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米国立公文書館が731部隊(関東軍防疫給水部)に関する機密文書10万頁分を公開

2019-01-07 12:40:01 | 思想、哲学、宇宙論

今まで反日勢力に散々あげつらわれ日本の残虐性の一例として利用されてきた、悍ましい〈人体実験〉をしていたと言われる〈731部隊の作り話〉が、米公文書の公開で明らかになった。
こうして冤罪はひとつづつ晴らされて行く。

731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全く見つからなかった。
米国立公文書館は、石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡した事を裏付ける最高機密文書も明らかにした。

ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査する為、クリントン政権当時の1999年に編成された記録作業部会(IWG)は「人体実験」に留まらず「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も必死に探したが、それらを裏付ける証拠は何ひとつ見つからなかった。(つまり1999年以降の調査で「性奴隷」が言いがかりである事はクリントン政権時には既に判明していたという事だ。併し、同盟国 米国は口を噤んでいた)

奉天(現・瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も発見された。
つまり米国が持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われた事は全て根拠なき捏造であったと証明されたのだ。







731部隊というのは、もともとは昭和11(1936)年に、当時の関東軍板垣征四郎参謀長によって「関東軍防疫部」として発足した
























部隊長の石井四郎軍医中将が、千葉県山武郡芝山町加茂の出身で、同郷者の出身者が当初数多くいたことから、初期の頃は加茂部隊と呼ばれたりしていました。
そしてこの「関東軍防疫部」には、同時に「関東軍軍馬防疫廠」も併設されています。
つまり、軍馬の防疫も所轄していたのです。

この二つが、昭和15(1940)年に統合されて、「関東軍防疫給水部」となりました。
これが通称「満州第731部隊」です。

この部隊の大手柄となったのがノモンハン事件(昭和14年)で、このとき石井軍医中将は、特殊な技術の石井式濾水機を考案し、現地での給水活動にあたりました。
御存知の通り、大陸では洋の東西を問わず、糞尿を川にそのまま垂れ流す風習がありました。
このため過去においては西洋でさえペストが大流行し、人口の3分の1が失われるというたいへんな事態を招いています。
ですから大陸における衛生的な給水は、軍の行動にとって、とても大切なことです。

このことはすこし考えたらわかります。
日本は、国土の表土が衛生的に保たれ、山には森の樹々が茂り、その下の土は腐葉土や岩盤、砂利、粘土層など、幾重にも折り重なった地層があって、雨水が自然濾過されて、衛生的できれいな地下水が、全国いたるところで湧きます。

ちなみに、富士山に降り積もった雪が溶けて地下水となり、これが足柄あたりで湧き水となるまでに、約30年かかります。
自然は、それだけの長い時間をかけて、水を清潔で美味しい水にしてくれているわけです。

ところが大陸では、まず緑がありません。
黄砂の砂漠で、表土にはわずかばかりの草が茂るだけです。
自然に木が生えても、すぐに刈り取られたり燃やされたりするのです。
緑ができようがない。

いま、グーグル・アースなどで衛星写真を見ることができますが、赤や黄色の砂漠ばかりの大陸で、かつての満州や朝鮮半島、あるいは日本軍が進駐していた支那東部に緑があるのは、当時、日本の軍関係者や民間人が「みどりの潤いがあれば人々の殺伐とした心がきっと和むに違いない」と、数十億本単位で植林事業を展開したからです。

話が脱線しましたが、そんな黄土ばかりの大陸で、軍が水を確保することは、実はとても大切なことでした。
だからそのために防疫をする。
そのための防疫の専門部門をつくる。
これは、もう当然すぎるくらい当然の活動であったわけです。

防疫ですから、当然、細菌への対策研究をします。
しかもそれは当時としては、世界最先端の防疫学上の第一級資料です。
このため731部隊の研究資料などは、戦後、すぐに米軍がすべて接取してしまいました。
この資料は、米軍にとっても、米国の薬品メーカーにとっても、きわめて貴重性の高い資料でした。
ですからその接取資料は極秘扱いとされました。

そして極秘であることをいいことに、まるで731部隊が細菌兵器開発の悪魔の部隊と言われるようになりました。
言い出し始めは森村誠一の『悪魔の飽食』です。
この小説は単なる空想話でしかないし、史実に関してあまりにも誤りが多いことが度々指摘されていたにも関わらず、いつの間にか、その小説の作り話が、あたかも真実であるかのように宣伝されました。

これを利用したのが中共政府で、中共内に「731部隊記念館」をつくり、そこに実は日本人が被害者である済南事件のときの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として蝋人形にして展示し、かつまた学校の歴史教科書にまで掲載しました。

風土病にコレラにペスト。
とにかく大陸は(いまもですけれど)伝染病の巣窟でした。
だから当然その研究をしたし、現地の人達に731部隊は「無償で予防接種」もしています。
その予防接種のことが、人体実験にすり替えられました。

また米国も、その史実については、沈黙を守り続けてきました。
理由については、米中の関係悪化を懸念した、あるいは薬品メーカーにとって終戦時に日本から奪いとった研究データが躍進のきっかけになっていたことを隠したかった等々、いろいろな忖度があります。
どれも当たらずとも遠からずとは思いますが、それによって日本が貶められる状況が続いていたことは事実です。







