畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

この思いから

2011-04-10 19:28:37 | 暮らし

4月10日(日)  いちじ 

午前中は田んぼの作業。水止め。

午後は、集落の行政区の役員会。今年から2年、会計をやることになる。それほどの用はないが、小さな一財産を預かることになる。

野菜や作物の汚染。今日の集まりでも話題になる。役に就く半数は、米を作る農家でもある。千葉県でも、北の方は基準値以上の汚染を受けた野菜も出た。今、まさに田植の準備の真っ最中。早い人は、植付を始めた。「今はまだいいかもしれないが、この先、田植をして、秋の刈り取りまでに、放射能が降ってきて、この辺の米が、廃棄処分にならない保証はあるのか」「何があるから分からないからなあ」「俺はいいよ、10年後に癌になっても、もう、75だ」「40の時、糖尿になって、20年といわれたが、もう25年も生きてきたし」、、、、、、。

だけど、原発はいらないという話までは、進まない。

先日触れた、若い子育て中の、お母さんの不安、そして、今、子供と、生まれてくる新しい命に、何かしなくてはの思い。その思い、一つ一つがまとまって、大きな流れになってほしい。大きな流れにしてゆかなくては。そんな思いから、頂いたお手紙を、皆さんとも共有したいと思い、添付しました。

 

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作付制限

2011-04-10 07:37:12 | 農作業

4月9日(土) 

夜中に降った雨は、うっすらと土を濡らす程度。あまり期待できないかと思ったが、作業始めころから、小雨ながら、濡れるほどの雨となり、一日降り続く。暗くなると、霧のようになるが、トータルで、20㎜ほどをカウントした。カラカラになった田んぼに溜まるほどではないが、耕土全体に浸み渡るほどにはなっただろう。畑には、よい雨だった。幸いに南風だったので、福島からの影響は、無いか、ほんの少しで済んだだろう。しかし、私たちの耕土だけの話だ。福島より北にも、耕土は広がっている。この雨と風は、どんな影響を与えたのだろう。

原発の周辺では、作物の作付け制限が検討されている。汚染された耕土からは、汚染された野菜や、作物が育つ以上、いたしかたないことだろう。しかし、その汚染は、何年続くのだろう。半減期が、30年とか云っているが、さらに30年経過しても25%もの量が残るということだろう。ということは、この汚染は少なくなり続けるが、けしてゼロになることはないということではないか。しかも、半減期が30年というのは、放射性セシウムのこと。原発の中には、半減期が2万4千年とか、何億年とか、気の遠くなるような放射性物質もあるのではないか。こんな数字は、人間にはどう努力しても、扱えない数だと思う。そんな物質を扱うのが、原子力発電だ。

ごく少数の、エリート科学者と、巨大な利権をつかむ権力者と、そこから利益を引き出す企業群。今のちょっと裕福な毎日の生活を、省みることのない、大多数の私たち市民。この両者が、タッグを組んで、原発社会を支えてきた。そして、今なお、これほどの事故を起こしても、原発社会からの脱却へ向かおうという流れは小さい。

しかし、変えて行けるのは、少数者ではない。大多数の、私達、今の生活に満足している私たちしかいない。ちょっとした生活の見直しができるかどうか、そして、人の制御できない原子力発電所の無い社会に、して行こう、という声を発することができるか。あまり時間はないようだ。

作業  田んぼの耕起、  水止め。

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クローラー

2011-04-08 20:18:40 | 農作業

4月8日(金) 

風の強い薄愚もりの一日。南風だから、寒くはない。

作業  田んぼの水手直し、ハウス周り草刈、田んぼ耕起、水止め

最も条件の悪い、強湿田の作業。昨年までは、泥土との格闘をしながらの、トラクター作業だった。今年の新しいトラクターは、ホイール(タイヤ)ではなく、クローラー(キャタピラ式)走行のもの。メーカーの販売店の説明で、接地圧が少なく、ほとんど泥に沈むことがない、ということだった。確かに、タイヤだと、土との接地はほぼ点のようなもの。その点の4か所で、重い機械を支えている。キャタピラだと、「幅×長さ」の面で支えることになる。理屈では分かっても、現実はと、恐る恐るの作業開始だった。かなり慎重に、機械を運転した。が、作業開始直後に、「これなら大丈夫」と確信した。昨年までは、トラクターは左右に傾いて走行したり、ターンの時には、逆立ち状になったり、運転が難しかったが、全くそんなことはない。タイヤの沈むことのない、乾田での作業と全く変わらず、運転できる。傾いたトラクターで、四肢を踏ん張り苦闘していたのが、嘘のように、ゆったりと運転する感覚で、作業が進む。

