畑のつぶやき

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食、農への思い

共同作業ー草苅

2022-09-11 20:36:00 | 食、農への思い
米作りをやめたら、地区の共同作業に出る必要はなくなる。この地区に農地は所有していないし、小作もやめると、義務はなくなる。
最近、水田はもちろん、農地を回る道路は草のおおいところがめだつ。一昔前までは、地区のほとんどの家が米作りをしていた。工作面積は少なく、経営計算的には、全く成り立たなくとも、我が家の田んぼを維持し続けるのは当たり前のことだった。そんな私たちよりヒト世代前がいなくなり、我々世代は、先代の残した遺産を継いで、田畑の耕作は続けた。しかし、我々世代も高齢化。農業機械類も粗大ゴミ化してくると、新たに購入し農業を続けることは、意味のないことになってくる。子供たちは農業に見向きもしない以上、継続を止めることになる。地域の農業は、大型機械を購入し大規模農業を続ける少数者に引き継がれる。
今まで、10戸ほどがやっていた面積を一軒で引き受けることになる。日常的管理も10人がやっていた事を1人でやることになる。当然ながら、こまめな管理ができるわけはない。畔や農道の草刈りのような、直接生産に結びつかない作業は後回しにするしかない。かつては、田植え後に何度も刈られていた草は、一度刈られればよいくらいで、稲刈り作業も丈高い草の垣根の中での作業ほどになる。
農道は、当たり前のことだが、地域の生活道路でもある。通勤や通学、散歩や地区住民の交流道路でもある。そして、おおくは、市、町、村の管理の道路である。行政の責任で管理されるべきだが、草刈りなどの環境整備に使える予算はあるはずがない。地区の農業者の無償の作業により維持されてきていた。
しかし、そうした農業者が激減し大規模農業者に移行した今、地区農業者の集まりによる共同作業が、唯一の環境維持作業になったと言っても過言ではない。しかし、その共同作業も農業の一極化が進めば、共同作業に参加する人も減ってくることになる。農村地区の環境は悪化し、追い打ちをかけるように、周辺山野に住む野生獣が人間生活環境に割り込んできて、人の生活を駆逐してゆく。
農山村は荒れて、人たちは放棄して逃げてゆかざるを得なくなるだろう。
そんな事を想像すると、今続く共同作業の大切さは、よくわかるのだが。
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