畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

一転

2011-07-02 19:34:54 | 暮らし

7月2日(土)    ときどき  

天気予報が恨めしい。この天気なんとかしてくれ。雨ーーー。と、これを最後にする。天気のことで、愚痴ってばかりのこの何日。しかし、もう止める。要するに、自然の、地球の動きに対して、人間は、無力なんだと云うことの、再確認である。それが、3.11のようなこともあれば、私が、ぐずぐず愚痴っていたような、些細なことでもあるのだ。人間の予知とか、予報とか、想定とか、それは、人間の知りえた範囲での未来予想でしかない。しかし、人間の歴史など、地球の生誕以後の時間の中では、無いに等しいのだ。それなのに、あらゆることを知り尽くしているかのように、振る舞い、陽炎のような豊かさに、酔い尽くしている。

我が家の「ソラ」も、アレルギー症だと云うので、専用のキャットフードと、白身魚のアラなどと、贅沢な食事を取りながら、全部食べきらないうちに、食事をねだって、連れ合いの小言を受けている。しかし、「ソラ」は、猫である。猫の分をわきまえている。その時、その時を、生きているにすぎない。そして、未来を予測して、そのために何かをなそうとはしない。今の環境の中で、何かがあっても、「ソラ」は、ただ、生きるためにその全生命を懸けて、動くであろう。その結果がどのようなものであっても。

しかし、幸か不幸か、「ヒト」は、地球をも、対象化してしまったおかげで、自分たちの時間を持ってしまった。今を生きるのでなく、未来の為に生きるようになった。だから、欲望は、無限大に拡大し、そのために、あらゆるものを管理下におこうとしている。日や月や星、風や雲の動きから、近未来の天気を想像する位なら良いが、地球の外から、観測して、データーを集め、かなりの長期の天候も予想するようになった。でも、人の観察しえた地球など、ナンボノもんだろう。そう思ってしまえば、天気予報の当たり外れに、一喜一憂しないで、今、この時をどう動くかを、考えるにとどめていた方がよい。今、何ができて、何ができないか。出来る所はどこで、出来ない所はどこかも必要だ。未来を想定して種を蒔いた行為のうち、すべてを得ようとは思ってはだめだ。うまくゆくこともあるだろうが、駄目な時もある。

駄目なものをどれだけ少なくするか、程度にとどめておこう。

と開き直って、今日は、一日、農作業はしなかった。気持ちを切り替えよう。

環境保全型農業の書類を作る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日記 | トップ | 蝉の声 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

暮らし」カテゴリの最新記事