「君子に三畏有り」
月刊「致知」に論語普及会学監「伊與田覺」先生の言葉が掲載されており、論語を通して自分を見つめる機会を与えて頂きました。古典の教えは人生における指針を示してくれるものばかりです。伊與田先生の言葉をそのまま掲載します。
二千数百年にもわたり多くの人々に読み継がれてきた、中国古典の代表ともいえる「論語」は、孔子の言葉を弟子たちがまとめたものです。世の辛酸をなめ尽くした苦労人である孔子。どの一句をとってみても含蓄があり、読む者の心を打ちます。(中略)
『論語』に次の言葉があります。
「孔子曰わく、君子に三畏(さんい)有り。 天命を畏れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言を畏る。小人(しょうじん)は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る」
君子には三つの恐れがある。この畏れという字は、普通の恐れと異なり、敬いながら恐れるという意味合いがあります。
天命とは宇宙根源の働きをいいます。感覚の世界だけで生きている人には、その存在が理解できませんが、君子はこの世の現象を根底で動かす偉大な力の存在を認識して、それを畏れ敬うのです。
私はいま九十三歳ですが、これまで病気を経験し軍隊にもまいり、何度も死線を乗り越えてきました。この年までよく生きてこられたものだとつくづく思います。
戦友はほとんど亡くなりましたが、なぜ自分だけが生き残ったのか、いくら考えても分かりません。
重い病を患い、明日の朝まで生き永らえることができるだろうかと案じたこともありますが、朝になると目が覚め、ちゃんと生きていました。本当にありがたいことだと思います。病というものは辛いけれども、生きている喜びを感じさせてくれ、天を畏れる気持ちを育んでくれるありがたい面も併せ持っていることを実感させられた、貴重な体験でした。
大人というのは天の心、天の働きを身につけている人をいいます。そういう立派な人物というものは、服装のいかんにかかわらず、その人の前に出るとおのずと頭が下がり、畏れの気持ちを抱かせるものです。
聖人というのは、大人中でもさらに突き抜けた存在です。一般の人には分からない声なき声を聞き、形なき形を見て、そこで得たことを自分の内に止めておくのではなく、世の人々に伝え、世のために生かそうと尽くす人です。そうした聖人の言葉を書き残したものが『論語』であり、キリストの『聖書』であり、お釈迦様のお経です。そして、そこに記されている言葉を畏れ謹んで実践しようとするのが君子というものです。
小人というのはその逆で、天命を知らずして、大人には無礼な態度を取り、聖人の言を侮るというのです。(中略)
己の生きる意味を自覚し、意義ある人生を送るためにも、天、大人、聖人の言を畏れ敬い、素直に実践する、謙虚な気持ちを持つことが肝要であると存じます。
いかがでしたか、現代人は「畏れ敬う」ということを忘れかけているのではないでしょうか。聖人の教えに学び人間力を高めたいものです。
発信元:NPO法人日本フットセラピスト協会
月刊「致知」に論語普及会学監「伊與田覺」先生の言葉が掲載されており、論語を通して自分を見つめる機会を与えて頂きました。古典の教えは人生における指針を示してくれるものばかりです。伊與田先生の言葉をそのまま掲載します。
二千数百年にもわたり多くの人々に読み継がれてきた、中国古典の代表ともいえる「論語」は、孔子の言葉を弟子たちがまとめたものです。世の辛酸をなめ尽くした苦労人である孔子。どの一句をとってみても含蓄があり、読む者の心を打ちます。(中略)
『論語』に次の言葉があります。
「孔子曰わく、君子に三畏(さんい)有り。 天命を畏れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言を畏る。小人(しょうじん)は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る」
君子には三つの恐れがある。この畏れという字は、普通の恐れと異なり、敬いながら恐れるという意味合いがあります。
天命とは宇宙根源の働きをいいます。感覚の世界だけで生きている人には、その存在が理解できませんが、君子はこの世の現象を根底で動かす偉大な力の存在を認識して、それを畏れ敬うのです。
私はいま九十三歳ですが、これまで病気を経験し軍隊にもまいり、何度も死線を乗り越えてきました。この年までよく生きてこられたものだとつくづく思います。
戦友はほとんど亡くなりましたが、なぜ自分だけが生き残ったのか、いくら考えても分かりません。
重い病を患い、明日の朝まで生き永らえることができるだろうかと案じたこともありますが、朝になると目が覚め、ちゃんと生きていました。本当にありがたいことだと思います。病というものは辛いけれども、生きている喜びを感じさせてくれ、天を畏れる気持ちを育んでくれるありがたい面も併せ持っていることを実感させられた、貴重な体験でした。
大人というのは天の心、天の働きを身につけている人をいいます。そういう立派な人物というものは、服装のいかんにかかわらず、その人の前に出るとおのずと頭が下がり、畏れの気持ちを抱かせるものです。
聖人というのは、大人中でもさらに突き抜けた存在です。一般の人には分からない声なき声を聞き、形なき形を見て、そこで得たことを自分の内に止めておくのではなく、世の人々に伝え、世のために生かそうと尽くす人です。そうした聖人の言葉を書き残したものが『論語』であり、キリストの『聖書』であり、お釈迦様のお経です。そして、そこに記されている言葉を畏れ謹んで実践しようとするのが君子というものです。
小人というのはその逆で、天命を知らずして、大人には無礼な態度を取り、聖人の言を侮るというのです。(中略)
己の生きる意味を自覚し、意義ある人生を送るためにも、天、大人、聖人の言を畏れ敬い、素直に実践する、謙虚な気持ちを持つことが肝要であると存じます。
いかがでしたか、現代人は「畏れ敬う」ということを忘れかけているのではないでしょうか。聖人の教えに学び人間力を高めたいものです。
発信元:NPO法人日本フットセラピスト協会