この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#268「南太平洋 その20 タヒチにて1」

2006年03月13日 | 南太平洋
今日は日曜日です。そう言えば先週の日曜日の朝はニューカレドニアにいました。今日はタヒチです。朝から飛行機が空を飛んでいます。本島からモーレア島に小さな飛行機が行ったり来たりしています。 朝食をとってホテルのロビーでHさんと待っていると、賑やかにタヒチのBさん一族が迎えに現れました。 飛行場まで行って飛行機に乗ります。乗ってほんの10分か15分でモーレア島の空港に到着します。そこから乗用車に乗って海に行きました。あくまでも青い明るい海です。ボートに乗っていた裸足の背の高い白人の青年がボートから降りて来て、Bさん一族とにこやかに話しをしています。 やがてHさんと私に挨拶しに来ました。販売店の社長の従兄弟のアンリ(ヘンリー)とのことです。
  
ここで、Bさん一族の名前をご紹介しましょう。 今日のBさん一族は社長のフランク、フランクのお母さんのナディア、フランクの奥さんのジャンヌ、フランクの叔父さんのジョルジュ(ジョージ)、その奥さんのアンリエット、そしてフランクの従兄弟のアンリ、そして子供達です。 Hさんは、ファースト・ネームをジョンと言います。

 私は、この時はまだマーチンという名前は持っていなかったので、私だけがムッシュー・サトーです。あとの人達はお互いにファーストネームで呼び合っています。その方がすぐに親しくなるような感じです。
ムッシューといわれていてはいけません。

 ボートは社長のフランクの持ち物なのだそうです。ボートにしばらく乗るのですが、その前にちょっと飲物を飲もうという話しになったようです。

私にワインを飲むかどうかとフランクが私に尋ねます。私はその頃はワインは高価のように感じており、まだ昼食でもないのにと思ってで、「Non merci(No thank you)」と言いました。すると、このやりとりを
横で聞いていた米人のHさんが、そういう時の日本人のNonはOuiなのだよとフランクに言います。「何だそうなのか。」と言ってフランクはワインを注文しました。そしてみんなでワインを飲みました。なるほど、もし私がいらないといったら、みんながこの時ワインを楽しむこともできなかったのだ、とあとで自分勝手な遠慮を反省しました。

たしかにHさんがいうように日本人のNoはわけのわからないNoなのかもしれません。

やがて、男だけがボートに乗り込んで島の周囲をまわりました。美しい海です。
         
そして、多くの観光客のむらがっている所の近くでボートを降りました。

そこでは、砂浜の上にテーブルが沢山しつらえてあり、それぞれに飲物を飲んでいます。横では例の豚の蒸し焼きがそろそろ焼きあがるようです。Bさん一族の女性方もやがてここにあらわれました。

ワインを飲みながらにぎやかにビュッフェスタイルの食事をしました。

明るい南太平洋の光の中で楽しく食事をした後でタヒティアンダンスのショーがありました。

ショーを見終わって私達は車に乗って島の中をまわりました。

 古い先住民族の遺跡というよなところにも行きました。

飛行機で本島にもどり、ホテルに送ってもらってBさん一族にお別れしました。

この日はホテルの夕食も屋外でのビュッフェスタイルでショーを見ながらでした。

ということで、楽しいタヒチの日曜日は終わりました。

では今回はこの辺で。 (つづく)

                      (佐藤元則 V通信より)

画像:タヒチモーレア島にて(Bさん一族と)  


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