おかげで、作業後ぐったり疲れることもなく、予定以上に、作業出来た。これで、どの田んぼも、同じように、耕したり、代かきしたりと、作業効率は良くなる。疲れることもないから、今後の、高齢農業者に、好き味方ができたことになる。

 

 

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雨乞

2011-04-07 20:18:38 | 農作業

4月7日(木)   ときどき 

薄日が射すほどの、薄曇りの一日。暖かい。連れ合いは、一泊の予定で、出かける。

それにしても、雨が降らない。降らないとなったら、全くといってよいほど、雨量がない。先の日曜日の雨は、霧雨程度で、雨量にしては、数ミリ程度。水を湛えられた田んぼも、地面が見え始めている所が増えてきた。田んぼの用水は、堰や、ダムから引いたパイプラインによるが、あちこちで、栓を開けているから、高所では水が出なくなる。私の耕作する田んぼは、そんな所が多いから、水を溜めれない所が多く、困っている。田んぼの表土は、白く乾いてしまっている。雨が欲しい。9日(土)は、雨の予報だが、まとまっての雨にはなりそうもなく、その後は、再び晴れが続く予報で、頭を悩ませている。

大気を汚された現状では、雨は降ってほしくないと、願いたいのだが、雨無では、作物は育たない。今日は、畑の耕起もしたが、芽が出た菜っ葉類の生育は良くない。寒い日が続いたことにもよるが、畑土の潤いがないせいでもある。

原発20km内の避難区域内の現況が、報道され始めた。その区域に暮らしていた人たちが、避難し、ほぼ無人と化した、集落。飼われていた、家畜たちが、今どうしているのか。厩舎につながれたままの2頭の馬の写真を見た。親子の様だが、いずれも、恨めしそうな目で、レンズを見つめているように感じた。

作業  田んぼの水止め。花畑 ロータリー耕。

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汚染拡大

2011-04-06 20:19:39 | 農作業

4月6日(水)  

今朝も寒い。氷は張っていないが、霜は降り、気温も氷点下1度を刺した。空は快晴。朝から太陽は眩しく、陽射しは強い。気温もどんどん上がる。空気は乾き、ひんやりして気持ちよい。一日田んぼ。刈取り後、耕していない田んぼ。耕起と、水止め。耕してから、水をためてから、、再び耕す、を繰り返す。今日も、最後は、ライトをつけての作業。帰宅は、7時近くなった。

海が汚染されている。大気も、汚染されている。私たちの住む南房総は、汚染源の原発とは、直線距離で、250km強の距離だ。大気も海もつながっている。北風が吹けば、当然、放射性物質は、運ばれてくる。どんなに微量であろうと、基準値以下であろうと、カウントできないほどの量であろうと。福島、茨城の漁師たちは、漁ができなくなっている。それほどに、海の汚染がひどく、魚が吸収してしまった。その汚染は、やがては、千葉県沿岸にも拡大し、房総の海の魚も、危険となるだろう。

我が家の野菜のお客さんでも、若く、小さな子供を抱えたり、妊娠している人たちが、不安を感じ始めている。当然のことだ。私たちの所の野菜だけだと心配だから、遠く離れた所の野菜を、生協などから取り寄せて、両方併用しようかと、考えていると、云っていた。実際の汚染がどうかは判らないが、不安に思いながら、食べるのは、よくない。ストレスになるばかりだ。不安は解消すべきだし、そのためには、出来ることをした方がよい。

