ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

建築の無意識

2016-08-13 23:47:46 | 2015年4月以降の詩

詩を書くことはとりあえずひとりでもできる

建築は

ひとりではできない

詩を書くことはひとりでもできる

詩集はとりあえずひとりでも作ることができる

同人誌は

ひとりではできない

 

詩を書くことはひとりでもできる

建築の構想は

とりあえずひとりでも書けそうだが

だれかとだれかが協働して

さらにはもっとだれかとだれかが協働して

はじめて

構想が描ける

描かれた構想は

さらにだれかが引き継いで

それが既定事実になった後にはじめて

実現する

引き継がれない前には

構想はまだ単に構想で

あやふやで

やわで

いつでも後戻り可能で

だから

夢物語でしかない

未だ生存中の一個の人間のように

 

誰かが始めたことを

別の誰かが引き継いではじめて

堅固な計画に変身する

細部が変更されることがあっても

その骨格はあたかも削り取ることも曲げることも加えることもできないダイアモンドの造形のように輝き始める

 

建築は

その謎めいた魔法の後に

はじめて実現する

描き始めた人間の支配できない迷宮の先に

現実の建築は完成する

別の人間に

引き継がれない構想は妄想の類いでしかない

 

だって人間は神ではない

ひとりで完結することはできない

 

ああそうだ構想も

だれかの記憶を引き継ぎ

だれかの行動を引き継ぐことなしに

構想として成立することがない

ひとりで描きあげた構想などない

だれかから引き継いで

だれかに引き継ぐこと

その連綿とした網の目の中にしか

建築は成り立つことがない


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