ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

村上春樹 騎士団長殺し 新潮社

2017-12-17 16:22:05 | エッセイ

 第1部顕れるイデア編、第2部遷ろうメタファー編と、続けて、しかし、ずいぶんと時間をかけてゆっくりと読んだ。

 小説としては、7月末に蓮實重彦「伯爵夫人」を読み終えているので、その後読み始めたものと思う。9月12日に第二部の165ページ、また181ページに気になる表現があったのでメモしている。で、いつだっけ、12月に入って、思い切って読み終えることにした。

 なにか、ずいぶん、ぐずぐずと読み終えることを先延ばしにしてきた。

 私にとって、好きな小説家の小説を読むということは、何ごとにも代えがたい快楽の時であって、そういう時間を終わらせたくない思いというものはある。村上春樹の新刊は、あともうしばらく出ないだろうし、既刊の小説は全部、たぶん、全部読んでいるので、当面、次はないということはある。

 この小説が、どれほど優れた小説なのかはよく分からない。読み始めると、これはもう、村上春樹でしかない。

 

「今日、短い午睡から目覚めたとき、〈顔のない男〉が私の前にいた。私の眠っていたソファの向かいにある椅子に彼は腰掛け、顔を持たない一対の架空の目で、私をまっすぐ見つめていた。」(9ページ)

 

 プロローグの冒頭である。

 顔がないのに、目がある、見つめることができる。そもそも顔のない男という自体が架空の存在であるが、その架空の存在が、架空の小説のなかで、さらに架空の目を持つという、ロシアのマトリョーシカ人形のような入れ子の構造。

 読み手が、こんな複雑な構造についていけるのかどうかという問題。

 いや、たいがいの読み手は、そんな複雑な隘路など気にも留めず、あるいは、気づくこともなく読み進めてしまうだろう。

 こんな妄想めいた、よく考えると意味の通らない文章をさらりと読ませてしまう。これは作家の力量ということになるのだろう。

 わたしも、いつか、こんな架空でしかない物語をリアルに描いてみたいものだと思う。

 さて、私は、〈顔のない男〉と読んで、宮崎駿のアニメの「カオナシ」を連想した。あと、そうだな、「特性のない男」という有名な小説のタイトルを思い出した。オーストリアの作家、R.ムジールによる小説。まだ読んだことはない。

 たぶん、「特性のない男」というのは、小説をまだ書き始めていない作家であり、まだ書かれていない主人公のことなのではないかと思う。書かれ始めることによって、だんだんとなんらかの特性を持ってしまう。最後には、まさにそこに書かれたような特性をもつ男に生成してしまう。そして、作家も、そういう小説を書いた小説家に生成する。

 まあ、よくわからないが、「特性のない男」について書かれた文章は、一編に限らず読んではいるので、ひょっとすると、そういう文章の中に、それに類したことは書いてあったかもしれない。

 「カオナシ」については、実は、第2部の後半、地下世界を通り抜ける、一旦死んで、トンネルを通り抜けて再生するみたいな部分が出てきて、そこに、この〈顔のない男〉が登場してくる。ほぼほぼ写実的な、全体としてはリアリズムの小説の仕立ての中に、最後に近いところで、ファンタジーのような、一見うそっぽい世界が展開するのだが、そこは、宮崎駿のアニメの世界から借用されてきたようシーン、登場人物が多用される。それそのものという名前で出てくるわけではないし、設定的には全く別のものである。しかし、どう考えても、宮崎アニメからの連想としか思えないシーンや、人名。

 このへんは、村上春樹の遊びであろうし、遊びだというだけではない、なんらかの含意はあるのだろうと思う。

 あ、「全体としてはリアリズムの小説の仕立て」というのは、ちょっと言い過ぎか。主要な登場人物である「騎士団長」は、基本的にリアルではない。しかし、基本設定の架空性を除けば、その容姿、言動はリアルである。おかしな言葉遣いも、リアリティは持ってしまうように描かれる。

 ところで、上に書いた「第二部の165ページ…に気になる表現」というのを引いておく。181ページの方は省略。

 

「「エイハブ船長は鰯を追いかけるべきだったのかもしれない」と彼女は言った。

 私はそれについて考えた。「世の中には簡単に変更のきかないこともある――君の言いたいのはそういうこと?」

「だいたい」

 少し間を置いてからわれわれは再び、広い海原に白い鯨を追い求めた。世の中には簡単に変更のきかないこともある。」(165ページ)

 

19世紀アメリカの古典、メルヴィル作「白鯨=モビー・ディック」の主人公エイハブ船長である。

 

「「エイハブ船長は鰯を追いかけるべきだったのかもしれない」と彼女は言った。」

 

 ふむ。こんな気のきいたセリフを、どこかのお洒落なバーのカウンターで、隣にいる素敵な女性に語ってみたいものだ。

 

「ねえ、「エイハブ船長は鰯を追いかけるべきだったのかもしれない」って言ってくれない?」

「どうして?」

「村上春樹の『騎士団長殺し』で、ある女性がこのセリフを言う。」

「ふーん、まだ読んでない。どんなシーン?」

「いや、言わない。読んでのお楽しみ。」

彼女は、ちょっと考えてから、

「じゃ、私も言わない。」

男は、「ふむ、残念…」と言って微笑んだ。

 

と、まあこんな感じ。

「広い海原に白い鯨を追い求めた」っていうのは、どんなことかというと、まあ、皆さんのご想像の通りのこと。分からないひとは小説を読んでください。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