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因果の実像を文学の世界で表現したのが『神曲』

2010年05月25日 22時25分53秒 | 日記

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ダンテ15

『神曲』では、
さまざまな罪悪が罰せられています。
 
例えば、「傍観」の罪があります。
「地獄の門」を入ると、絶え間なく虻などに刺されて、
泣きながら走り回る者たちがいます。
それは、生きている間、中途半端で生ぬるい生き方をしたため、
死後、絶え間なく苦痛の刺激を受け、
動き続けなければいけないという象徴なのです。
 
彼らには、あえて厳しい断罪の言葉が投げつけられる。
「これこそ、恥もなく、誉もなく、凡凡と世に生きた者たちの、
なさけない魂のみじめな姿」
(寿岳文章訳『神曲』集英社文庫)
「本当に人生を生きたことのない馬鹿者ども」(前掲平川訳)
「慈悲も正義も奴らを馬鹿にする」(同)と。

「さらに、「貪欲」の罪、「暴力」の罪、
「偽善」の罪、「中傷分裂」の罪などが罰せられている。

では、ダンテが描いた地獄の最も底で、
厳しく罰せられている罪悪は何か。
それは「裏切り」です。
なかでも、「恩人に対する裏切り」は最も罪が重い。

地獄の底──
「わずかの熱」も「救いの光」もない暗黒の絶望の世界で、
「氷漬け」にされている。
 
ダンテは、
恩人を裏切る卑劣な「冷酷さ」を何よりも憎み、
「氷」の冷たさで表現したのです。
そして、悪魔の大王に、
裏切り者が全身を噛み砕かれている姿を描いています。
 
ダンテは綴ります。
「裏切者はみな未来永劫にわたり/呵責にさいなまれている」(同)
忘恩の裏切りは、人間として最悪の罪の一つである。
これは、古今東西を問わず、一致する結論であることを、
聡明な皆さんは心に留めておいてください。
 
『神曲』の世界では、さまざまな登場人物が、
自分自身の振る舞いに応じて、居場所を定められています。
卑劣な悪行があれば、それに見合った罰が下っている。
ダンテは、峻厳な「因果の法則」を見つめていたのです。
自分が行ったこと(=原因)は、良きにつけ、悪しきにつけ、
必ず自分自身に返る(=結果)。

「悪人は必ず厳しく裁かれる」

ダンテ
最も愚かなことは
この世の後に他の世がないと信ずることです
「善人は絶対に正しく報われる」
生死を貫く、そうした「因果の法則」から、
いかなる人も逃れることはできない。
これが、ダンテの達観でした。
 
その因果の実像を、
文学の世界で表現したのが、『神曲』なのです。
『神曲』では、有名か無名かにかかわらず、
善い行いをした人間は、高い位に位置付けています。
 
一方、地位の高い政治家や坊主で、その立場を乱用して、
悪事をなした者は、容赦なく裁かれています。
「上に立つ人の行ないの悪さこそが/
世界が陰険邪悪となったことの原因なのだ」(同)と。
ゆえに『神曲』は、邪悪な権力者を厳しく責めている。
 
例えば、天国界で記されている「罪科帳」には、
「王たちの悪業の数々がすべて/記入されてある」(同)という。
また、腐敗の坊主の悪行に対しては、
「いま一度怒りを心頭に発していただきたいのだ」(同)と、
広大な天国界が、真っ赤に染まるほど、激烈な怒りに燃える。

『神曲』の「天国」も、俗にいう「楽園」ではない。
それは凄まじい「正義の怒り」のみなぎる世界なのです。

(創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 2008-4-23)より



撰時抄256p

寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し
一切の大菩薩集会し給い
梵帝・四天は衣をひるがへし
竜神・八部は掌を合せ凡夫・
大根性の者は耳をそばだて
生身得忍の諸菩薩・解脱月等請をなし給いしかども
世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし
即身成仏・一念三千の肝心、其義を宣べ給はず、
此等は偏に
これ機は有りしかども
時の来らざればのべさせ給はず
経に云く「説く時未だ至らざるが故」等云云、

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