もある。J.A.Ryle:「The Natural History of Disease」(1936)は手元の参考書のひとつだが、残念なことに「癌の自然史」という項目がない。


 服部敏良は名古屋大医学部の卒業で、在野の医学史研究者だ。著書「有名人の死亡診断:近代編」(吉川弘文舘, 2010/5)は旧著の死後出版だが、死因の明らかな明治・大正時代の著名人の病歴が173人の病歴が収録されている。医学的には山田風太郎「人間臨終図鑑」よりも、役に立つ。風太郎は医者であって、医者でない。


 最近は「ビッグデータ」が流行だが、これはビッグデータでない。「スモールデータ」だ。
 A.C.クラークは「今までに死んだ人間の数といま生きている人間の数は、つねに等しい」という名言を述べた。前に書いた、人口数がバクテリアの増殖曲線のログ期に一致するかぎり、これは正しい。ところが病気には、時代による相の違いがあるから、歴史を対照にとることはなかなか難しい。


 いま目の前に「早期癌」の患者があるとして、放置するのはほとんどの医者にとって難しかろう。「放置群」をつくり、それを5年間観察せよといわれても、非倫理的として思えないだろう。そこで歴史の上で「放置したらどうなるか」、というよりも「治療できなかったらどうなるか」、というのが「歴史的対照群」である。それが取りも直さず、「癌の自然史」を示すのではなかろうかと思う。


 服部本に記載されている近代の名士のうち、癌でなくなった人を調べてみると、年齢は今より高く、死亡までの期間も長いことに驚いた。もちろん手術も化学療法も放射線療法もなく、早期発見など思いもよらぬ時代で、みな末期になって発見されている。それでいて、逸見政孝(胃がん。術後3ヶ月で死亡)、梨本勝(肺がん。化学療法開始後2ヶ月半で死亡)、中村勘三郎(食堂癌。手術後4ヶ月で死亡)や児玉清(胃がん。入院後2ヶ月半で死亡)よりも長生きしている。
 そもそもドイツのビルロートが「胃がんの胃全摘による治療」を発明したのが、1881(明治14)年である。1945年以前に日本でこれが実施された例を文献上は確認できない。


 以下、明治・大正期に癌で亡くなった著名人をいくつかあげる。
 岩倉具視(59歳)=胃がん(ベルツは食道癌としているが、胃噴門部癌と臨床的には鑑別困難であり、最後まで嚥下不能症状が出ていないので通説による。病理解剖なし)「ベルツの日記」によると、1883年の1月ドイツ公使館のパーティで、岩倉の息子に会い父親の病状について質問を受けたので「食道癌の疑いがある」と答えた。6月になり京都岩倉の私邸で療養中の岩倉を宮内省と文部省の要請で、東京に移送した。
 その時ベルツは岩倉の頼みで余命告知をした。岩倉は覚悟を決めて、憲法調査のためドイツに派遣されていた伊藤博文の帰国報告を聞き、後事を託して7月に死んだ。ベルツの診断から約半年、病悩期間は恐らく症状が出てから1年足らずであろう。


 青山胤道(59歳)=食道癌(解剖所見を読むと噴門部胃癌が正しいと思うが、服部の記載に従う)。青山は北里柴三郎と対立した東大医学部内科教授。1917年夏以来、胃の調子がおかしくなった。食事が取れなくなり、12月23日、飢餓状態で死亡。病理解剖あり。病悩期間6ヶ月。
 当時は、点滴も中心静脈栄養も、胃ろうもなかった。食えなくなれば死ぬという時代で、東大教授も例外でなかった。


 大鳥圭介(79歳)=食道癌。函館戰争の幕府側司令官。病悩期間1年半
 川上定奴(76歳)=食道癌。女優。病悩期間不明。
 中江兆民(55歳)=食道癌。自由民権運動家。思想家。大阪の耳鼻科医は喉頭癌と診断したが、病理解剖で食道癌と判明。病悩期間1年半。
 浅野総一郎(83歳)=食道癌。浅野セメント創業者。病悩期間5ヶ月。

 橋本雅邦(74歳)=胃がん、日本画家。病悩期間3ヶ月。
 桂太郎(67歳)=胃がん。政治家。病悩期間1年7ヶ月。病理解剖あり。
 西郷従道(60歳)=胃がん。軍人。西郷隆盛の弟。病悩期間不明。
 
 上田万年(71歳)=直腸癌。作家円地文子の父。文部官僚、東京帝大教授。病悩期間不明。
 渋沢栄一(92歳)=直腸癌。病悩期間不明。東大塩田教授よる手術の後、苦しんで死んだ。「東京朝日」は「この重病に襲われる因をなした手術」と報じている。昭和6年にすでに90歳を越した老人を手術するということがあった。


 黒岩涙香(59歳)=肺がん。新聞社主。作家。病悩期間5ヶ月。
 東郷平八郎(88歳)=喉頭癌。日露戦争時の連合艦隊司令長官。海軍初の元帥。引退後7年で死去。死亡記事に「痼疾の喉頭癌」とあるから、病悩期間は少なくとも5年以上あろう。


 「がん死」の圧倒的多数が、食道癌と胃癌というのが今と違う。それと肺がんで死んだ人がまずいない。喫煙者は多かったのに…。(やはり自動車による大気汚染が問題なのではないか。)
 明治・大正期は平均寿命が40歳に届かない時代で、早死にする人のほとんどは、赤痢、腸チフス、結核、腎炎、脳出血だったから、これららで死なずに「長生き」した人たちががん死したように思える。


 ヒトT細胞ウィルス(HTLV-1)の感染者はアフリカに多いが、免疫力の低下があり、多くは40歳になるまでに感染症で死ぬ。感染症予防に成功し、1人あたり年間国民所得が1万ドルを超える「豊かな社会」になると、平均寿命が40歳を超し、成人T細胞白血病リンパ腫(ATLL)が出現してくる。これと似た関係にある。


 診断がつくのはほとんど末期になって、全身症状が出てからだ。しかし渋沢敬一のように手術を受けた人はかえって悲惨で、東郷平八郎のように放置しておいた人の方がよかったように思える。
 乱暴に言ってしまえば、進行癌を放置した場合の余命は半年から1年半といえるであろうか。逆にいうと、これを大幅に延長できないかぎり、「がん治療の意義はない」といえるかもしれない。
 近藤誠は「<余命3ヶ月>のウソ」(ベスト新書, 2013/4)で、「歩いて病院に行ける人間が<余命3ヶ月>なんてありえない」と述べているが、明治・大正期の「スモール・データ」から見ても、「未治療進行癌」の余命が3ヶ月ということはないように思える。(手術を受けた渋沢栄一は別。)
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