「風評被害」とよく云うが、それは間違いだ。風評被害などというものはない。不安を感じたら、それから遠ざかろうとするのは、ごく当たり前のこと。安全かどうかは、権威が作った数値で測るものではない。その数値は、あくまで、判断する材料なのだ。判断するのは、一人一人だ。政府の云う基準値の百分の一の値でも、それを食べるか否かは、個の判断にゆだねられる。子育てをする母親が、子供に食べさせないのは、当たり前の、親の判断だ。基準値以下だから、安全だと押しつける権利は、政府や、販売店にはないし、生産者にもない。

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寒気

2011-04-06 08:19:23 | 農作業

4月5日(火)  

寒い朝。霜が降り、氷も張る。4月になったというのに、寒気はしばらく続きそうだ。苗も心配だし、畑の野菜も、芽は出したのに、この寒さに、震え上がっているだろう。

今日から、母はショートステイ。送り出してからの作業。これから10日ほどは、朝晩に縛られることなく、作業できる。そんな訳で、夕方の仕事仕舞いがずれ込み、夜になってしまう。8時過ぎに、家に入り、風呂、連れ合いに頼んだ夕食=ビールを一杯で、うつらうつら。朝になってしまっていた。

作業  サツマイモの苗床植付  田んぼの耕起、水止め。耕起後、一枚の田んぼに水を入れ始めたが、溜るのに時間がかかる。その間、ボケーっと待っているわけにもいかず、他の田んぼに移動する。せっかく移動したのだからと、全部耕し終わると、6時を回る。水を入れている田んぼは、ちょうどよい水加減。このまま明日にのばしてしまうと、漏水で、水が無駄になるから、と思い、機械を田んぼに入れる。特に、漏水しやすい田んぼなので、ていねいに何度か耕し、土をドロドロにする。トラクターの灯りを頼りに作業する。田んぼから出ると、8時を回っていた。久しぶりに、思い切り、仕事をしたという感じで、気持ちよい。

日中は暖かく、陽射しも強い。春満開という感じだ。ウグイスは鳴き、モクレンの花は満開を過ぎている。家の前の休耕地の草藪に、居を構えた雉のつがいも、朝から春を謳歌している。福島では、放射性廃棄物を、意志を持って、海に投棄することを始めた。益々、原子力の制御不能の実態が、明らかになってきている。この現実を見なければ、真っ盛りの春を楽しめるのに。

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晴れ

2011-04-04 19:46:08 | 農作業

4月4日(月) 

空模様は、人の気持ちを左右するのだろう。昨日のような、小雨の落ちる、うす暗い空は、気持ちを暗くする。25年前の田植の時の雨空と重なったから、なおさらだ。集落の懇親会で、たっぷりと注ぎ込んだビールの酔いも、この時ばかりは、悪い方に影響したようだ。脳天気の、ストレス知らずでも、たまにはこんなことがあると、少しは、ホッとして、自分を見つめ直した。「ニヒル」というコメントを読みながら、そんなことを感じた。

が、今日の空は、明るい快晴の青空。4月にしては、空気は冷たいが、乾いた風は、気持ちよく、昨日の気分を吹き飛ばしてくれる。一日、田んぼを飛び回る。午前中は、田回り。今年作付けする田んぼを全部回る。周囲の田んぼは、ほとんど水が溜められている。私は、これからだ。畔付けは終わったので、急いで、水を入れて、漏れないようにしなければならない。そのために、田んぼを回り、水手とか、畔付けした状態を、歩いて、点検する。暗渠の閉め忘れもチェックする。

午後は、トラクター。秋田(刈取り後の田んぼ)は耕してあるが、それは半年前のこと。昨年は、手まわしよく、刈取り後にすぐ耕しておいたため、表面は固まっているから、ロータリー耕で、土をほぐしておく。その後に、水を入れて、再耕起。田土をドロドロにして、水漏れを防ぐ訳である。家から離れた田んぼ15aに水を張る。水を入れている間、宮畑に行き、耕す。先日一度耕しておいたが、再耕起で、草の処理をする。

