ベートーベンの運命から西田幾多郎やヘーゲルの弁証法に
通じるものを感じていましたが、
ヘーゲルとベートーベンは同い年に生まれていたそうです。
運命は,、弁証法によって進化し続ける絶対精神を表現したものかも知れません。
http://mic.itconsult.co.jp/lw/lw307-oomura.htmより
アドルノ 「ベートーヴェン 音楽の哲学」 にみるヘーゲルとベートーヴェン
ところで、かねてから私は、ベートーヴェンの音楽とヘーゲルの哲学は「弁証法」という共通項でくくられるのではないかと漠然と考えていました。ベートーヴェンの音楽を聴くとどうしても正・反・合の弁証法の構成に思いが及んでしまうのです。この偉大な音楽家と哲学者とが1770年という同じ年に生まれたということもすごいことであると思っていました。 ところが、昨年2月、紀伊国屋書店で<テオドール・W・アドルノ(ロルフ・ティーデマン編)『ベートーヴェン 音楽の哲学』 (大久保健治訳)1997年 作品社:独文原著出版1993年> という本を手にし、そのブックカバーの帯の文言をみておどろきました。曰く、
『 ベートーヴェンの音楽にヘーゲルの哲学を読む / アドルノ畢生のライフ・ワーク
ベートーヴェンの音楽はヘーゲル哲学そのものである。しかし同時にこの音楽は、
ヘーゲル哲学以上に真実でもある。 ベートーヴェンの意思、つまり、形式を運動
させているエネルギーは、つねに全体、つまりヘーゲルの世界精神にほかならない。』