「済南事件で殺された日本人の写真」が「731部隊の被害者」として中国の教科書に掲載
























済南事件とは1928(昭和3)年5月3日午前9時半ころ、中国山東省の済南で起きた日本人居留民虐殺事件です。

日本人居留民を襲撃したのは、当時共産イデオロギー(思想)に燃え、「国権快復」と外国に奪われた権益回収を叫んでいた蒋介石率いる国民党軍でした。

国民党軍に虐殺された日本人の数は280名、被害人員は約400名といわれています。

日本人居留民は両腕を切断され、腹を切り裂かれ、顔をつぶされて火を放たれ、その遺体は男女の区別さえもつかなかったそうです。

済南事件が起きた時の大阪毎日新聞によると5月は共産党の記念日がたてこんでいて、日本人にとっては要注意月だったそうです。

なぜなら共産党記念日には共産党が日本人を襲撃するのがお決まりだったからです。







731部隊は米国のデッチ上げ





安倍首相とも会見したフォーリン・アフェアーズ誌のジョナサン・テパーマンが論じた。「日本は欧州の帝国主義勢力に対抗し、朝鮮と支那北部を残忍に搾取して己の足場を固めた」
この時の残忍さの象徴が「731部隊」で 「70年経った今もちょっとした動き、例えば自衛隊を国防軍にするとかに、 近隣諸国はこの残忍さの悪夢が蘇る」から大騒ぎになると言う。
だから「ブラント独首相がワルシャワのユダヤ人ゲットー記念碑に跪いて謝罪したように、安倍もアジア諸国にもう一度真摯に謝罪するがいい」と結ぶ。
彼は「731部隊が防疫部隊とは真っ赤なウソ。 生物化学兵器を創り、残忍な生体実験をやったとする噂をもとに記事を書いている。 しかし、半世紀たった今でもその噂を証明する証拠や証言は出ていない。
代わりに「人道国家米国には入手不能な人体実験データだったので、 石井部隊の実験責任者らの罪を不問にしてそのデータをもらった」という噂を流した。
だから証拠は出ないのは当たり前と米史家シェルダン・ハリスらは言う。
731は人間を真空管に入れて破裂させる実験もやった。 「目や口から内臓が飛び出し破裂した」と米国から流れてきたが、 70年代、ソ連のソユーズ11号で真空化事故があったが、人体は破裂の脱肛もしなかった。 同じ頃、米国が大戦前後にグアテマラで梅毒菌を智慧遅れの少女の目や脳に注入する残忍な人体実験をやって83人を殺した事がばれた。 オバマがやっと謝罪した。 「米国は人体実験などできない」と言う噂の根拠も吹っ飛んだ。
テパーマンに偽りの歴史を書かせ、コロンビア大教授のジェラルド・カーチスも「なぜ反発を招く発言をするのか」と歴史の検証を拒む。
本当の歴史は米国にとってよほど不都合なのか。







調査では証拠が見つからなかったことは認めている。





日本の使用警戒  細菌戦の研究競争が大戦下で進む中、米側は日本の細菌兵器使用を終戦まで警戒していたほか、奉天(現瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われた形跡がないかを戦後調べたことが判明した。同じく米本土に対しても、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないか、米海軍研究所が回収した現物を大戦末期に調べ、
「細菌の散布装置がついていないことから、当面は 細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。

 細菌戦に関する米国の日本に対する関心は、44年ごろから終戦までは、細菌兵器の開発状況と731部隊の活動実態の解明に重点が置かれ、 終戦から47年ごろまでは、同部隊関係者への尋問による研究成果の獲得(日本の知的財産を盗む)へと、重点が移っている。
 米側が最も強い関心を抱いたのは、731部隊を指揮した石井中将だった。 45年12月の情報報告には、千葉県の郷里で中将が死亡したことを装った偽の葬式が行われたことも記されているが、翌46年から47年には中将に関する報告や繰り返し行われた尋問の調書が残されている。
保身引き換えに  石井中将は自らと部下の保身と引き換えに、細菌戦研究の成果を米側に引き渡したとされてきたが、47年6月20日付の米軍最高機密文書は、こうした説に沿う内容を含んでいる。  「細菌兵器計画の主要人物である石井中将は、問題全体にかかわる協約を現在執筆中だ。文書には細菌兵器の戦略、戦術的な使用に関する彼の着想が含まれる。石井中将の約20年にわたる細菌兵器研究の骨格が示される見通しであり、7月15日には完成する」  同じ文書には、「日本南部の山中」に隠されていた「細菌に侵された200人以上から採取された病理学上の標本スライド約8000枚」が、47年8月末までに米側に提供されることも付記されていた。  米側では日本からの情報収集を急ぐ一方、冷戦でライバル関係となる旧ソ連に細菌戦に関する情報が渡ることを強く警戒していた。ハバロフスク裁判のため、旧ソ連が請求してきた細菌戦関連の証拠引き渡しを渋る一方、約30人の731部隊関係者が「モスクワ近郊で細菌兵器の研究プロジェクトに従事している」とする48年4月の情報報告も今回明らかにされた。




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