先日、LSK(ロングステイ鎌倉サークル)の集まりがあった。6月にオーストラリアへの2週間の旅の報告があり、楽しく聞いた。報告者がいろいろな地図を持参しており、スライドにも写真だけでなく地図も写しながらの報告であった。
会のあとで希望者で小町通りで一緒に昼食をとった。
私はたまたまYさんご夫妻と同じテーブルだった。
いろいろと話しているうちに、ニュージーランドのオークランドの話になった。
私が戦争博物館の話をすると、それがどこにあるのかという話になり、病院やオークランド大学の近くにあるというと、Yさん夫妻もその博物館に行ったという話しになった。ご夫婦二人でその辺を散歩したということであった。
戦争記念博物館という名称ながら、1階は仏像などが陳列されていたので、戦争記念博物館だということは気付かなかったということであった。
クライストチャーチやウエリントンだけでなく、ドニーデンとかクイーンズタウンという懐かしい街の名前も話に出て来た。
誰もがそうであろうが、旅行するときにその土地の地図を買うが、その地図は見返すとその時の楽しい思い出が想起される。
特に、現地を車で旅行した時などは、一生懸命地図を見て探しながら目的地にたどりつくということが多いだけに、地図は懐かしいものである。
私も旅行をしたときに買い、そして使った地図は捨てずに保管してある。
その懐かしい地図も、この私のブログ「この懐かしき本たちよ!」に掲載しておこうということを思いついた。
今日はニュージーランドの地図、そしてオークランドの市街図である。
オークランドの市街地図は小さくて見難いが、真ん中から右の方の一つ大きな黒い表示になっているものが戦争博物館の建物を表示しているものである。
真中のちょっと上の方にある建物が黒く沢山あるようなところがオークランド大学の敷地である。
私は1970年代後半に何度もニュージーランドを訪問したことがある。最初のうちは、日本からニュージーランドへの直行便はなく、一度オーストラリアのシドニーで乗り換えてニュージーランドに行くのであった。
関連記事:「オークランド戦争記念博物館のゼロ戦」←クリック
画像:Shell Road Maps of New Zealand (1080年発行)(49ページ)
およびオークランド市街図
会のあとで希望者で小町通りで一緒に昼食をとった。
私はたまたまYさんご夫妻と同じテーブルだった。
いろいろと話しているうちに、ニュージーランドのオークランドの話になった。
私が戦争博物館の話をすると、それがどこにあるのかという話になり、病院やオークランド大学の近くにあるというと、Yさん夫妻もその博物館に行ったという話しになった。ご夫婦二人でその辺を散歩したということであった。
戦争記念博物館という名称ながら、1階は仏像などが陳列されていたので、戦争記念博物館だということは気付かなかったということであった。
クライストチャーチやウエリントンだけでなく、ドニーデンとかクイーンズタウンという懐かしい街の名前も話に出て来た。
誰もがそうであろうが、旅行するときにその土地の地図を買うが、その地図は見返すとその時の楽しい思い出が想起される。
特に、現地を車で旅行した時などは、一生懸命地図を見て探しながら目的地にたどりつくということが多いだけに、地図は懐かしいものである。
私も旅行をしたときに買い、そして使った地図は捨てずに保管してある。
その懐かしい地図も、この私のブログ「この懐かしき本たちよ!」に掲載しておこうということを思いついた。
今日はニュージーランドの地図、そしてオークランドの市街図である。
オークランドの市街地図は小さくて見難いが、真ん中から右の方の一つ大きな黒い表示になっているものが戦争博物館の建物を表示しているものである。
真中のちょっと上の方にある建物が黒く沢山あるようなところがオークランド大学の敷地である。
私は1970年代後半に何度もニュージーランドを訪問したことがある。最初のうちは、日本からニュージーランドへの直行便はなく、一度オーストラリアのシドニーで乗り換えてニュージーランドに行くのであった。
関連記事:「オークランド戦争記念博物館のゼロ戦」←クリック
画像:Shell Road Maps of New Zealand (1080年発行)(49ページ)
およびオークランド市街図