ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

土方正志 震災編集者 河出書房新社

2019-08-02 21:35:12 | エッセイ

 土方正志氏は、「東北の小さな出版社」荒蝦夷によって立つ、編集者にしてライター。東日本大震災の被災者、経営者であり、生活者、そして実は、震災以前からの自然災害についてのジャーナリストでもあったという。

 

「二〇〇〇年に東京から宮城県仙台市に拠点を移すまで、取材者として雲仙普賢岳噴火の長崎県島原市に、北海道南西沖地震による津波に呑まれた奥尻島に、阪神・淡路大震災下の兵庫県神戸市に、島そのものが噴火したかのような東京都三宅島に、有珠山噴火の北海道洞爺湖町に、岩手・宮城内陸地震の現場にと、全国の被災地に立って、週刊誌や月刊誌に記事を書いた。」(まえがき 6ページ)

 

 彼は、震災後、震災についてものを書くことをずっと躊躇していた。確かに自分も被災者である。しかし、もっともっと大変な思いをした被災者がいる。それに比べれば自分はさほどでもない。そういう人々に比べれば、自分は何ごとも語る資格はない。そんなふうに思い込んでいた。

 これは、被災地にいる人間に共通した思いであった、と言っていい。

 自分には、語る資格がない。

 しかし、彼を知る旧知の編集者が、そういう思いを十分に知りながら、あえて、ものを書けと迫ってくる。責めてくる。

 

「気仙沼市で津波に呑まれた知人の柩を担いで間もなく、二〇一一年の三月末だったか。やはり旧知の編集者が原稿依頼の電話をくれた。申しわけないけれど「書けない」と応えたのだが、彼は納得しなかった。電話の向こうでまくしたてる。「全国の被災地を取材してきたあなたが書かないでどうする。いままでのあなたの仕事はなんだったのか」と。」(6ページ)

 

「彼は「あなたは取材者じゃないんだ。被災者なんだ、被災地の生活者なんだ、取材なんてしなくてもいい。全国の被災地を見てきたあなたが自ら被災者となっていまなにを思うのか、それを書くだけでいいじゃないか。それがあなたの役目じゃないか」と電話を通して怒鳴った。彼ははっきりと私を責めていた。書こうと思った。」(7ページ)

 

 そして、書いたのが、この本である。

 この本を纏めるために、用意周到にプランを立てて、構成をしっかりと組み立ててから書き上げたということではない。壊滅的な打撃を受けた小さな出版社を立て直す、その必死の仕事の中で、メモのように、日記のように、走りながら書いた文章である。

 被災者である彼には、前史があった。

 雲仙普賢岳の噴火や神戸の大震災などの大災害のあと、その場所に何度も出向き、生きた人々と出会い、取材を重ね、記事を書き続けてきた人間であった。

 その男が、自ら被災者となり、周りに生活する被災者たちと共に暮らしを、生業を立て直す取り組みを続けながら、自らを含むそれらの人びとを、身近に見続ける立場となった。そして、それを記録する。

 そこに土方正志の役目があった。義務があった。使命があった。そう言っていいのだと思う。

 そうして成立したのが、この本である。

 大きな津波に呑まれた被災地に生きる私たちが書いた本である、と言っていいのだと思う。土方正志が、彼を含む私たちを代表して書いてくれた本である。そして同時に、これは、もちろん、彼にしか書けない本である。

 上に「気仙沼市で津波に呑まれた知人の柩を担」ぐという言葉が出てくる。

 この知人と娘さんは、この本の経糸の一つとなる登場人物である。この知人は、たまたま私と同い年だが、中学も高校も別で、同級生となったことはない。しかし、20年も前から、娘さんも含めてある取り組みの中で「同じ釜の飯を食べた」仲間であった。明るく、ユーモアのある、しかし、役割はきちった果たす好人物であった。いや、むしろなかなかにカッコいい快男子であった。イベントの打ち上げに酒を酌み交わすことが私にとっても大きな楽しみである、そういう人物であった。気仙沼における彼の生業は、地球の裏側まで、世界を股にかけるものであった。

 この本と合わせて、次の本もぜひ、読んでいただきたい。土方氏が編集を担当した書物とのことである。

 

須藤文音・文 下河原幸恵・絵 地震のはなしを聞きに行くー父はなぜ死んだのか(偕成社)


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