久しぶりで、6時のチャイムを聞いてから、家路に就くが、日暮れの空気の冷たさは、ひとしお。極端な寒暖は、そろそろおしまいにしてほしい。

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雨は降る

2011-04-03 19:00:51 | 暮らし

4月3日(日)   のち 

夕方から小雨降る。しずかなきりさめのようだが、 土は確実に濡れている。ありがたい雨だ。

この何日も雨はなく、畑は乾き気味。よい雨だなあと思いながら、集落の総会に出ていた。

順番なのはわかっているのだが、今年から、役に就かざるを得なくなった。集落で、歳を重ねるとは。、こう云うことで、集落の役に就かざるを得なくなる。それはそれで、よしとしよう。私たちが、生き、暮らしている場で、福島は(あえて、福島と云い続けなくてはならない)、生存を拒むような数値を吐き出し続けている。

1986年。この年は、何だったのか。少なくとも、私は、若かった。それだけしか、確かなことはない。何をしていたんだろう。少なくとも、その後の数年間は、チェルノブイリの写真展など、 外に発信するぐらいなことは、やっていたとは思う。しかし、 

それも、時が流れ、日常が、異常をおおいつくし、 静かに、忘れさせてくれた。いつしか、私は、ユキの乳のことなど忘れてしまい、けだるくいえのなかにかえると、 テレビのなすがままに、一日を過ごし、それだけが、楽しみのごとく、日々を送り続けていた。

頭の中は、真っ白だ。25年は、何だったのか。

だけど、しつこく、生きつずける。私は、そういう云う人間なのだ。

 

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25年

2011-04-03 13:39:44 | 食、農への思い

4月3日(日) 

突然ですが、25年前に、私が書いたものです。確か、「自然食通信」という雑誌だったと思います。

はるか、、8000kmも離れた所から、、、、、、、。

そして今、わずか、250km今日の所で。

違いは、爆発によって、空高く吹き揚げられなかっただけです。規模からいったら、今回の方が、はるかに大きく、深刻です。そして、25年、四半世紀も過ぎているのです。この長大な時間の経過は、何だったのでしょう。

記事画像をクリックして、拡大すれば、読めると思います。

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距離

2011-04-02 20:26:07 | 農作業

4月2日(土)   のち  

今日の作業。 昨日、掘りだしてきた、種芋類の整理。ヤマイモ、サツマイモ、ショウガは、種にするものと、そうでないもの(食用にするもの)とに分ける。畔付け機の整備、グリスアップやオイル塗布。収納。一年間の御休みだ。苗代プールの水張り。

昨日のブログ。ちょっと乱暴だったかもしれない。原発からの距離の単純な比較は、あまり意味のないことかもしれない。しかし、一応は、その距離を、おおよその目安にせざるを得ない。よく表示されている、同心円を描く距離である。20km内は避難で、20~30kmは屋内退避か、自主避難。かなり危険な距離だということだ。そこから、約200km以上離れたところ。私たちの暮らす所だ。

毎日の新聞記事に、同心円が描かれ、モニタリング地点の最大放射線量が、記載されている。その報道が、事実とすれば、まず、それは正しいだろうが、という前提の上で、私は、この地で、暮らし続けることを選ぶ。今は、春。雛も到着しているし、田や畑は、今やらなければならないことが、山のようにある。

明石に住む娘から、「避難して来ないの?」と電話があったという。娘の連れ合いの、高知の別宅も使えるとも言っていたという。地震後、4~5日後のことである。私たちの知り合いでも、関西の友人の所に、しばらく避難した人もいる。

どう選択するかは、それぞれの判断だ。ただ、判断の基準だけは、正しく公表されなければならないし、それが国の政府の責任だ。風評被害といわれる。しかし、ホウレンソウは基準値以上で、その他の野菜は、基準値以下だから安全、などといわれても、同じ地域の隣り合った畑の作物なら、食べたくないというのは、当たり前のこと。

風評被害も、原発の事故がもたらすもので、原発事故の被害だ。原子力発電所とは、そういうものなのだと、ずっと言われてきた。原発はいらないと、地元も含め、全国、全世界で、声を上げ続けてきた人たち。その声を聞かず、無視し続けてきたのが、国であり、経済界であり、多くの市民生活者だった。本来なら、どんな少数者であっても、その声を報道するべきマスコミも、多くの場合、無視し続けていた。

そして、今、これだけの事故を前にしても、原子力発電は、安全対策を強化して、必要なのだとする声が、最大多数だ。

 

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