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ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

熊谷龍子 森の窓から [歌とエッセイ] 遊子堂

2014-12-08 13:24:01 | エッセイ

 熊谷龍子さんは、気仙沼の歌人。気仙沼の西の山あいの谷間の歌人。いや、端的に森の歌人。

 森は海の恋人の名付け親。

 気仙沼の東の舞根湾の漁師畠山重篤氏の『森は海の恋人』は、西の森の歌人が名付け親なのだ。

 

 森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく

 

 1996年に出版された第3歌集「森は海の恋人」に収められたこの歌は、熊谷龍子個人の歌ではない。

 これはもちろん、合作だとかいうことではない。誰が作ったのかと言えば、熊谷龍子ひとりが作ったものであることに間違いはない。

 しかし、彼女個人の感情とか体験とかそういうものを表現した歌ではない。つまりは、明治以降の文学ではない、近代短歌ではないということになる。

 個人の感情を超えた何かもっと大きな、ひとつの世界を現した歌。この豊かで美しい気仙沼湾、自然と、そこに暮らす人の営為、そういうもの全てを体現した言葉なのだ。

 そしてこの歌から「森は海の恋人」という運動の名称が生まれた。

 歌集「森は海の恋人」から、もうひとつの歌。

 

 森と海と溶け合うという汽水域 朝靄のようならむ水の濃度は

 

 「汽水域」の汽は、気仙沼の気と同じ字ではないが、気仙沼湾の朝靄の立つ朝の光景は、まさしくその汽水域のうえのことであり、汽水域とは、沖合からの海水と川から供給される真水とが靄のように混ざり合う海の中である。

 これらの歌は、気仙沼の西の森と東の湾、気仙沼という土地が生んだ歌、この土地の歴史、はるか昔からここで暮らした人々の総意、歴史のなかで重ねあわされた声が歌いだした歌である。そして、さらに、ここから未来に向けて多重に声が積み上げられていくような言葉。

 上代の歌が、国家を成立させる祝いの詞、朝廷での公式な宣言でもあったように、気仙沼という土地を成り立たせるような言葉。言祝ぎ、宣命する、預言であり予言であるような言葉。言霊の宿るような言葉。

 近代的な個人の歌ではなく、問答歌であり相聞歌であり、日本の古代からの歴史に根差した歌。

 と、ここまでは前段の話。

 この「森の窓から」に収められた歌とエッセイでつづられた文章は、さる雑誌に平成21年4月号から26年3月号まで連載されたものだという。

 

 「夕暮れのわたしはすこし邪なこと想いながら坂を下りぬ」

 

という歌の後のエッセイ。

 

 「この作品には、愉快なエピソードがある。…(中略)…T記者は…魚屋の店主に『この歌の邪ってなんだと思いますか』と訊いてみたという。すると店主は『家で夕食をとろうと思っていたのを外食に変更したということではないですか』と答えたという。…(中略)…/所で、肝心の『邪』についての作者の弁を、と言われそうであるが、実は未だに此処に『邪』の文字が入っているのが、不明なのだ。強いていえばあの時、周辺から深い夕闇が迫ってきていた―ということ以外は。」(24ページ)

 

 言うまでもなく、魚屋の店主の弁は、まったく的外れである例として挙げられている。この『邪』は、そんな微笑ましいエピソードではないんだぜ、と少しだけ醒めた笑いを笑っている作者がいる。(あ、龍子さんは、決してこんな男言葉は使わないが。)

 何か、遠い記憶を思い出して、もっとずっと若い頃の邪な記憶がふっとよみがえって、黄昏時の秘めやかな出来事が思い起こされて、美しい森の中の淡々とした日常との違和が生じる。

 「不明なのだ」とは、どんな出来事があったのかが不明なのではない。何があったのかは明確に記憶している。なぜそれが「邪」なのか、なぜそれを「邪」と言ってしまうのかが不明だ、と言っているのである。「邪」だとは言わなくていいはずなのに、「邪」と言ってしまう。何ごとかいささかなりとも艶めいた出来事であるには相違ない。

 その出来事が具体的には何なのか、そんなことは決して知らされることがないわけだが、私たちは知らないでいい、知る必要はない。秘めているなかに美しさはある。

 「山と山とのくぼたみの上のせまい空其下に俺の一生をおく」と歌った歌人・熊谷武雄の孫である龍子さんも、まさしくその土地、気仙沼市新月、大川上流の二十一地区にお住まいであるが、実はこの人は、決して山の人ではない。生まれも育ちも山あいの谷間であることに間違いはないが、都会の人である。都会との対比の中に、山があり、森がある。都会の暮らしを踏まえてこその森の暮らしがある。

 

 「誰でもが様々の時効の日を待ちながら然りげなく日常というを熟せり」

 

という歌には、

 

「(前略)…街ゆく人を見るともなく見ている。場所は八重洲ブックセンター二階の喫茶店。行き交う人は赤いコートの女性も黒いダウンの男性も様々の時効の〈刻〉を重ねている。通りに面した奥から二番目の席が私の特等席である。」(60ページ)

 

 私は、八重洲ブックセンターの二階の喫茶店には入ったことがない。東京駅の東側の八重洲口の巨大な書店。

 渋谷パルコ2階や、原宿表参道の通りに面したカフェで、コーヒーを注文し、本を読み、ときおり、通りを行き交う人びとを見るともなく眺める、それがもはや40年ともなるような過去の記憶ではある。

 

 「マリウスのような青年に逢えそうな森だったのに今 雪男来る」

 

 「(前略)…少女の頃、近くの森がとても怖い存在であった。夜になると森から梟の声が聞こえ、杉林が黒々と迫ってくる。しかし、昼になってその場所から遥か向こうの森をみると、昨夜読んだ物語のヒーローが遣って来る予感がする。ヒーローの名はマリウスという青年。/数十年の月日が流れ、森はそのままの地形で現在もある。が、行き交うのは雪男のようなひとばかり。ああ、なんという無情の歳月のしわざ。が、並べて現実とは斯ういうものだ、と長老のような心境にはまだ至っていないのである。」(30ページ)

 

 マリウスという登場人物を、私は知らないが、少女が記憶にとどめる物語の主人公でるというだけで、情報としては充分であろう。龍子さんのご主人博之さんは、東京で知り合って、気仙沼、二十一にお出でになられた。こちらに住まわれてから、一冊の詩集をまとめられた。ちょうど、私がこちらに帰ってきて、最初の詩集を出したのと前後する時期。詩人である。

 眠れる森の美女を追い掛けて、惹き寄せられて、都会から深い森の中に迷い込んだ青年。その森は、荒涼とした殺伐とした森ではない。豊かな恵みと魅惑に満ちた、さらに言えば神聖な森でもある。その青年は、いま、農林の家と地域を守るたくましい大人である。

 はずだが、そういえば、しばらくお会いしていないな。

 

 ところで、この文章を書き始めた翌日、龍子さんが、図書館にお出でになった。久しぶりにお会いできた。図書館のために数冊を寄贈いただいた。

 その二日後、唐桑町舞根の水山養殖場に畠山重篤氏を訪れた。こちらもずいぶんと久しぶりであった。実は、この本に収められた文章は、「文化連情報」という雑誌に、左右の見開きのページ1ページづつ、龍子さんと重篤さんと、5年間書き連ねたものだったという。重篤さんの方は、まだ、書籍化されていないものかと思う。

 髭面の牡蠣じいさんもまた、ひとりの雪男の風貌である。

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